活動詳細
長崎県 対馬市 2009年受賞
朝鮮通信使行列振興会
国際性豊かな歴史的特性を活かし、新しい祭りを創出
代表:永留 晃 氏
2009年9月更新
対馬は長崎県の北部、九州と朝鮮半島の間に位置する国境の島で、古くから大陸と日本の交流の要所として重要な役割を担っていた。この島で、毎年8月の第一土・日曜日に「厳原港まつり対馬アリラン祭」が開催され、華やかな朝鮮通信使行列が行われている。
朝鮮通信使とは、江戸時代に将軍の代替わりなどを祝うために、朝鮮から日本に派遣された使節で、日本各地で諸大名や民衆の歓待を受け、華やかな国際交流が行われていた。パレードはその行列を再現したもので、祭りの日には島の人口に匹敵する3万人以上の観客が訪れる、対馬の夏の風物詩となっている。
通信使行列の再現は、大阪から対馬に移り住んで商店を営んでいた庄野晃三朗氏が、対馬の歴史に関心を寄せ、1978年に当時の港まつりで行われていた仮装行列に、チマチョゴリ姿の従業員を「朝鮮通信使」として参加させたことにはじまる。1980年、在日韓国人の研究者・辛基秀氏が制作した、朝鮮通信使の記録映画が対馬でも上映され、庄野氏もこれを観て感銘を受けた。そこで、本格的な通信使行列を実現しようと、同年、企業や自治体などにも協力を呼びかけ、「李朝通信使行列振興会(現・朝鮮通信使行列振興会)」を結成した。
振興会では、韓国の研究者とも協力して通信使の考証を行い、韓国の大河ドラマの衣装を手がけるソウルの会社から通信使の衣装を購入するなど、歴史に忠実な行列の再現に取り組んだ。祭りの行列には、自衛隊や企業、学校などから参加する日本人に加え、正使や副使の役、さらには釜山の舞踊団や高校の宮中吹打隊を韓国から招聘し、総勢400人によるパレードが繰り広げられる。
庄野氏は1985年に急逝したが、その後も志は地元の有志に引き継がれ、振興会は活発に活動を続けている。1988年以降、港まつりは「対馬アリラン祭」をサブタイトルに追加し、通信使行列が行われる国際色豊かな祭りとして知られるようになった。
対馬での通信使行列の成功により、日本各地で通信使への関心が高まった。1995年には「朝鮮通信使縁地連絡協議会」が対馬で発足し、かつて通信使が通った地域でも同様の行列が行われるようになった。その際も振興会は通信使の衣装を貸し出し、直接指導に出向くなどの協力をしている。さらに、日本国内にとどまらず、韓国釜山でも朝鮮通信使祭りが開催されるようになり、毎年、対馬の有志が対馬藩士の姿で参加している。
戦後、対馬では韓国との交流はほぼ途絶えていたが、通信使行列を通じて、地元住民の間でも島の歴史や日韓交流への関心が高まり、ホームステイ事業や国際交流音楽祭「ちんぐ音楽祭」、日韓のランナーが健脚を競う「国境マラソンin対馬」などが行われるようになった。現在では、釜山と対馬を結ぶ定期航路も就航し、年間で7万人以上の韓国人が島に訪れ、住民も韓国語を学習して観光客をもてなしている。
日本と韓国との間には、歴史問題など困難な課題が存在する。しかし朝鮮通信使行列振興会は、民間だからこそ出来る草の根レベルの交流を重視し、日本と韓国の善隣友好の歴史を人々に改めて認識させ、新たな交流を推進する大きな力となっているのである。