サントリー文化財団トップ > 40周年記念事業 > フォーラム「文化がひらく地域の未来」レポート(第1部 飯尾潤氏講演)
本日は、サントリー地域文化賞が41回を超えて、それを支えているサントリー文化財団が40周年を迎えた記念のフォーラムです。サントリー地域文化賞がどういう賞かと言いますと、各地のさまざまなお祭りや、地域の皆さんがされている文化活動の中で、こういう素晴らしい活動がありますよということを、ひろくお知らせするために差し上げているものです。ほかの活動と比べて優れているというのではなくて、我々選考委員が、「あぁ、とてもいい活動だ」「皆さんの地域でもやってみてはどうですか」と思ったものを選ぶ賞です。
こういう賞を差し上げる団体は時代とともに少しずつ変わってきました。40年前であれば、村おこし、町おこしに文化を活用しようというのは珍しい活動でした。本格的な西洋音楽を地方で演奏する活動もあまり多くはありませんでした。そういうところに賞を差し上げていたこともありましたが、最近になると、まったく珍しいものではなくなってしまいました。
伝統的な郷土芸能や祭りにも賞を差し上げています。でも、例えば、岸和田のだんじり祭りや京都の祇園祭りのような、誰でも知っている立派な活動に今さら賞を差し上げても、ということにもなっています。ですから、伝統的なものだけれども、独創的な工夫をして活動を継続しているとか、新しいことを取り入れて元気になったというようなところに賞をさしあげています。
新しいお祭りを創造するという活動にも賞を差し上げています。高知の「よさこい祭り」は昔からあるように思う方もいると思いますが、戦後に生まれたものです。それを見た若者が感動して、北海道で「YOSAKOIソーラン祭り」を始める。これは、ごく最近のことです。ところが、さらにそれを見て、「じゃあ、うちのまちでも始めよう」ということになって、全国各地に「よさこい何々」というものが生まれています。
自分たちのまちにホールができたから、何か催しものをしたい。でも、どこででもやっているものは面白くないと言って、富山のあるまちで、ワールドミュージックの祭典、「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」が始まりました。福島の小さな町では、中南米の音楽、フォルクローレの祭典が行われています。これらの活動は、伝統的な祭りではなく、自分たちで創りだした新しいお祭りです。
地域文化というとお祭り的なものに目が行きがちですが、それだけではありません。何もない砂浜を美術館に見立てた「砂浜美術館」というものがありますが、これも立派な地域文化だと思います。また、地域のよいところを研究しようという活動にも賞を差し上げていますし、高校生が地元の食材を使って料理をするという活動も受賞されています。
我々が素晴らしいなと思う活動はたくさんありますが、基本的にはその地域に暮らす人々が協力して文化活動を行っているものばかりです。そうすると活動を通じて、様々な経験をすることができる。その活動があるからこそ、地域で暮らすことの意味を実感できるというものです。
このフォーラムは全国5か所で開催してきました。昨年の秋、福島で開催したのは、台風で福島県が大きな被害を受けた1週間後でした。開催するべきか迷ったのですが、地元の人たちに相談すると、こういうときですからこそ、ぜひ来てくださいとおっしゃいました。それで今日のような講演と鼎談を行ったのですが、最後に、参加者の方からこんなことを言われました。「東日本大震災の後、お祭りの音を聞いたときに、涙が出てとまらなかった。それがどういうことなのか、今日来て、はじめて分かった」と。
たいへん嬉しいお話でした。お祭りというのは、自分たちがそこで暮らしているということを実感させてくれる機会です。震災の後、とても苦しい暮らしをしているなかで、お祭りの音が聞こえてくる。日常が戻ってくる。そこで暮らしていることの喜びを実感できる。だから涙がでたのだと思います。苦しいときだからこそ、こういう文化活動によって力がでるのだろうと思います。
伝統的なお祭りや芸能の中には、過去の苦難を乗りこえた後に、その記憶をもとに行われているものもあります。楽しいからやるものではあるのですが、続けているうちに、地域にとってかけがえのないものになってくる。続けたいと思う。それが地域文化活動だと考えています。
