サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > サントリー地域文化賞 > 地域別受賞者一覧 > 江差追分会

サントリー地域文化賞

活動詳細

北海道

北海道 江差町 1982年受賞

江差追分会
江差追分の保存と普及を通じ、文化を核とした町づくりを推進

代表:若山 昭夫 氏

1999年11月更新

活動紹介動画(02:00)
動画を観る
写真
江差追分会

 「さいはて」の悲愁と情念を訴える江差追分、その起源については種々の説があるが、いまのところは、古い時代、信州上佐久地方に生まれた馬子唄が越後、秋田を経て松前、江差に伝わったというのが定説となっている。

 江戸時代、江差の町はニシンの大漁場として栄華を誇り、「江差の五月は江戸にもない」と謳われ、文人墨客の来訪も多く、北前船の往来もあって、いまでも旧家のたたずまいなどに京都の香りを残している。追分もニシン景気に沸くなかで年と共に磨きがかけられ、天明年間にいまの江差追分の原型ができたと伝えられる。ところが、明治中期になってニシンの群来がとだえ、江差の町に深刻な衝撃を与えた。

 急速に寂れはじめた町をみて町民の間に「ニシンは去っても、追分は残さねば」という気運が高まり、研究会、同好会など追分の保存、伝承に取り組む動きが強まってきた。

 江差追分はもともと音律の比較的自由な、そして極めて複雑な節回しを持つ唄で、十人十色の唄い方があり、そのままでは崩れてゆくおそれがあった。そこで正しい追分を残そうということから、1935年、町ぐるみで「江差追分会」が発足し、各流派をこえて統一した曲譜を作り、研修を強化し、普及につとめた。

 1963年からは全国大会が始められ、152支部(海外五支部)、4500人のなかから選ばれた280人の代表が、2日間、20時間余にわたり町の文化ホールで1500人の聴衆を前に熱唱を続ける。節回しの微妙な出来、不出来に拍手が湧き、吐息が漏れる。聴衆全体が審査員ともいえる。正調追分を守ろうという研修の場でもある。83年には、大会史上初めてイギリスの女性が壇上で切々たる哀調を帯びた江差追分を唄い、特別賞を受賞したが、日本の情念が西洋人の心にも触れるものだということを示した。

 1982年4月には海岸通りに、追分の系譜を語る資料展示室、来道する研修者の為の研修室、練習場を完備した1200平方メートルの「江差追分会館」が完成した。同時に江差追分の記念誌を刊行、これは追分の源流、江差の郷土史、年表などの資料を広く集めて、江差地方の民俗、歴史集大成ともいうべき労作である。

 1990年には世界追分祭を開催。追分に似た旋律の歌をもつ民族を招聘し、民族のつながりと追分のルーツを探る試みを実施。99年4月にはブラジル支部設立10周年を記念して使節団を派遣。同9月には国際交流大会を開催するなど、活動は世界に広がっている。97年からは、従来の全国大会を、中学生までの少年の部、65歳以上の熟年の部を加えた3部構成に形を変え、99年3月には江差追分会再興50周年記念誌を発刊するなど、その活動はますます充実したものとなりつつある。

 江差追分はニシンが去った後も、江差の町を支える大きな力として、保存会のもと、いまも北海の町に流れている。

サントリー文化財団