活動詳細
広島県 福山市 1982年受賞
日本はきもの博物館
古今東西1万点以上の履物を展示し、太古からの暮らしを伝える博物館
代表:丸山 万里子 氏
1999年11月更新
下駄の産地として全国に知られた福山市松永町、かつては波静かな瀬戸内に面する塩田から塩を焼く煙がたなびく静かな村里であった。この地で1878(明治11)年、丸山茂助氏が下駄づくりに手を染めたのが、後年「下駄の町」として、松永の名をあげるはじまりである。その後、塩積み船の帰り船を利用して下駄材を入荷するなど、量産化に伴うさまざまな工夫が加えられ、松永の町はそれまでの塩と藺草づくりだけでなく、日本の下駄の6割を生産する下駄の大産地に発展した。
この松永での下駄づくり100年を記念して1978年に設立されたのが「日本はきもの博物館」である。古くは弥生人が水田の上を履いて歩いた「田下駄」から、近くは月世界に足跡を残した宇宙靴に至るまで、古今東西1万3千点に及ぶ収蔵品を体系的に分類、展示している(このうち、2266点が、国の重要有形民俗文化財に指定されている)。研究機能も充実し、展示方法もハイレベルのものとして専門家の評価が高い。
敷地面積3314平方メートル、建物総面積1735平方メートルの堂々たるこの博物館は、初代丸山茂助氏から数えて4代目、丸山茂樹氏が私財を投じて設立した。
松永の下駄生産は昭和30年頃をピークに、国民の生活様式の変化とともに下降の一途を辿らざるを得なかったが、先人たちの努力の歴史を後世に残したいという思いがこの博物館設立の原動力となった。
1988年の10周年記念事業として、「世界のはきもの -歴史-」コーナーを新設。古代エジプトからアール・デコまでのヨーロッパの靴の変遷を展示している。98年の20周年記念事業として、はじめて海外との交流展をおこなった。トロントにあるバーク・シュー・ミュージアムから資料を借用し、「靴は魅惑する Fascinating Shoes〜ドレスの裾から飛びだして〜」を開催。94年には同敷地内に「日本郷土玩具博物館」を併設。労働を助ける道具としての「はきもの」と、心の安らぎを与え、暮らしの平安の祈りを託す「郷土玩具」の二面から民俗文化財の保存と展示をはかっている。99年には、当館の資料を貸出した「日本のはきもの」展がカナダで開催された。
日本はきもの博物館を訪れる人は、年に2〜4回の特別展を含め、年間5万人にものぼり、今や観光・学術の両面にわたって、広島県を代表する博物館となっている。この博物館は、ただ履物・玩具への郷愁をかきたてるだけでなく、太古から今につながる人びとの暮らしを伝え、訪れる人びとに感動を与えている。
なお丸山茂樹氏は1996年6月に逝去され、万里子夫人が事業を継承されている。