これまで、ジンの起源は1660年、オランダのライデン大学医学教授シルヴィウス博士が薬用酒として研究、開発した、と語られることが多かった。しかしながら、すでに11世紀頃にイタリアの修道士がジュニパーベリーを主体にしたスピリッツを製造していたとの説があるだけでなく、13〜14世紀のネーデルランド(現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランス北部、ドイツ西部の一部を含む)で、現在のジンの原型がつくられていたようだ。これをイェネーフェル(Jenever・Genever/ジュニパーのオランダ語)と呼び、腹痛の治療薬、あるいは強壮剤として医師が常備していたといわれている。
シルヴィウス教授は植民地の熱帯病対策のために、利尿効果のあるジュニパーベリーをアルコールに浸漬して蒸溜した強壮剤を大量につくった人物ということになるらしい。そしてこの薬酒はジュニエーブルの名(Genievre/ジュニパーベリーのフランス語)で利尿、解熱、健胃剤として広まっていく。
ちなみに、イェネーファ(Geneva/英語読みでジュネヴァ)の名でオランダの辞書に登場したのは1672年のことらしい。
当時、蒸溜酒は祖末なポットスチル(単式蒸溜器)でつくられていたため、雑味が多かった。ジュニパーベリーの爽やかな香りと味わいを抱いた新しい薬酒はその効用にとどまらず、オランダ中で大人気となり、ポピュラーな酒へと成長する。またイングランドにも伝わっており、愛されはじめてもいた。
大きな変革をみたのは名誉革命によって1689年、オランダからウイリアムⅢ世(オレンジ公ウイリアム)が英国国王に迎えられるとともに、ジュネヴァはロンドンで爆発的な人気を得る。名もジンと短縮されて呼ばれるようになった。そして18世紀のイギリスは“ジン"の時代と形容されるほど親しまれた。ただし、この頃のジンは砂糖を加えた甘口が主流である。
いまのように洗練された辛口のジン、ドライジンが生まれるきっかけとなるのは19世紀はじめの連続式蒸溜機の誕生後のことになる。これでクリーンなグレーンスピリッツがつくれるようになる。19世紀後半からは雑味の少ないライトな風味を持つジンは、ブリティッシュ・ジン、あるいは主産地のロンドンの名を冠してロンドンドライジンと呼ばれ、輸出されるようになった。
アメリカへ渡ったロンドンドライジンは、19世紀末からカクテルベースとして一躍脚光を浴びた。20世紀に入ると、オランダのジュネヴァを凌ぐ人気となった。とくにマティーニのドライ化において重要な存在となりながら、世界的なスピリッツへと成長していった。この歩みが「オランダで生まれ、イギリスで洗練され、アメリカが栄光を与えた」といわれる由縁である。
現在も変わらぬ人気を得ているドライジンだが、世界的なビッグブランドの中で、いまもロンドンで蒸溜しているブランドはビーフィータージンのみとなっている。さらには近年、世界的なクラフトジン・ブームが起き、さまざまな国で独自のボタニカルを加えた個性あふれるジンがつくられるようになってきている。
ジュニエーブル(Genievre)は、ジュニパーベリー(Juniper Berry)のフランス語。オランダ国内で広く愛されるようになるとイェネーフェル(Jenever/Genever)、あるいはイェネーファ(Geneva)と呼ばれた。
それがイギリスに渡りジュネヴァと呼ばれ、しだいに愛称形に短縮されてジン(Gin)となる。