活動詳細
島根県 隠岐の島町 1988年受賞
隠岐古典相撲大巾会
地域の連帯を育む、島をあげての古典相撲の復活
代表:永海 治 氏
1999年11月更新
島根県の沖合に浮かぶ隠岐島は、古くは後鳥羽上皇、後醍醐天皇をはじめ多くの貴人が流され、島内には歴史的な旧跡や風俗、郷土芸能なども少なからず残されている。発祥は詳らかではないが、長年にわたって隠岐の人々の楽しみの一部として伝えられてきた古典相撲もそのような伝統行事の一つである。
古典相撲は学校の開校、公共工事完成などの慶事がある度に、その慶事を祝う神事相撲として開催されてきた。近年では1999年10月にダムの竣工を祝って、第10回隠岐古典相撲大会が開催された。慶事があった地区及びその近隣地区が「座元」、その他は「寄方」と呼ばれ、島が「座元」と「寄方」の二つに分かれて、夜を徹した相撲大会が催される。
古典相撲の開催が決まると、「座元」「寄方」の各地区代表がそれぞれ集まって、大関、関脇、小結の「役力士」を選考する。この選考会も徹夜相撲の前哨戦と言えるほど延々と続き、役力士が決まるのはたいてい深更に及んでからである。役力士に選ばれることは「オリンピック代表選手になることくらいの名誉」だという。選ばれた役力士は、潔斎した後、然るべき使者を立て、口上を述べて島内に伝わる由緒正しい「大巾(化粧廻し)」を借りにいく。また相撲大会までは、役力士を中心に1カ月近く毎晩「地取り」(稽古)が行われ、婦人たちは夜食(ちゃんこなど)をつくり、稽古のあとは老若男女がなべを囲んで世代をこえた交流がなされる。
いよいよ、大会当日。相撲甚句が島内にこだまする。朝早くから、塩振りを先頭に、晴れ着を肩にした力士たちが行列をつくって役力士の自宅へ向かう。役力士は斎戒沐浴して身を清めた後、地区の力士を引き連れ、氏神を参拝し、必勝を祈願してから入場する。行司が口上を述べると、徹夜相撲の幕が開く。チビッ子相撲、年代別相撲、5人抜き相撲など、変化に富んだ取組が300番も取られる。それらが終わると役力士登場のクライマックスを迎える。役力士は、3千人をこえる観衆の大声援の中、渾身の力を込めて対戦する。大一番が終わると、両力士は再び土俵に上り相撲を取る。これが隠岐独特の「人情相撲」である。負け力土はその相撲では必ず勝ち、面目が施されるのである。これは相撲で島中が興奮しても、しこりを残さないための生活の知恵ともいえよう。
役相撲が終わると、土俵横の杉の柱が抜かれ、役力士は若者たちに担がれた杉の木にまたがって、神聖な土俵から自宅まで足の裏を汚すことなく凱旋行進する。杉の柱が名誉ある賞品なのである。
大巾会は一旦衰退しかけた古典相撲を見事に復活させた。神事相撲の中に見られる儀式的要素を蘇らせ、相撲を通して地域の連帯が育まれるような工夫が随所にほどこしてある。役相撲を取った相手とは一生の絆で繋がれるという。遠い過去のものになろうとしている「ふるさと」の人々の連帯が文字通り「裸のつきあい」を通じ実現されている。