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サントリー地域文化賞

活動詳細

関東

埼玉県 秩父市 1993年受賞

吉田龍勢保存会(受賞時は「吉田町龍勢保存会」)
龍勢煙火の技術を継承し、町づくりの核として祭を保存・発展

代表:小池 英隆 氏

1999年11月更新

写真
龍勢の打ちあげ

 秩父の山間部。「東西、東西、ここに掛け置く龍の次第は……これを椋神社にご奉納」。口上が響き渡ると、轟音をあげながら、白煙たなびかせ、何やら得体の知れないものが天空を目指す。農民ロケット「龍勢」の祭である。龍勢祭は、延喜式神名帳に秩父神社とともに記された、由緒ある椋神社秋祭の付祭として、埼玉県吉田町に伝えられる。

 直径10センチの松の筒に火薬をつめたものを、長さ15メートルあまりの青竹にくくり付け、これを高さ20メートルに及ぶ櫓に掛けて点火すると、爆音とともに300〜500メートルも舞上がる。その姿が昇天する龍の姿に似ていることから、「龍勢」と名づけられたという。龍勢には仕掛けがなされ、上空で色煙幕や花火・唐傘を放ち落下傘で悠然と落ちてくる。

 一体いつごろから、何のために始まったのだろうか。日本武尊伝説を起源に、祭日には氏子が焚き火の燃えさしを高く投げたのが始まりだという説や、戦国時代のノロシから土地の農民が改良してきたものなど諸説伝えられるが定かではない。もともと秘法口伝として受け継がれ、詳しいことは分かっていない。国内では、静岡県の草薙神社(清水市)、朝比奈神社(岡部町)、滋賀県米原町などで見られる。また、国外では中国雲南省やタイのヤソトン市などで見ることができる。特にヤソトン市とは龍勢(タイではバンファイと呼ぶ)を通じて交流が深まり、1999年には姉妹都市提携を結んでいる。

 「龍勢」は戦争による中断をはじめ、戦後も何度か中断されていた。1965年に「龍勢保存会」が、神社の氏子総代を中心とした人たちで結成され、再開にむけてさまざまな試みがなされた。1972年に、このような努力が実り、8年間の休止の後、再開された。しかし、長期中断の後の再開は簡単ではなかった。とりわけ、過激派による活動が頻発していた当時、火薬の取り扱いは非常に厳しいものになり、県の工業保安課職員がつきっきりで見守りながらの再開となった。以来、保存会の活動により、毎年事故もなく打上げは続けられ、昨今は「龍勢のまち吉田」として定着、埼玉の奇祭、ロケット発祥の地として知られている。

 保存会は「龍勢」打ち上げ申し込みの調整を行ったり、進行を取りしきるほか、保存会会員が技術向上に向けた取り組みや起源を探る歴史的な探究を行っている。こうした保存会の活動に刺激を受け、町も積極的にこれを応援。「吉田の龍勢」を広く町内外に紹介するとともに、この伝統芸能を伝承保存するため1992年には「龍勢会館」が建設された。杉丸太をいかし、天井は合掌造り。また、龍勢祭を念頭においた道路の付設、さらには、「龍勢橋」の架設など、吉田町は官民あげて、この「龍勢」を現代にいかそうとしている。

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