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サントリー地域文化賞

活動詳細

東北

宮城県 石巻市 1994年受賞

村上 定一郎氏(個人)
伊達政宗の慶長遣欧使節団が航海した木造洋式帆船を復元

1999年11月更新

写真
復元された
サン・ファン・バウティスタ号

 1993年5月22日、蒼く澄み渡る空の下、打ち上げ花火とともに、巨船「サン・ファン・バウティスタ号」が静々と北上の川面に滑り下りて行った。1613(慶長18)年、仙台藩主伊達政宗が国際貿易を夢見て、支倉常長一行をスペイン、ローマへ遣せた巨大な洋式の木造帆船が、その出航地石巻に甦った。全長55メートル、幅11メートル、3本のマストを持ち、最頂部は船底から48メートルにおよぶ、20世紀最大にして最後の木造帆船である。復元にあたっては、木造で原寸大、県内の船大工の手で石巻の造船所で建造するという史実に忠実な形で行われた。

 この船の復元は県民の長年の夢であったが、資料が極めて少ないこと、17億円近い総工費が必要なことなど様々な障害があった。しかし、何としてもこれを実現させようという気運が全県的に盛り上がり、地元市民や郷土史家、民間企業、自治体が一体となってこれらの問題を解決した。しかしながら、最大の難関は、木造船製造の技術を持つ人材を集め、実際にそれを造るという問題であった。鉄鋼船時代の現代において、そのような技術を持つ船大工はもうほとんどいない。その切り札となったのが、村上定一郎氏であった。村上氏は1908年生まれ、23年に造船所に弟子入りし、70年近くにおよぶ船大工人生で百隻以上の木造船を造った。多くの船大工たちに「棟梁中の棟梁」と尊敬され「大棟梁」の尊称を受ける船大工である。

 度重なる協力要請に、自身の高齢も忘れ意を決したものの、技術者の確保は大変な苦労であった。木造船製造の技術をもつ船大工は若くても60歳をこえ、皆現役を離れている。そのうえ経験があるといっても木造船は小さなものばかり。サン・ファン・バウティスタ号のような巨大船を造った経験は誰にもなかった。それでも昔の名簿を頼りにかつての船大工を一軒一軒自ら訪ね熱心に協力を要請。「棟梁中の棟梁」からの要請とあり37名が集まった。

 大棟梁は船大工全員の健康管理など、技術面以外の様々な細かい点にも気遣いを見せ大役を果たした。この大棟梁の存在なくして、この復元船は完成しなかったであろう。大棟梁は「今回の仕事は精神的にきつかった。だが、十倍以上の体験をさせてもらった」と淡々と語る。最大の思い出は、1992年10月の天皇、皇后両陛下のご視察だった。当日両陛下が船大工たちの側まで行きお声をかけられるという予定外の出来事に、明治生まれの大棟梁は、これほどの名誉と感激はなかったと振り返る。その時のことを大棟梁は歌に残している。

  大みかどみちのく里に恵さし
  伊達と常長ひかるおお船
              (棟梁定一郎)

 復元されたサン・ファン・バウティスタ号は石巻の海岸に繋留され、実際に乗船して往時の船内生活や航海の模様を体験することができる。付近一帯は慶長使節が訪れたイタリアの庭園をモチーフに「サン・ファンパーク」として整備され、サン・ファン号にちなんだイベントなどで多くの人々が訪れている。現代の名工の技と心意気が込められたサン・ファン・バウティスタ号は、これからも県民の夢を乗せて帆いっぱいに順風を受けていくことであろう。

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