サントリー地域文化賞は毎年、5件くらいに差し上げておりますので、これまでの受賞団体は200件を超えます。ところが、長年、賞の贈呈を続けていますと、続けられなくなった、苦しくなったということを聞く機会が増えてきました。地域文化活動が続けられなくなったときに、どんなことを考えればいいのか。「地域文化 続けるヒント」というのが本日のテーマです。
どうしてその地域文化活動を続けるのが難しくなったのか、ということです。我々は「地域文化の未来を考える研究会」というのを2年くらい続けて、受賞者の皆さんにお話しを聞いたり、アンケートをとったりして調べました。地域ごとに事情が違いますし、活動の性格にもよりますが、だいたい大きくわけて3つくらい難しい事情があるように思われます。
第一は、日本列島を覆っている少子化高齢化、人口減少によるものです。たとえば、子どもが中心の祭りなのに、村から子どもがいなくなった。お年寄りばかりになって、活動を支えるのが大変になってきた。昔は大勢の観客が集まっていたけれど、最近は観る人もほとんどいなくなってしまい、張り合いがなくなった。そういうことが起きています。
もうひとつは、世の中の変化です。農業も含めた地域の地場産業と密接に結びついたお祭りや文化活動があります。ところが、そういう地場産業が衰退したり、あるいは機械化によって、以前とは全く違ったものになり、どうしてそのお祭りが存在するのか、そういうことをするのか、分からなくなってしまっています。担い手であったその産業の従事者がいなくなり、担い手不足になるということも起きています。
市町村合併も大きな問題です。以前は町を挙げて応援してくれていたのに、合併で役場との関係が遠くなり、その活動だけを特別扱いして応援するわけにはいかないと言われてしまう。ホールも地元だからと言って優遇してくれず、抽選になってしまって、毎年同じ時期に行っていた活動がしにくくなってくる。そういう市町村合併による悩みがあります。
人々のつながり方も変わってきています。以前は、地域の人が寄り集まって楽しみを共有していたのですが、今は、インターネットで全国の人がつながっています。好きな人同士が集まるのは、地元でなくてもよくなっているのです。力のある人は全国を舞台に活動するようになり、長年地元で養われてきた技能が失われてしまうということも起きています。
3番目は、活動が長期化してくたびれるというものです。始めたころは楽しくて仕方がなくて無我夢中だったけれど、30年40年経つと、メンバーが年をとってくるし、毎年毎年続けるのがしんどくなってきた。周りの期待が高すぎて、それに応え続けるのが苦しくなってきたというものです。また、長年続けてきたけれど、後継者がいないというものもあります。活動を始めたときのリーダーというのは、カリスマ的な方が多いのですが、そういう方が歳をとってくる、あるいは、亡くなってしまった場合はとくに深刻です。
では、どうすればいいのか。我々の研究会では、長年続いているお祭りや地域文化活動は、これまでに多くの危機を乗り越えていますから、そういうところの知恵を聞き取りました。これからお話をするのは、我々が様々な方からお伺いした「続けるヒント」です。ただ、ひとつだけ先に申し上げておかないといけないのは、万能薬というのはない、ということです。活動は様々ですし、各地の事情も異なります。でも、たまたまこれは役に立つというものが見つかるかもしれないと考えて、『続けるヒント』という冊子を作りました。この冊子のなかで紹介している知恵のいくつかを、これからお話します。
まず、担い手不足の問題です。活動の担い手といっても様々です。舞台で歌ったり踊ったり演じたりする人たち。裏方さんたち。我々も最初は気づかなかったのですが、楽しんで観ている方たちも、ある意味では地域文化の担い手なんですね。それぞれに分けて考えないといけません。
ひとつは歌ったり演奏したり、お神輿を担いだりする、パフォーマンスの担い手です。これはある程度の人数がいないとどうにもなりません。ある地歌舞伎の保存会では、歌舞伎というと何か難しい感じがするようで、誘っても、自分にはとてもできないと断られてしまっていました。そこで考えたのが、「3年だけやってください。3年たったら、やめてもいいですから」と言って誘うのです。多くの人にとっては、一度やるとなったら、ずっと続けないといけないだろうから、大決心が必要です。だから、やってみたいと思っていても、二の足を踏む人が多いのです。ところが、3年で辞めてもいいのなら、ちょっとやってみようかなと思う人がけっこういるそうです。
