ここ登美の丘でぶどうづくり・ワインづくりの歴史の始まりは、1909年(明治42年)にさかのぼります。
2009年の100周年に際して、今までの登美の丘での歩みについて、これからさらに発展していくために今後を引き継ぐ者たちに伝えていくことが必要であろうと「登美の丘100周年記念誌」という内部資料が編纂されました。
その編集スタッフの中で中心的な役割として携わった河野が、今年2015年11月末をもってワイナリーを退社するのに際して、若い世代に対して、登美の丘の歴史についての講義が先日行なわれました。これは、若手メンバーからの自発的な強い要望を受けてのことでもありました。
この「登美の丘100周年記念誌」の編集にあたっては、明治にさかのぼる登美の丘に関連する登記簿を法務局に確認したり、古い文献からや、古参の先輩の方々から当時の話を聞いたり、写真をお借りして情報収集や画像データをおこしたり、それら膨大な資料を収集・整理して文章や表にまとめあげるという地道な作業を行いました。5名の編集員が半年以上の期間にわたり熱心に取り組み、2009年11月に150部のみ印刷・発行しました。
若手メンバーのために河野がこの日のためにまとめた資料の最初に表された「世代から世代に引き継がれてきたぶどうづくり・ワインづくりを知り、次の世代に引き継いでいく」というサブタイトルの一行の中に、河野の想いが詰まっているように思いました。
明治8年(1875年)に、この近隣の村々が合併し「登美村」という名前として登録されたというが現在の「登美の丘」の呼称の由来。この登美の丘の一帯の山が江戸時代に近隣の村人の共有林としての入会地となっていたのが明治維新で御料地となり荒廃したのを、明治42年(1909年)に、5960円(現在換算で約8000万円)で官から民に払い下げを受ける許可を得て、その秋に「小山新助」がぶどうづくり・ワインづくりのために開拓を始めた頃の様子や、決して順風満帆とはいえなかったその時代の幾多の歴史的資料や経緯を見聞きするにつれて、現在の登美の丘ワイナリーを運営している若手メンバーの顔つきが変わったように思いました。
そして、経営に行き詰まっていた「登美農園」をサントリーの前進である寿屋が継承するに至るいきさつについても、当時の東京大学の坂口謹一郎博士と岩の原葡萄園の川上善兵衛翁に導かれ、寿屋の鳥井信治郎が現地視察のために登美の丘に訪れたという話や、「寿屋山梨農場」となった後のぶどう園や醸造棟の様子、そして当時の登美の丘で働く方々の作業風景や、今もなお構造上で面影を残す施設の写真、知っている先輩の若かりし日の写真などの映像が心を惹きつけます。
自家ぶどう園での苗木の植付け(昭和15年頃)
昭和29年までは、収穫した葡萄をケーブルで降ろしていたという写真
大樽の修理(リチャー)の様子(昭和20年頃)に驚きの声をあげるメンバー
大きな木樽でのワインの仕込み(昭和30年頃)
大樽での樽熟成(昭和30年頃)
多くの画像を見るにつけ、こうした登美の丘で積み重ねられてきた歴史があってこそ、今の登美の丘の姿があるのだという思いが伝わってきます。
なお、登美の丘ワイナリーに長年勤められた先輩諸氏が組織する「登美寿会」という会があり、長年にわたり活動を行なっておられます。今年2015年も10月23日に登美の丘ワイナリーの眺富荘にて総会を開催され、渡辺所長や近保技師長が場内をご案内し、今のワイナリーの状況を見ていただいたりして交流をさせていただいています。
2015年の登美寿会(2列目の左側が河野)
登美の丘の歩みを講義したこの日の河野は、最後の締めくくりとして「①過去を知り、②現在の技術やノウハウ及びその時の事象を評価し、ドキュメントして、③次の世代に引き継ぐ」ということの大切さを、若いメンバーにしきりに強調していました。100年誌をまとめるにあたって、ことさら苦労した河野ならではの重みのある言葉でした。
ぶどうは植え付けてからすぐには実をつけません。しっかりとした品質のぶどうを収穫できるようになっても、仕込んで熟成してみてから初めてわかることもあります。そういう意味で、ぶどうづくり・ワインづくりは、ひとつの取り組みが成果となって現れるのに10年以上もかかることがあります。現在の登美の丘で行なっている日々の取り組みは、これまでの何人もの先輩たちが積み重ねてきたひとつひとつの取り組みの中から生まれてきたものであり、その長い歴史の日々の中で、よりいっそう品質を上げていこうという情熱と努力のもと改善、改良してきた姿です。日本ワインコンクールで数多くの賞をいただき、国際ワインコンクールでも高い評価をいただくようになってきたのも、また、登美の丘の取り組む日本ワインが国内外の多くのお客様に注目していただき楽しんでいただけるようになってきたのも、登美の丘で繰り返されてきた先輩達の取り組みのおかげでもあります。そしてまたこれからも、今の世代のメンバーたちは同じようにこの登美の丘でさらに品質を高めていく取り組みを継続していきます。今後とも登美の丘の日本ワインにご注目ください。