南に富士を仰ぎ、甲府盆地を一望する眺望を表し、登って美しい丘と書いて「登美の丘」。
登美の丘ワイナリーに来場されるお客様とお話していると、「さすがにサントリーさんらしく、“登美の丘”って、いい名前をつけましたね」と言っていただけることが、よくあります。
2001年4月に「サントリー山梨ワイナリー」から「サントリー登美の丘ワイナリー」に名称変更しましたが、その時に担当者がひねり出したネーミングかのように思われる方もおられます。
確かに、出来過ぎた名前かも知れません。
でも、決してサントリーが勝手に名づけたネーミングなのではなく、この土地は「登美村」と呼ばれ、この地の名前だったのです。
担当者は「山梨」という非常に大きなくくりではなく、ワインづくりに取り組むこの土地にもっとスポットを当てて表現したワイナリーの名前にしたいと考えたに過ぎません。
なので、登美の丘ワイナリーの周辺には、登美村だった頃をしのばせる形跡が見られます。ワイナリーに最も近い派出所の名前は「登美駐在所」です。駐在さんが明治の頃からこの地の人々の生活をまもってくれていたのでしょう。
また、甲府駅の北側の甲府城(舞鶴城)の山手御門から西に伸びる「山手通り」は韮崎にむけての幹線道路ですが、そのバスの停留所には、ワイナリーに近づくにつれて「登美仲宿」「登美上宿」「登美」という名前が続きます。
ちょっと離れますが、「登美団地」という交差点もあります。
明治8年、もともとこの地域の竜地村・大垈村・団子新居村・菖蒲沢村という村々が寄り合い、その新しい村の名前をつけようとした際に、富士が見える景観から「富士見村」にしたいと申請したそうですが、その時には既に、今の笛吹市の石和近くの村が「富士見村」という名前で先に登録してしまっていたがために申請は却下され、村人たちがもう一度、この自分たちの新しい村の名前を考えて「登美」という名前にしたとのことです。(上野晴朗著「日本ワイン文化の源流」より)
ここが大きな歴史的なポイントだったのではないでしょうか。
あっさりと「富士見村」という名前で登録されていたら、きっと「登美」という、この土地を表す素晴らしい名前は生まれなかったのではないかと思います。
この「登美」という名前を考えた当時の方に感謝したい気持ちでいっぱいです。
そして、この登美村の小高い丘陵地を1909年に入手した小山新助が、日本でのぶどうづくり・ワインづくりを目指して「小山開墾事務所」を開設し、ドイツからワイン技師ハインリッヒ・ハム氏を招聘した頃、その当時の残された写真にも、確かに3行目に「Tomimura(Japan)」という表記が見られます。
1958年の頃の「寿屋山梨農場」から撮影された甲府盆地の風景を見ると、非常にのどかな田園風景が広がっています。「登美」という名前にふさわしく、ひときわ高く美しい富士山が凛々しくそびえている姿を見て、傾斜のきついこの丘陵地を歩いて登ってきた人々の疲れを癒したという話も聞いた事があります。
2016年の「サントリー登美の丘ワイナリー」からの景観は、甲府盆地の隆盛の変化を物語っていますが、雄大な富士や山々は昔も今も変わりません。
ぶどうづくり・ワインづくりのスタイルも変わってきていますが、この地で美味しいワインをつくりたいという情熱は今も変わりません。
1909年の開設以来、ここ登美の丘で脈々と受け継いできたぶどうづくり・ワインづくりの取り組みを、この土地の自然に由来するこの土地の個性を、「登美の丘」という名前のワインに集約させました。
登って美しい丘と書いて「登美の丘」。
南に富士を仰ぎ、甲府盆地を一望する、日照に恵まれたこの美しい丘の名に恥じないワインづくりに我々はこれからも取り組んでまいります。