1年目は誰でもできるような役、2年目は一挙に主役級の役、そして3年目は裏方としてその主役の後見役をしてもらうという仕組みもつくりました。3年でやめてしまう人もいるのですが、その間に、ほかの人たちがやっていることをみながら、自分はこれをやってみたいというものがみつかって、そのまま続ける人もでてくるそうです。また、10年、20年後に、あの頃は仕事や子育てで忙しかったけれど、時間ができたから、またやってみたいと言って戻ってくる人もいるそうです。昔経験したことで、面白さが分かっている人がいる。軽い気持ちの人を巻き込んでいく。地域にそういう人を増やすことが大切なのだと思います。
地域に子どもがいないのであれば、都会やよその地域の子どもたちを呼んできてやってもらうという方法があります。来てくれた子どもを大切にして、川遊びをさせたり、夏祭りに参加させたりする。そうすると田舎を持たない都会の子どもにとっては、田舎ができることにもなります。何十年もこういう交流を続けているある活動では、最初に呼んだ子どもたちの子どもが、その祭りに参加している、というようなこともおきています。親御さんたちも必ずついてきますから、これは過疎に悩む地域にとっては、交流人口が増えることにもなります。ただ交流するだけではなくて、第二のふるさとになるような交流です。最初はお祭りのためにやっていたことが、地域の活性化にもつながっているのです。
また、我々は〝中核メンバー〟と呼んでいますが、裏方の中でも、年間を通じて準備をしているような担い手不足が深刻です。当日だけですと、楽しいのでけっこう手伝ってくれる人はいるのですが、イベントのためにご迷惑をおかけしますといろいろなところに挨拶にいったり、警備の手配を整えたり、案内状などの発送をしたり、お金の算段をしたりという面倒な仕事をやってくれる人がなかなか集まらない。実際にやっているのは、とても熱心なひとたちばかりです。ところが、長年やっているとくたびれてくる。そういう人たちの代わりがないのです。人前で踊る人や、当日だけのお手伝いは誰でもできるのです。でも、いろいろ仕組みを知らないと裏方の仕事はできない。地元の顔役でないと務まらない。他の人には任せられないと思って続けてきたけれど、いつまで続けられるか分からなくなってきた。
いろいろ聞いてみますと、結局のところ肝心なのは、一人で抱えこまないようにすることなのです。自分にしかできないと思っていたことも、人に任せてみれば、なんとかなるのです。人には得手不得手がありますが、中にはスーパーマンのように、何もかも一人でやっている人もいます。でも、経理の部分はそれが得意な人に任せ、交渉事が得意な人にはそちらを任せる。それでずいぶん楽になったという話も聞きました。
同様に、今の世の中、インターネットで情報発信をしないといけないのだけれど、高齢者ばかりでできないと思っていた。でも、都会からやってきている人に相談したら、ホームページをつくってくれた。電話をして、今年のお祭りの日程を伝えたら、それをホームページに載せてくれる。これも立派な裏方の仕事ですが、別にその地域の人でなくてもできるのです。内と外との役割の分担を見直すことが大切なのです。なんでも内側で抱え込むというのではなくて、外の人にも役割を分担してもらう。今はみんな携帯電話を持っていますので、誰とでもすぐに連絡することができます。昔とは違うのです。地元に住んでいなくてもできることはありますし、地元でも、全く違うことをしている人にも手伝ってもらうことができるのです。
そんななかで一番深刻なのは、リーダーの交代です。特にカリスマリーダーがいなくなったときが問題です。この研究会で各地を訪ねて行って、何が嬉しいかと言うと、こういう地域文化活動のリーダーをされている方は、本当に魅力のある方ばかりで、そういう方に出会えることなのです。人生の知恵がつまっているように感じて、話をしていると魅せられてしまいますし、こういう人だから地域のみんながついていくのだろうなと思います。そういう人であればあるほど、その人の後継者になれる人が誰もいない。でも、それでは続けられないのです。 二つのやり方があります。ひとつは、だれでも考える集団指導です。でも、意外にやるのは難しいのです。無責任になってしまうからです。集団指導で一番うまくいくように思えたのは、昔からのお祭りでよくある当番制です。中心のメンバーが10人いたら、1年交代でリーダーをする。10人いても、全員が同じくらい能力が高いわけではないですが、今年の当番がちょっと頼りないと思えば、かえってみんなが手伝う。周りがなんとかしようとする中で、全員の力があがっていく。それでなんとかなるのです。
