サマーフェスティバル2015 サントリー芸術財団

第25回 芥川作曲賞選考演奏会

The 25th Competition of Akutagawa Award for Music Composition

btnEnglish

第25回芥川作曲賞は、坂東祐大氏の作品「ダミエ&ミスマッチ J.H:S」に決定しました!

芥川作曲賞について

「芥川作曲賞」は、作曲家・芥川也寸志氏(1925-1989)の功績を記念して、1990年、(財)サントリー音楽財団(2009年公益財団法人サントリー芸術財団に移行)によって創設されました。国内外で初演されたわが国の作曲家の作品の中から、もっとも清新で、豊かな将来性を内包する作品に贈られるもので、わが国では初めての公開の選考会で選定し、決定いたします。受賞作曲家には賞金を贈るとともに、新しい作品の創作を委嘱し、完成後にその初演を行うという、複合的でユニークな賞です。

協力=(一社)日本作曲家協議会、(一社)日本音楽著作権協会、
日本現代音楽協会

芥川作曲賞 過去の受賞者・受賞作品・委嘱作品はこちら

芥川也寸志

8/30(日)第25回 芥川作曲賞選考演奏会

15:00[開場14:30]大ホール

第23回芥川作曲賞受賞記念サントリー芸術財団委嘱作品

酒井健治ヴァイオリン協奏曲「G線上で」*(2015)世界初演

第25回芥川作曲賞候補作品(50音順/曲順未定)

浅賀小夜子チャルダッシュ形式による嬉遊曲**(2012)

  • 初演=2014年11月17日  東京音楽大学Jスタジオ
  • 雑司ヶ谷楽友会第2回定期演奏会
  • 指揮:茂木宏文/ヴァイオリン:迫田 圭/演奏:雑司ヶ谷楽友会

辻田絢菜コレクショニズム Ⅳ/ ヴォルパーティンガー(2014)

  • 初演=2014年10月30日 東京オペラシティ・コンサートホール
  • 2014年第83回日本音楽コンクール本選会
  • 指揮:渡邊一正/演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

坂東祐大ダミエ & ミスマッチ J.H:S(2014)

  • 初演=2014年10月30日 東京オペラシティ・コンサートホール
  • 2014年第83回日本音楽コンクール本選会
  • 指揮:渡邊一正/演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

候補作品演奏の後、公開選考会(司会:柿沼敏江)
選考委員(50音順):池辺晋一郎 山根明季子 山本裕之

  • 指揮:杉山洋一
  • ヴァイオリン:成田達輝*、迫田 圭**
  • 管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
  • 杉山洋一
  • 成田達輝
  • 新日本フィルハーモニー交響楽団

入場料:[指定席] 一般 2,000円/学生 1,000円

作曲家からのメッセージ

2012年5月にエリザベート王妃国際音楽コンクールのファイナルで課題曲として演奏され、その翌年芥川作曲賞を受賞した「ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲」の決定稿、ヴァイオリン協奏曲「G線上で」を発表出来るのをとても嬉しく思います。コンクール内で初演した12人のファイナリスト達の一人であり、現在では盟友とも言える成田達輝さんが今回のソリストを務めるというのも非常に感慨深いものがあります。彼とはブリュッセルで偶然出会い、現在に至るまで様々な音楽観を話し合い、また別の新作を世界初演して頂く等、コラボレーターとしての関係性の深化がこの協奏曲の決定稿に結実したのです。そういった経緯から、この作品は成田達輝さんに献呈しています。
今回初演を担当する新日本フィルを始め、様々なオーケストラの定期演奏会でこの作品がプログラムされる事を念頭に、数多く存在する協奏曲の名作を尊重しつつもそれらのコンテクストが更新され、新たな協奏曲のレパートリーとなる様にと書かれた作品です。現代音楽なんて分からないからクラシック音楽しか弾かないという音楽家も、クラシック音楽なんて古いから現代音楽ばかりを演奏するパフォーマーに対しても僕は等しく懐疑的ですが、今回の初演者である成田達輝さんは「クラシック音楽を弾く様に現代音楽を弾く」事の出来る希有な音楽家です。彼のヴァイオリンが奏でる豊穣な音楽性を是非会場で体験して頂きたいと思います。

