SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
谷真海の「チャレンジ、再び」第1回「可能性がある限り、挑戦はやめない」
4年に一度のパラリンピックへ、私の中の「時計の針」が再び、少しずつですが動きだそうとしています。
3月8日と15日、それぞれアブダビ(アラブ首長国連邦)とデボンポート(オーストラリア)で開催されるパラトライアスロンの国際大会にエントリーしました。本格的なレース参戦は、2021年夏の東京パラリンピック以来となります。
この間に、年齢を重ね、22年夏は第2子の次男を出産したことでトレーニングもいったんリセットしていました。約2年半のブランクがあり、現在は日本トライアスロン連合(JTU)の強化選手から外れ、今夏に迫るパリ・パラリンピックの選考ポイントもゼロです。まさに、何もないところからのリスタートで、復帰=パラを目指すとまでは言い切れませんが、出場できる可能性が少しでもあるのなら、チャレンジしてみようという前向きな気持ちで復帰を決めました。
ですから、今は頭の中に「パリ」が大きなウエートを占めているわけではありません。過去4度(2004年、08年、12年、21年)のパラリンピックよりも肩の力が抜け、できるところまで頑張ってみて、結果はあとからついてくれば、と思っています。とはいえ、ここからはタフな日程が待っており、生半可な気持ちでは乗り切れません。
3月の2レースを皮切りに、4月も1レースに出ることを模索し、5月は自国開催で選考レースの大きなポイント獲得が期待できる横浜のレースと、さらに海外でも1レースに出て、6月にはアジア選手権のあるフィリピンへ、さらにもう1レース出場するプランを立てています。パリ大会の出場権をかけた選考レースは昨年7月からスタートしていますが、私はここから約4カ月の"短期決戦"に照準を定め、体力も気力も振り絞っていきたいと思っています。
「TOKYO2020」は日本社会が多様性と向き合う大きな契機にもなり、パラアスリートにとっても、支援してくれる企業が増え、競技環境も大きく改善されました。私自身は2013年の招致活動から携わり、開会式では日本選手団の旗手を務めさせていただくなど、かけがえのない経験ができました。
大会後はスポーツ情報番組に出演し、たくさんのアスリートにインタビューする機会にも恵まれ、自らの限界にチャレンジするアスリートに刺激ももらいました。こうしたこともあって、長く競技人生を送れるように転向したトライアスロンで、またどこかのタイミングでレースに参戦したいと思っていました。
産後2カ月からトレーニングを再開し、ようやく「腕試し」ができるところまでコンディションを上げてくることができました。まずは3月の2レースで実戦感覚を取り戻すことからスタートだと思っています。
東京大会に続いて、今回も家族がサポートをしてくれます。夫に今回のチャレンジのことを相談すると、「家族みんなで(チャレンジを)楽しもうよ」と背中を押してくれました。長男は小学2年になって随分と成長しましたが、次男はまだ1歳半。私が海外遠征で家を空けると、夫は自分の仕事もある中で相当大変なはずですが、そんな素振りを見せません。
2年半の間に、海外勢の顔ぶれは東京大会から様変わりしています。そんな中で、どこまでチャレンジできるか。期待と不安が入り交じる中での再びのチャレンジに胸が高まっています。
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このコラムでは、アスリートたちの無限大の可能性への挑戦を応援する「サントリー チャレンジド・スポーツ プロジェクト」の取り組みと合わせて、私自身の日々のスポーツとの交わりや楽しさを綴ります。(掲載不定期)