活動詳細
島根県 出雲市 1999年受賞
出雲歌舞伎「むらくも座」
地方歌舞伎を復興、工夫をこらした公演を通じて地域の活性化に貢献
代表:渡部 良治 氏
1999年6月更新
佐田町は出雲市の南に位置し、出雲神話の英雄スサノオ伝説が今も人々の営みの中に生きている、豊かな自然と伝統に恵まれた町である。神楽や須佐太鼓、歌舞伎など芸事の盛んな土地柄でもある。
大正時代から毎年、春と秋の祭りには町民が歌舞伎を上演してきたが、戦後、娯楽が多様化する中で歌舞伎の楽しみはいつしか忘れられていった。農村歌舞伎の貴重な伝統を再興しようと1975年、同町の青年団が中心となり「むらくも座」を旗揚げし、再び歌舞伎の灯をともした。爾来25年間、「むらくも座」のメンバーは廃校になった小学校の教室で、時には深夜に及ぶ練習を重ね、毎年11月の定期公演ほか町内外での活発な公演活動を行ってきた。
「むらくも座」は、20〜30歳代が多い若者集団である。同町の若者にとって歌舞伎は伝統芸ではあるが意外にかっこいいパフォーマンスでもあるようだ。それは同座が「スサノオ伝説」など地元ゆかりの演目を得意とする一方、若者にも理解できるように言葉やしぐさに工夫を凝らし、外国人に体験出演してもらう「国際歌舞伎」やロックバンドとの競演「ロック歌舞伎」など、新しい可能性に挑戦してきた成果であろう。
「むらくも座」のこうした時代に対応する努力や試みは、青年団を率いて、旗揚げ時から座長として、また役者、裏方として座を支えてきた渡部良治氏に負うところ大である。1949年生まれの氏の本職はデザイナーであり、同町の文化協会長も務めている。同時に見逃せないのは、1916年生まれの田部繁敏氏の存在である。氏は、昭和30年代まで続いた同町の歌舞伎座の元役者で、「むらくも座」発足にあたり、その豊かな舞台経験をいかして、古い台本の掘り起こしから、しぐさ・語りまで、若者を指導してきた人物であり、現在も矍鑠として活躍中である。こうした若者とベテランの幸運な出会いが、佐田町の伝統を継承しつつ、常に時代の新風をとりいれる柔軟な活動を可能にしてきたのであろう。
1998年9月1日、「むらくも座」はポルトガルのリスボン万博で、地元ゆかりの「日本振袖初・簸の川大蛇退治の段」を上演した。同座は種子島鉄砲隊など3団体と共に選ばれて、リスボンに赴き日本の伝統芸能を披露したが、1000席をこえる座席が15分で完売する人気であった。草の根の国際交流を、という同座の夢が実現された。
同座はこれまで「山陰歌舞伎フェスタ」、「中四国歌舞伎フェスタ」の開催や、隣町への演技指導など農村歌舞伎全体の振興を図る活動をしている。将来は広く関西や九州の農村歌舞伎を交えた「西日本歌舞伎フェスティバル」の開催や小学生のみの「子ども歌舞伎」、さらには外国人のみの本格歌舞伎の実現を目指している。
1999年4月、待望久しい練習場が新設され、新たな活動が始動し始めた。
飛躍の基盤は整った。