[酒井健治]

芥川作品賞の25年

芥川也寸志とサントリー
――芥川作曲賞の25回目に寄せて――

芥川作曲賞は文学の芥川賞と似ている。期待の新人。あるいは既にある程度のキャリアを積んでいるとしても、今後の発展が大いに見込まれる才能。そういう人に与えられる。しかも候補になるのは、芥川賞なら文芸誌等に発表済みの小説であり、芥川作曲賞なら演奏会等で初演済みのオーケストラ曲である。未発表の作品を公募したりするのとは違う。既にそれなりの場で発表する機会を得ている。そんな作り手が次の段階に行きたい。「本物」と認められたい。そこでお墨付きを与えるのが芥川作曲賞であり、芥川賞である。
 芥川賞は1935年、小説家、芥川龍之介を記念して文藝春秋社によって設けられた。現在は公益財団法人の日本文学振興会が運営する。芥川は1927年に35歳で逝った。生前、既に押しも押されもせぬ大作家。死後、その名を冠した賞ができるのも不思議でない。が、なぜ文藝春秋か。理由がある。芥川は菊池寛を文学的盟友とした。とても仲良くした。菊池が自ら書くだけでなく出版事業に進出し、1923年に月刊誌『文藝春秋』を創刊すると、芥川は巻頭に「侏儒の言葉」を連載した。雑誌を軌道に乗せる原動力になった。芥川あっての『文藝春秋』。菊池はその恩を忘れなかった。かたちにして、社業とつなげ、芥川との絆を後の世まで誇りたい。芥川賞が誕生した。2015年は芥川賞80年である。
 芥川作曲賞はどうか。作曲家、芥川也寸志を記念してサントリー芸術財団の運営するこの賞は、賞の性質だけでなく、その成り立ちも、文学の芥川賞と重なるところがある。早い話、芥川也寸志がいてこそサントリーのクラシック音楽事業にひとつの方向性が生まれた。その記憶を忘却せぬためにできたのが芥川作曲賞。そうとも言えるだろう。
 芥川也寸志は芥川龍之介の三男として1925年7月12日に生まれた。大作家が自死したのは也寸志の2歳の誕生日の12日後である。也寸志は父の遺品のSPレコードの中でも特にストラヴィンスキーの《火の鳥》を愛聴して育ち、ついに作曲家を志して東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)で橋本國彦や伊福部昭に学んだ。1950年の《交響管弦楽のための音楽》や1953年の《トリプティーク》(クルト・ヴェス指揮ニューヨーク・フィルが初演)、さらに1954年の交響曲第1番で、プロコフィエフやショスタコーヴィチに通ずる作風を確立。1958年の《エローラ交響曲》ではアジア的土俗主義を前面に押し出し、1960年のオペラ《ヒロシマのオルフェ》では日本語をシュプレッヒシュティンメ風に扱って日本語歌劇に表現主義的な新領域を切り開いた。
 そのうえ文才もあれば話術も巧み。政治・社会・国際情勢への関心も高い。世間は彼を単なるクラシック音楽家にとどめおかなかった。芥川はラジオやテレビの出演者としても人気を博した。音楽番組だけでなく、テレビのクイズ番組やワイドジョーの司会者までやった。特に重要なのは1964年7月から1966年10月まで続いたTBSラジオの『オーナー』である。平日昼の5時間生放送のワイドショー。その種の帯番組は日本のラジオで初めて。芥川はこの番組で月曜と火曜のメイン・パーソナリティを務めた。5時間の番組を取り仕切る。その日その日の社会状況に応じて番組内容は機動的に変更される。臨時のニュースや特集が織り込まれる。芥川は動じない。