メキシコはハリスコ州グアダラハラ市近郊のテキーラヴァレーにサウザはある。創業者はドン・セノビオ・サウザで、創業は1873年。
セノビオは15歳の時から働き、アガベの栽培や蒸溜を学び、30歳を超えて間もなく独立した。彼は現在につながる新しい製法や設備を導入していく。ラベルに初めて“テキーラ”と記したのもセノビオである。
それまでアガベから作る蒸溜酒は全てメスカル(Mezcal)と呼ばれていた。創業の年、蒸溜したてを早速ボトリングし、テキーラ・ラベルを貼り、アメリカのニューメキシコ州で開催された酒類コンペティションに出品する。つまり1873年はテキーラ、そしてサウザ シルバーが誕生した年であり、さらにはテキーラが初めて他国へと渡った記念すべき年である。彼はたちまちにしてメスカル業界に革命を起こした。
現在のセノビオは“テキーラの父”と呼ばれている。
1903年に後を継いだのが息子のドン・エラディオ・サウザ。
彼は蒸溜所を拡大、改装し、テキーラ サウザの基盤を固めていく。
メキシコでは樽売りが一般的であった時代に瓶詰めによる販売を拡大させたのは彼の功績だ。そしてヨーロッパにもテキーラを輸出するようになる。2代目のエラディオは現在までつづく名品、サウザ ゴールドを誕生させてもいる。3代目はエラディオの息子 ドン・フランシスコ・ファビエル・サウザである。1946年に社長に就任。彼こそが海外の販売拠点を拡大させ“世界のサウザ"へと名を高め、自社製品のみならずテキーラというスピリッツを世界に認知させた男である。
ファビエルの偉大さは、1974年にメキシコ政府へ働きかけてテキーラの原産地呼称制を成立させたことだ。
当時、世界各地でテキーラの模造品がつくられ、イメージダウンにつながる懸念があった。テキーラブランドの高い品質を守らなければならない。彼の強い信念がなかったならば原産地呼称は結実しなかった。
これによりメキシコ政府機関がテキーラを管理することになり、規定に即したものだけがテキーラを名乗ることができるようになった。
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