活動詳細
宮崎県 美郷町 1994年受賞
南郷村 百済の里づくり
村の百済王伝説を核に、韓国との交流や「西の正倉院」建設などを推進
代表:田原 正人 氏
1999年11月更新
西暦660年、朝鮮半島の古代国家・百済が滅亡し、その王族たちが日本に亡命して来た。当初は畿内に住み着いた彼らであったが、その後の動乱に巻き込まれ再び追われる身となった。その王族が最終的にたどり着いたのが現在の南郷村であるといわれている。この村は宮崎県日向市から西に40キロ入った九州山地の山あいに位置する人口3千人足らずの小さな村であり、人々はこの王族のことを「百済王伝説」として語り継いでいる。
現在でも村の中心部にある神門神社では、百済王のご神体が祀られ、銅鏡24面や馬鈴・馬鐸などの遺品が収蔵されている。また、王族を祭る儀式である「師走まつり」が千年以上もの間村民によって受け継がれ、伝説を実証する手掛かりとなっている。今、南郷村で行われている「百済の里づくり」とはこの由来・伝説を核にした村づくりである。
1986年、村の伝説を改めて捉え直そうと、本格的な学術調査が行われた。国内はもとより、韓国にも調査団を派遣した結果、村の「宝物」が正倉院の御物と同一品を含む日本有数のものであることが判明。「師走まつり」も極めて古い形態を残した珍しい祭であることが分かり、91年には文化庁から無形民俗文化財に指定されることになった。これらの事実は村民を驚かせると同時に、彼らに村の文化に対する大きな自信を持たせることになった。これが、「百済の里づくり」を推進させる大きなエネルギーになっているのである。
もともと南郷村も日本の他の山村の例にもれず、過疎化と高齢化に悩まされていた村であったが、この活動が開始されて以来、大きく変化した。
一方韓国では、調査団を何度も派遣してくる南郷村に対する関心が高まり、いきなり180人のホームステイを村に対して希望してきた。突然の申し出に戸惑いながらも、何とか2度に分けて受け入れた経験が、この活動を一気に草の根レベルで定着させるのに貢献した。今や南郷村では、子供たちは普段でも「アンニョンハセヨ(こんにちは)」と挨拶し、若者たちは韓国の伝統芸能「サムルノリ」を演奏する。また、主婦たちが作るキムチは南郷村の特産品となっている。さらに、1993年に韓国で開催された大田万博でも、日本の自治体から唯一出展し、あわせて百済王のご神体を運んだ「千三百年目の故国帰り」は、韓国内で連日大きく報道された。当初、韓国で日本式の神事を実施するにあたっては不安の声も聞かれたが、百済の王族の霊を祭り続けた村民を、韓国の人々は熱烈に歓迎したのである。
村には、現地から技師を招いて建てられた韓国建築の物産館や観光名所ができて、年間十万人もの観光客が訪れる。それに加えてまた一つ、新たな試みがなされた。正倉院を寸分違わず再現し、村の宝物を一般に公開できる博物館にしようというのである。この「西の正倉院」は木材の調達から設計図の入手まで、数々の困難を乗り越え、1996年5月に完成した。
かつて中央政権から遠く離れたこの地に文化を持ち込んだ百済王たちは、千数百年の時を経て再び、過疎に苦しんでいた南郷村の村民に自信と誇り、そして活気を取り戻させたのである。