ソフトな語り口で見事につなぐ。藤原弘達や田英夫の登場する政治ニュースの解説コーナーにも対応できる。3時台の主婦向け電話相談コーナーの「テレフォン・アワー」にもメイン・パーソナリティ兼回答者として参加する。「マダム殺し」と言われた声で相談者を魅了する。回答もユーモアに富み含蓄もある。5時台の「こども電話相談室」では子供相手の真剣なトークが受けた。もう音楽家の余技とはとても言えない。今日のAMラジオの番組表を見れば、午前も午後もメイン・パーソナリティをたてての長時間生放送の情報総合番組が目立つけれど、この路線を日本のラジオに確立したのは『オーナー』であり、しかも芥川の人気と才能によるところが大だったことは改めて銘記されておかねばなるまい。
 そんな芥川は何よりもクラシック音楽家ではないか。溢れるばかりのタレント性を、同じTBSラジオで今度はクラシック音楽番組のために発揮して貰えたら。そう思った企業がある。サントリー株式会社である。
 サントリーとクラシック音楽との縁は深い。古く大正時代にはオペラ団、赤玉楽劇座を運営したこともある。創業者の鳥井信治郎はそのことを振り返ってこう述べている。「葡萄酒もウイスキーも異国のもので、日本人に好かれるためには酒の持つ色香や味、コクもさることながら、異国情緒といった雰囲気も強調しなければなりません。また、女性に好かれることです。赤玉やウイスキーもオペラやオペレッタと同様に外国から伝えられたもので、性質において一脈通じると思ったのです」。
 日本人が洋酒を製造し販売することは、日本人が西洋クラシック音楽を演奏したり作曲したりすることとイメージとしてよく重なる。大衆がワインやウイスキーを味わうのとクラシックを聴くのとも何だか被る。ここにサントリーがクラシック音楽と自らを一体にしての企業イメージを作りあげようとする動機もあった。
 こうして『オーナー』終了から半年後の1967年4月16日の日曜夜、芥川はTBSのラジオ番組に帰ってきた。『百万人の音楽』という。午後11時台。大人がお酒を飲む時間に合わせてある。内容はスタジオでのトークが基本。演奏家や作曲家やクラシック音楽を愛する各界著名人がゲストに来て、芥川と、それからホステスの野際陽子と歓談する。たちまち人気番組になった。
 が、逆風も吹き始めていた。NHKは1969年3月から全国でFMの本放送を開始すると決めた。高音質のFM放送の時代が本格化する。音質で劣るAM放送で、いくらトーク主体でもクラシック音楽番組を続けてゆくのは難しくなる。芥川の人気におんぶにだっこではいけない。TBSと広告代理店の電通とサントリーの宣伝部のスタッフが、芥川を交えて知恵をしぼった。そこで発案されたのが、番組スポンサーのサントリーを主体とする音楽賞の創設である。芥川らを審査員にして新たな賞を設ける。賞の性格も斬新な方がいい。こんな伸び盛りのタレントが居たのか。このヴェテランは実はそんなに偉かったのか。音楽通も唸るような人選で賞の意義をたちまち認知させる。受賞者を『百万人の音楽』に呼ぶ。存分に語ってもらう。そのようにして日本のクラシック音楽界を盛り上げ、番組も盛り上げる。FMにも対抗してゆけるのではないか。
