活動詳細
福島県 川俣町 2011年受賞
<特別賞>
コスキン・エン・ハポン
絆を深め、希望を育む中南米音楽の祭典
代表:長沼 康光 氏
2011年10月更新
今年37回目を迎える日本で最大のフォルクローレの祭典「コスキン・エン・ハポン」は、原発被害の渦中の福島県にあって、5月に例年通りの開催を決めた。3月11日の大震災は、町役場をはじめとする建造物の被害だけでなく、町の一部が放射線の影響による「計画的避難地区」に指定される、という先の見えない不安を川俣町にもたらした。そんな中開催を後押ししたのは、日本のみならず、世界から寄せられた川俣町の人々を気遣う声であり、「コスキン・エン・ハポン」に対する熱い思いであった。今年も162のチームが10月8日9日10日の三日間、川俣町に集い、町中にケーナ(縦笛)が響きわたる。事務局長としてコスキン・エン・ハポンに関わってきた齋藤寛幸氏は、震災に打ちひしがれる中、地域が支えてきた文化が、世界の人たちに愛され、世界と繋がっていることを強く意識し、実施することを決意したという。
「コスキン・エン・ハポン」の誕生の萌芽は60年以上前に遡る。川俣町在住の長沼康光氏を中心として「ノルテ・ハポン」(北日本中南米音楽連盟)が発足、演奏家との交流が始まる。本場アンデスの山間の町コスキン市で毎年開催される「コスキン祭」の日本版の開催を企画、中南米音楽フォークロアの愛好家が1975年に川俣町に集まり、第一回のフォルクローレの祭典「コスキン・エン・ハポン」が開催された。東北各地で開催予定だったが、本場を彷彿とさせる阿武隈山系の山間に位置する川俣で毎年開催され今に至る。
最初は1日だけだった「コスキン・エン・ハポン」は、毎年参加するチームが増え1986年には2日、2002年には3日間になり中南米音楽の好きな人たちの第二のふるさととなっていった。長沼氏は「アミーゴ・デ・川俣」という地域の小中学生を中心とするケーナ教室を開き、祭りにも地元のチームとして参加するなど、地道な努力を続けた。
サントリー地域文化賞を受ける1993年頃までは、愛好家の人たちの祭典という意味合いが大きかった。しかし受賞後、参加チームが増えるだけでなく、地域の資産として意識されるようになり、町の人たちや行政の積極的な協力が得られるようになったと、事務局長の齋藤さんは振り返る。今では町立小学校の4年生全員にケーナの演奏の授業があり、川俣の子どもは、だれでもがケーナを演奏できる状況が生まれている。1999年からはコスキン・エン・ハポンの期間に民族衣装でメインストリートを練り歩く「コスキンパレード」も実施されるようになり、町を挙げての行事に発展している。
大震災で町役場が使えなくなり、宿泊場所として使っていた施設は避難所となっている。宿泊場所の不足や余震、放射線の影響など、不安要因がないわけではない。震災による有形無形のダメージもある中で中止するのは簡単かもしれない。しかし今年も例年どおり開催することで多くの人の励ましに応えたい、文化の持つ力を次の世代に伝えていきたい。それが「コスキン・エン・ハポン」を支える川俣の人たちの心意気である。