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サントリー地域文化賞

活動詳細

中国・四国

愛媛県 内子町 1992年受賞

内子 歴史と文化の里づくり
伝統的町並みと村並みの保存・再生を核としたまちづくり運動

代表:河内 紘一 氏

1999年11月更新

活動紹介動画(1:53)
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写真
住民参加による村並み保存

 松山市から南西へ約40キロ、山間部に開けた内子の町は、明治期に地場産業の木蝋づくりが飛躍的に発展し、全国有数の出荷量を誇る巨大産業に成長、街道沿いにはどっしりとした土蔵や商家、豪商の邸宅が建ち並び、人々の往来で賑わった。しかし、電気やパラフィンの普及によって木蝋生産は急速に衰退し、深刻な産業不振と過疎化に悩む内子の町には、かつての繁栄を偲ばせる落ち着いた美しい町並みだけがひっそりと息づいていた。

 こうした中で、1970年代の初め頃から、古い町並みを保存しようという機運が芽生え、行政も次第にこれに応えていった。82年、往時の面影を色濃く残す旧街道沿いの地区が重要伝統的建造物群保存地区として国の選定を受けると、町並み保存に地域の再生と活性化を賭けて町は大きく動きだしたのである。

 ひとくちに町並み保存といっても、住居は個人の資産と生活の快適さに関わる大きな問題であり、町並み保存はいわば「公」と「私」の接点にコンセンサスを築くための住民運動である。伝統的な家屋は、現代のライフスタイルにそぐわず、自動車や電化製品の利用にも不自由である。内子の場合には、道路に面した外観保存に重点を置き、奥の生活スペースは個人の自由に任せることで保存と生活の両立を図った。江戸時代の商家に住む人は、ガラス戸を出格子窓と障子戸にかえ、袖壁も修復した。「髪匠」という簡素な看板を掲げ、格子戸と格子窓の奥で仕事を続ける美容院もある。古い民家や商家のリフォーム事例として、町営の木蝋資料館や商いと暮しの博物館、町家資料館なども設置された。そして、住民の理解と協力によって建物の修理・復元が進むにつれ、電柱や道路沿いのゴミ箱が撤去され、ブロック塀や金属フェンスが土塀や生垣にかわるなど、周囲の建物に調和した美しい町並みが再生されていった。

 1985年には、内子のシンボルともいえる大正期の歌舞伎劇場「内子座」の復元がなった。ここでは、「内子座社中ふれだいこ」をはじめとするさまざまな自主グループや町の主催で、歌舞伎や東京の劇団、落語家などの公演が行われ、文化活動の拠点として活用されている。また、歴史的環境保全で国際的に有名なドイツ・ローテンブルグ市長を招いた「内子シンポジウム'86」や日独米加4ヵ国の専門家も参加した「甦れ内子の森シンポジウム」、ドイツやスイスの先進事例に学ぶ「国際水辺環境フォーラム'94」などを開催し、まちづくりに役立てている。

 さらに周辺山間部では、これまでの蓄積をいかして、日本の原風景とも言える美しい農村の姿を甦らせようと、新たに「村並み保存」が始まっている。水車小屋や茅ぶき民家の復元、農家住宅を再生した民宿「石畳の宿」の運営、河川の整備や照葉樹の植林など、自然と調和した村の景観を保存・復元し、町中心部の保存指定地域の枠組をこえたまちづくりを展開している。

 単なる見せ物のための保存ではなく、生活の場としての地域の美を求めて、20年以上にわたり、住民と町が話し合いと試行錯誤を重ねてきた内子町。その町並みには、人々の郷土愛と地域の歴史と文化が反映されている。

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