 1969年12月26日、鳥井音楽財団が設立された。現在のサントリー芸術財団である。鳥井音楽賞(のちのサントリー音楽賞)を選考し贈賞してゆくための組織である。事務局が置かれたのは東京放送の社内。賞と財団は『百万人の音楽』という番組とほとんど一体のものとして始まった。1969年度の第1回受賞者は小林道夫。ドイツ・リートのピアノ伴奏やバロック音楽での合唱指導、通奏低音演奏を評価されての受賞。メインのソリストではなく伴奏者にスポットを当てるなんて日本のクラシック音楽界ではそれまでにはないこと。日本人のバロック音楽演奏が評価されることもまだまだない時期。そこにサントリーの音楽賞は新風を吹き込んだ。
 音楽財団ははじめのうちは音楽賞のことばかりやっていた。しかし『百万人の音楽』の司会者にして音楽財団の知恵袋、芥川の進言もあって、事業を拡大していった。芥川は、日本の作曲家の仕事が歴史的先達から若手まで、ひとりでも1曲でも多く、この国に広まることを熱望する人だった。作曲家には「自分の曲さえ演奏されれば」という思想の持ち主がいないことはないけれど、芥川は違った。後進の才能を見いだすのにも長けていた。武満徹や松村禎三にいち早く入れ込んだのも芥川だった。サントリーに、日本のクラシック音楽界、特に社会的支持の弱い作曲界の守護神になってもらいたい。そう働きかけた。たとえば音楽財団は1981年から毎年1回の「作曲家の個展」を始めた。日本人ひとりの作曲家のオーケストラ作品で一晩を埋める。第1回は松平頼則。以来、今日に続く。
 「作曲家の個展」とネーミングしたのも芥川。美術の個展からの連想だろう。展覧会では絵が主役。画家に注目が集まる。でも演奏会というと演奏家が主役のように思われがちではないだろうか。「作曲家の個展」と名付ければ「演奏会」でなく「個展」なのだから、主役は演奏家よりも作品だと誰にも分かる。「日本人の作るクラシック音楽をもっと聴いてほしい」というのが芥川の常なる叫びであり、そこにサントリーの「日本人の作る洋酒をもっと飲んでほしい」という叫びが自然と共鳴した。サントリーの総帥、佐治敬三が、芥川に信をおいた。芥川は佐治に東京初のクラシック音楽専用大ホールの建設を進言し、それは1986年秋のサントリーホール開場へとつながる。サントリーホールの柿落としのサヴァリッシュ指揮によるNHK交響楽団演奏会の1曲目、すなわち同ホールでの公式のコンサートで初めて鳴り響いたのが、芥川の新作、オルガンとオーケストラのための《響》であったのは故あることだった。
 芥川なくしてサントリーのクラシック音楽事業なし、とは以上のような意味である。『百万人の音楽』からのひと筋の道がある。芥川は1989年1月31日に亡くなった。満63歳。そして芥川の名を冠した作曲賞ができ、1991年より毎夏、サントリーホールで選考演奏会が開かれて、2015年は25回目。四半世紀である。文学の芥川賞と違うのは、審査が公開であることと、受賞者に次のオーケストラ作品が委嘱されるところだろう。公開審査は黛敏郎の主張で実現した。賞への興味関心を高めようとするひとつの工夫だったに違いない。文学の芥川賞なら「受賞後第1作」の依頼は殺到するだろうが、現代音楽の作曲家では必ずしもそうならない。でも文学でも音楽でも「受賞後第1作」の出来映えがその後を占う試金石になる。そこのフォローをするのがこの賞の素晴らしさだ。
 若い才能を応援せねば気の済まない芥川。余計者として扱われがちな日本のクラシック作曲界を生き残らせてゆきたいと熱烈に願う芥川。その芥川との縁を忘れまいとするサントリー。それらの思いの折り重なる芥川作曲賞が、作曲家の父の名を冠した文学賞に負けず、四半世紀をひとつの里程標として、末永く続いてゆきますように。

