活動詳細
山口県 山口市 2012年受賞
山口鷺流狂言保存会
宗家が途絶えた狂言を120年以上にわたり素人衆が伝承
代表:樹下 明紀 氏
2012年10月更新
明治期に途絶えたとされた「鷺流狂言」は、大内氏、毛利氏の文化の薫り高い山口の地で、町の「普通の人々」によりその技が今日まで伝えられてきた。その歴史は、長州藩狂言方の春日庄作が素人衆に狂言を教え始めたことに始まり、町の人々が相互に稽古をつける「伝習会」によってその歴史は受け継がれてきている。
大正期には春日の直弟子もいなくなり、細々とその技は伝承されてきたが、昭和20年代になって山口女子短期大学(現:山口県立大学)の故・石川弥一教授の研究を契機として、1954年に保存会が結成されることとなった。その後1967年に山口鷺流狂言は県指定無形文化財の第一号となり、技の伝承者たちは県指定無形文化財保持者として顕彰され、後進の指導者となった。現在では、二人の無形文化財保持者が中心となって、小学4年生から88歳までの20人が「伝習会」で研鑽をつみ、次代への継承に努めている。
「伝習会」はもとより、毎年5〜6校で開催する小中学校、県立大学でのワークショップなどの活動は自前で行われ、定期公演も入場料を取らない。衣装の修繕も新調もままならない状況での活動だが、芸の評価は研究者からも高い。
保存会会員は、「文化の伝承者」としての意識も高い。120年以上伝承されてきた狂言を、地域住民に「見せる」だけでなく、声を出し、体を動かす「体験」をしてもらい、古典芸能は「難しい」というイメージを払拭している。地域文化の伝承と同時に日本文化の理解への入り口となる、こうした試みを、保存会は「日本文化の種蒔き」と表現している。
「山口鷺流狂言保存会」の定期公演には大人から子供まで600人もの観客が毎年集まる。山口市内を流れる一の坂川は、大内氏の時代に京都の風情を模してつくられたもので、桜、ホタルの季節には静かにその風情を楽しむ人が集まってくる。先人からの歴史、伝統、美意識などを継承し、伝えていくことを大事にしている山口の人々の文化的土壌があるからこそ、山口の鷺流狂言は、町の人々の手で今日まで継承されており、これからも人々に愛され楽しまれる存在であり続けるだろう。