もう一つは、世代を超えた継承です。多くの場合、カリスマリーダーの後は、そのナンバー2だった人を選びますが、これはなかなかうまくいかない。前のリーダーのようにはできないし、ナンバー3とかナンバー4との軋轢もあります。驚いたのは、カリスマリーダーの子どもや孫の世代をいきなりリーダーにしているところがいくつもあったのです。子どもや孫の世代になりますと、カリスマリーダーと同世代の人たちは、どうしてあいつがリーダーなんだと怒る気持ちもなくなり、むしろみんなで育ててやろうと思います。大切なのは、それまではリーダーの力でできていた活動を、みんなが団結して、みんなの力でできるようにすることなのです。
もうひとつ気をつけないといけないのは、規模拡大の罠です。毎年、NHKのニュースに取り上げられてまちの誇りだ。今年は10万人集まったから、来年も頑張ってください、と言われる。これが苦痛になってくる。その催しが近づいてくると昔はわくわくしたのに、最近は胃が痛くなる。これは、よくないことだと思います。楽しむためにやっているのに、プレッシャーで苦しむというのは本末転倒です。地域によっては観光の目玉になっています。しかし、観光というのは、楽しい催しに人が集まるものです。苦しみながら嫌々やっているものに、いつまでも人は集まりません。集客などに拘るのはやめたほうがいい。また、お客さんのために気をつかいすぎて、自分たちが楽しめなくなってしまうのもよくないと思われます。本当のお客さんは、観ることが楽しみなのですから、多少の不自由があっても我慢してくれるものなのです。広島のフォーラムでは、お客さんだと思っていた観客こそが、活動を支える原動力なのだという話も出ました。
そうなってくると、本当に大切なのは、自分たちの活動の本質は何かということを考えることです。ずっとやっていると始めたころの気持ちを忘れてしまう。リーダーに任せきりになっていたり、逆に分担してやっていたりすると、細かいところが分からなくなってしまう。そういうときにお勧めするのは、〝活動の棚卸し〟です。孫氏の兵法に、「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」という言葉があります。ところが地域文化活動には、別に敵はいないのです。大切なのは、己を知ることです。棚卸しをして自分たちの活動を見つめなおす。自己認識をする。そうすると、自分たちの活動が苦しくなってきたときに、これは残すけれど、これは変えてもいいということが分かってくる。活動を継続するための道筋が見えてくるのです。 伝統的なお祭りや芸能でも、昔のままやっているところはほとんどありません。多くは時代とともに少しずつ変えているのです。当時流行していたものを取り入れて、長らく続けていたら伝統になったわけですが、始まったときは新しいものだったのです。変えることは何も悪いことではないし、本質はなにかということを自分たちが知っていればいいのです。
地域文化活動が、地域をつくります。地域とは、地図上のものではなくて、自分が暮らしているという実感のあるところです。風景や地元の産業などもその実感を支えていますが、文化活動もそのひとつです。ある季節になると毎年やっている催し。地元の小学校でずっと教えているので、この地域の人は誰でもできますよというような芸能。そういうものによって、地域の暮らしに豊かさが生まれるのです。
このフォーラムのひとつで、富山に行ったときの議論で、東京が羨ましいなどと思っている限り、決して豊かにはなれない。地元にはこんなにいいものがあるということに気付いた瞬間に、心が豊かになる。地域の良さというのはかけがえのないもので、よそに行っても味わえないもの。その一つが地域文化活動だという話がありました。そういう地域文化活動を続けることが、地域にとっても大切なことなのだと思います。
地域文化活動は、楽しいからとか、どうしてもやりたいというやむにやまれない気持ちからするものです。これが一番大切なことです。観光や地域おこしの手段にしてしまうと楽しみが減ってしまいます。地域文化活動は、それ自体が目的で、手段ではないのです。今、地域文化活動をなさっている方は、ぜひ、楽しんでやっていただきたい。そして、まだやったことがない人は、地元の催しにちょっと参加してみてください。そうすれば人生はもっと楽しくなるし、地元も豊かになるでしょう。とにかく、楽しみましょう、ということです。
飯尾 潤(いいお じゅん)
現代日本を対象に、国と地方を問わず、政治・行政・政策に関して幅広く研究。「東日本大震災復興構想会議検討部会」会長などを歴任。サントリー地域文化賞選考委員、「地域文化の未来を考える研究会」代表。