プロフィール

酒井健治

1977年大阪府生まれ。京都市立芸術大学を卒業後渡仏。フランス国立パリ高等音楽院、ジュネーヴ音楽院を最優秀の成績で卒業、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)にて電子音楽を学ぶ。これまでに、ジョルジェ・エネスク国際コンクールグランプリ(2007)、武満徹作曲賞(09)、エリザベート王妃国際音楽コンクール作曲部門グランプリ(12)、文化庁長官表彰(12)、第23回芥川作曲賞(13)等、次々に受賞。12年マドリッド・フランスアカデミーの芸術部門の会員に選出され、マドリッドに1年間滞在。15年ローマ賞受賞。それによりローマ・フランスアカデミー滞在資格を授与され、9月から1年間ヴィラ・メヂィチに滞在予定。

浅賀小夜子

1990年千葉県生まれ。2009年東京音楽大学作曲指揮専攻作曲(芸術音楽コース)に入学。2015年同大学大学院修士課程修了。これまでに作曲を糀場富美子、伊左治直、原田敬子の各氏に師事。

辻田絢菜

1988年東京都生まれ。東京藝術大学作曲科を経て現在、同大学院に在学中。2013年 安宅賞受賞。2014年 第83回日本音楽コンクール入選、岩谷賞(聴衆賞)受賞。これまでに作曲を伊藤由紀、野田暉行、小鍛冶邦隆の各氏に師事。

坂東祐大

1991年大阪府生まれ。東京藝術大学作曲科を首席で卒業。同大学院修士課程修了。2012年長谷川良夫賞、2013年アカンサス音楽賞受賞、2014年第83回日本音楽コンクール第3位。作曲を野田暉行、安良岡章夫、野平一郎、ピアノを中井正子の各氏に師事。

杉山洋一(指揮)

1969年生まれ。桐朋学園大学作曲科を経て渡伊。指揮者として2000年のアンサンブル・モデルンのツアーを皮切りに、ウィーン・モデルン、パリの秋等の音楽祭でオーケストラ・ミラノ・ムジカ、クラングフォーラム・ウィーン等の現代音楽オーケストラを指揮。東京では東京都交響楽団、東京シンフォニエッタ、東京混声合唱団、四国二期会《ファルスタッフ》他を指揮。作曲家としては、ヴェネツィア・ビエンナーレ、東京混声合唱団等から委嘱を受けている。「東京現音計画#01:コンポーザーズセレクション1・杉山洋一」が第13回佐治敬三賞を受賞。 

新日本フィルハーモニー交響楽団

1972年指揮者・小澤征爾のもと楽員による自主運営オーケストラとして創立。すみだトリフォニーホールを本拠地に定期演奏会の他、地域に根ざした演奏活動も特徴的。2003-13年はクリスティアン・アルミンクが音楽監督を務めた。13/14シーズンよりConductor in Residenceインゴ・メッツマッハー(13年-)、 Music Partner of NJPダニエル・ハーディング(10年-)の二頭体制が始動。16年9月より上岡敏之が音楽監督に就任する。
公式HP http://www.njp.or.jp/
公式Twitter @newjapanphil
公式Facebook http://www.facebook.com/newjapanphil

成田達輝(ヴァイオリン)

札幌市出身。2010年ロン=ティボー国際コンクール第2位およびサセム賞、12年エリザベート王妃国際コンクール第2位およびイザイ賞を受賞し、一躍脚光を浴びる。現在パリ国立高等音楽院で研鑽を積む。今後もリサイタルや国内外のオーケストラと共演が決定している。13年、初のCD『フランク:ヴァイオリン・ソナタ、フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番他』を発売。ホテルオークラ音楽賞受賞、第24回出光音楽賞受賞。
使用楽器:匿名の所有者からの貸与を受けて、ガルネリ・デル・ジェス"ex-William Kroll"1738年製を使用。

迫田圭(ヴァイオリン)

東京音楽大学大学院に給費奨学金を得て入学、卒業。現代音楽の演奏を主とし結成されたロリエ弦楽四重奏団の一員であり、個人としても若手作曲家の新作初演にも数多く携わっている。プロジェクトQ第10章に参加。一方、作曲活動もしており、株式会社りすの書房直営のレーベルVersemacher Editionの代表を務め、自作を含めた数多くの音楽作品を世に送り出している。これまで、ヴァイオリンを大熊庸生、安冨洋、景山誠治、木野雅之、荒井英治各氏に、作曲を伊左治直氏に師事。