活動詳細
新潟県 小千谷市 1984年受賞
片貝 花火まつり
住民挙げての花火祭によって、ふるさとへの郷土愛を育てるコミュニティ活動
代表:本田 正憲 氏
1999年11月更新
「雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に洒ぎ、雪上に曝す。雪ありて縮あり」と、『北越雪譜』に記された越後縮。その産地として知られた小千谷市の一角を占める片貝町は、何の変哲もない雪国の田舎町である。この町が1年に1度だけ、近郷近在の人々を集めて沸き返る。9月9日、10日の花火まつりである。
長く厳しい冬の間、雪にとざされる町民の最大の楽しみが花火まつりであり、この日ばかりは、県外に出ている人々も一斉に帰郷する。いなせなハッピ姿で木やり音頭をうたい、男も女も御神酒をラッパ飲みしながら町内を練り歩き、朝から深夜まで、次々と打ち揚げられる多彩かつ豪華な花火に欣喜雀躍、陶然と酔いしれる。
片貝花火まつりの起源は古く、幕府の天領であった江戸時代にさかのぼる。浅原神社の祭礼に、町民が各自の家で花火をつくり奉納したのが始まりである。その花火好きの伝統は綿々と受け継がれ、今も冠婚葬祭、ことあるごとに花火が打ち揚げられる土地柄である。
当時、世界最大級の花火と言われた“三尺玉”(空中で開く花の直径600メートル)を、最初に打ち揚げたのは、実に明治初年のことであった。以来、大型花火発祥の地としての誇りは高く、1985年には世界一の大玉“四尺玉”の打ち揚げに成功。直径800メートルの大輪の花を咲かせ、片貝町民の花火に懸ける意地を見せた。
実はこの四尺玉成功の陰には、83、4年、2度の手痛い失敗とその経験があった。それにしても当時一発250万円と目され四尺玉打ち揚げの再度の失敗にめげず、世界最大の花火に挑戦しつづけた、片貝の風土は見事といえよう。
片貝花火まつりの最大の特色は、住民の一人ひとりが身銭を切って打ち揚げるところにある。したがって、一発ごとにそれぞれの熱い思いが込められており、それは当日のプログラム「花火番附」に紹介される。“初孫誕生記念”から“祝誕生日”“祝結婚”“健康祈願”“父母追善供養”にいたる各家庭の様々な願い、祝いごとがある。また中学校のクラス会や同窓会のグループからは、成人祝い、33歳・42歳・50歳の厄落とし、還暦祝い、古希祝いなどの大花火が揚げられ、同窓生が集まって恩師を交えて旧交をあたためる。花火を介して人が集まり、花火を通じて交流を深める、ユニークなコミュニティ活動である。
大空をキャンバスとして繰り広げられる火の芸術を鑑賞する町民の肥えた目が、片貝の花火の芸術性・技術力を磨き上げる。新潟県下はもちろん、全国各地さらには海外からも打ち揚げの依頼があり、花火の輪を広げている。
越後の深く厳しい雪と越後人の熱い心意気が、美しい「小千谷縮」を生み、華麗な「花火まつり」を育てたといえよう。