活動詳細
福島県 川俣町 1993年受賞
コスキン・エン・ハポン
阿武隈山系の山あいの町で、手づくりの中南米音楽の音楽祭開催
代表:長沼 康光 氏
1999年11月更新
南米アンデス山脈の麓にコスキンという小さな市がある。この市は毎年1月に「フェスティバル・ナショナル・デ・フォルクローレ」という中南米音楽の世界的祭典で賑う。
この「フォルクローレの祭典」が日本でも毎年行われている。福島市から南東へ車で1時間程、阿武隈山系の麓にある織物の町、川俣町という人口約1万8千人の小さな町で開かれる「COSQUIN EN JAPON」(コスキン・エン・ハポン)がそれだ。
日本版コスキン祭は、毎年10月の第2土曜と日曜の2日間開催される。1975年の第1回大会では出演者13組で1日だけの開催であった。92年には出演者数は、本場南米のスペシャル・ゲストをはじめ全国の愛好家160組600名、延べ6千名以上の観客が集まるまでのイベントへと発展。今や、川俣町は日本のフォルクローレの中心地として中南米音楽愛好家でその名を知らない者はないという。
開催事務局の中心は同町で織物業を営む長沼康光氏70歳。若い時から大の音楽好きだった長沼氏は、昭和20年代にラジオで聴いたフォルクローレの音色に感動、中南米音楽レコード鑑賞会を組織。1955年には「ノルテ・ハポン」(北日本中南米音楽連盟)が発足。73年、同氏の活動を知った埼玉の東出五国氏が電話でケーナ(南米の竹製のタテ笛)の生演奏を聴かせてくれ、彼らとの交流などからこの音楽祭は生まれてきた。
一方で長沼氏は1980年より、小中高生を中心とした無料のケーナ教室「アミーゴ・デ・川俣」を主宰。現在約40名の会員は各期生毎に週1回の練習を行い、「コスキン・エン・ハポン」への参加の他にも、近隣各地での演奏依頼も多い。
この祭では、観客の入場料はタダだが、参加者は出演料一人5千円を払う。だがこれには何と食事付宿泊料も含まれる。1日目の演奏は明け方まで続く。参加者を宿へ送るため、共催者である川俣町のバスとアミーゴ・デ・川俣父兄会の自家用車が朝方までピストン輸送。父兄会はスタッフとして活躍している。また町側も、会場の無償提供や産品即売コーナーの設置から駐車場の整理まで協力。まさに町を挙げての手作りイベントにまで拡大した。
ステージでは民族衣装をまとったグループが次々に登場。「コンドルは飛んでゆく」など数々の演奏が行われ、音楽にあわせて中南米の民族舞踊も披露される。フィナーレで演奏される「花祭り」では出演者も観客も全員が輪になって歌い踊る熱狂ぶりを見せる。
この音楽祭は当初ノルテ・ハポンに加盟する各県で行う予定だったが、阿武隈山系の山あいに位置する川俣町の雰囲気が本場アンデスを彷彿させるため、ずっと同町で開催されてきたという。駐日アルゼンチン大使や本家コスキン市の市長も訪れた。「祭りを開くから演奏グループが集まる。そして、もてなす人々のあたたかさに触れて再び訪れる。子どもも大人も一緒に楽しめる音楽。規模はいくら大きくなってもいい」と語る長沼氏。将来はコスキン市との姉妹都市提携など夢は広がる。川俣町がコスキン市と並んで「世界的な音楽の都」となる日も、そう遠いことではないだろう。