こんにちは。登美の丘ワイナリーで開発を担当している棚橋です。登美の丘ワイナリーは、明治42年(1909年)に開園され、昭和11年(1936年)にサントリーの前身、壽屋によって経営が始まりました。100年を超す長い歴史の中で様々な遺跡が今でも残っています。今回はその中からいくつかをご紹介しましょう。
【スイッチバック】
現在の事務所から栽培やワインショップなどのあるエリアへ登る坂道の途中に自動車道として極めて珍しいスイッチバックがあります。登美の丘は山の中腹に位置し、かつて水を得ることに苦労していました。この付近には唯一水が湧き出る箇所があり、そこで汲んだ水は牛車や木炭車で畑まで運ばれていました。これらの乗り物ではこの勾配を一気に登ることができず、鉄道で見られるスイッチバックを作り運んでいました。現在でも全ての車両はその記憶を忘れることなく感謝してスイッチバックを登っています。
当時の水汲み場
【旧新橋駅舎を移築して作ったワイン博物館】
登美の丘ワイナリーの農場は、明治時代に中央本線を建設していた小山新助によって開園されました。『汽笛一斉新橋の』でおなじみの新橋駅は鉄道時代幕開けのシンボルですが、工事を営んでいた新助は駅舎立替に伴い、大正2年(1913年)農園事務所として移築しました。その後昭和34年から45年までワイン博物館として現在のワインショップの上付近で活躍しました。残念ながら現在はその姿はありません。
【旧山梨葡萄専修学校】
壽屋の創業者・鳥井信治郎が昭和30年(1955年)に藍綬褒章を受けた際に葡萄栽培農家の後継者育成のために設立した専修学校。昭和45年までに全国から65人もの若者が集まり新たなワイナリーの創業者となった人も生み出しました。日本ワインづくり手養成所の先駆けとなった学び舎は、今でもワイナリーの高台にそびえ立ちます。(しかしながら現在はご覧頂くことはできません。)
【眺望台に登る道にある古レール製電柱】
ぶどう畑の道脇に今でも現役で送電している電柱があります。古レール製の刻印には1922と読み取れます。1922年と言えば今からちょうど100年前、川上善兵衛翁がマスカット・ベーリーAなど日本の気象環境にあった品種交配を始めた年に当たります。壽屋が経営を始めて数年間、善兵衛翁はこの地に逗留しながら礎を築きました。何かの縁を感じるのは私だけでしょうか。
さて、登美の丘ワイナリーは9月に新ブランド「フロムファーム」を立ち上げました。それに伴いお客様お受入れエリアをリニューアルし、ツアー内容も一新、「ワインづくりにかける技と愛情」をお伝えしながら、自然の恵みとワインのおいしさを体験できるワイナリーへと生まれ変わりました。特に大きく変わったショップはまさに24年ぶりの大改修となり、新たな店内は熟成庫をイメージした素敵な空間となっております。
【リニューアルしたショップ】
100余年にもおよぶ長い歴史の足跡がたくさん残されている登美の丘ワイナリー、また新たに生まれ変わった登美の丘ワイナリー。ぜひご来場頂き、そのどちらも体感して頂けましたら、より深くワイナリーを知って頂き、よりいっそうお楽しみ頂けると思います。
皆様のご来場をワイナリー一同心よりお待ちしております。
【お客様をお迎えするウェルカムサイン】