日本中にイタリアンレストランがあふれる少し前、1980年代後半のことだった。年配の方に、イタリア人がやっている名高い店に連れていかれた。
小麦粉を練って成型したものを総称してパスタと呼ぶが、そんな言葉は一般にはまだ使われていなかった時代である。わたしは20代後半、30歳に達していたかどうか。西洋料理といえばフランス料理であったし、当時はイタリアンレストラン風というか、スパゲッティ屋さん的な店が多かった。だからまっとうなイタリア料理のフルコースなんぞ食べたことがなかったと記憶している。ピッツアの宅配は存在していたがわたしにとってはおやつ代わりであり、イタリアンはスパゲッティといった程度の認識しかなかったように思う。
すでに酒に関わる仕事はしていたから食前酒は仏語でアペリティフ、伊語でアペリティーヴォ、食後酒は仏語でディジェスティフ、伊語でディジェスティーヴォというくらいは知っていた。
そのとき食前酒にカンパリソーダを飲んだ記憶がある。ワインはバローロが美味しくって、それからしばらくはバローロばかりを飲むようになってしまった。イタリアンのフルコースに大満足したのだが、ドルチェは何を食べたのか、エスプレッソは飲んだのかどうか思い出せない。ただし、ディジェスティーヴォは強烈に覚えている。
グラッパは飲んだことはあったが、たまたま置いてあったバーで遊び半分に試して「うわっ、キッツゥー」とお子ちゃま的感覚を抱いたままだった。当時の日本では、ぶどうの搾りかすの発酵液を蒸溜してつくる無色透明のグラッパ(仏ではマール/ブランデーの一種)はあまり知られていなかった。
料理を満喫した後にグラッパをはじめてじっくりと味わってみたら、ぶどう由来の香がほんのりとそよぎ、強くて、なんて美味しくて、しかも心身をゆるやかに落ち着かせてくれる素晴らしい酒であるのか、とえらく感動してしまった。胃もすっきりとして、食後酒の役割を実感したひとときとなった。
食後酒。世界的には英語でアフター・ディナー・ドリンクと呼ばれるが、仏語、伊語のディジェスなんたらの語源はラテン語のディジェリーレ(digerire)の食べたものを“消化する”から派生したものだ。
適度なアルコール摂取は胃酸の分泌を促し、消化を助ける。そしてお腹が満たされているからより満足感を高めるために強い酒や甘みのある酒で寛ぐという目的が食後酒にはある。
食欲をストップさせ、とにかく胃をすっきりと落ち着かせるように導くのだ。食後にブランデー、ウイスキー、ダークラムといった蒸溜酒が好まれるのはこういった理由からだろう。