作・達磨信
義父と話をすると、九谷は楽しさと淋しさがないまぜになる。
「いい人はいないのかね。いつまでも娘のことを愛おしく想ってくれるのはありがたいし、簡単に忘れられものではない、というのもわかる。でもな、これから老いていく身には伴侶がいたほうがいいぞ」
会うたびに必ずこういった言葉を投げかけてくる。九谷にしてみれば大きなお世話なのだが、義父の気遣いを無視する訳にはいかない。
しかしながらいつもどう返していいか言葉に詰まってしまい、ただ微笑んで応えるだけとなり、他の話題に移っていくようにするしかない。
義父もすでに伴侶を亡くしているが、九谷の亡くなった妻の弟夫妻と同居しており、孫にも恵まれ、いまのところ不自由無く暮らしている。
「この年になって、いまさら男女の関係は面倒ですよ」
「九谷くん、年齢は関係ないんじゃないか。まだ50代半ばだろう。老け込むには早い。いくらでもお相手は見つかるよ」
そう言いながら、義父はトリスのオン・ザ・ロックで満たされたグラスを傾ける。先日、義弟の家族とともに傘寿のお祝いをした。今夜は都心でかつての仕事仲間との会食があったらしく、その後に祝いのお礼を兼ねて九谷の店に立ち寄ってくれたのだった。
梅雨の夜、義父が訪れる直前に降り出した雨のせいで客は早々と家路へ向かった。いまは雨は激しさを増し、今夜はもう客は誰も来ないだろう。帰りはタクシーを呼んで義父を送り出し、それを義弟の家に報告すればいい。
とはいえ、年に一度もしくは二年に一度顔を見せる程度の義父とカウンターを挟んでの二人だけの時間はなんだか窮屈でもある。義弟もそばに居て、三人で酒を酌み交わす時間とは勝手が違う。
それでも九谷はいつ店に現れるか知れない義父のためにトリスを常備している。長く来店しそうにないようだと、仕事終わりに飲むホワイトに替えて九谷が飲んでボトルを空け、また新たに用意する。
最近は常連客の良美さんがあえて大衆ウイスキーをオーダーすることが増えてボトルが空になるのが以前よりも早くなり助かっている。
トリハイではなく、ひたすらロックを飲みつづける80歳になる義父の姿は粋である。グラスを傾け、そっと口に含むと穏やかに虚空を見つめる。そしてとても静かにトリスを喉に流し込む。喉の動きでそれが読み取れる。
同時に一瞬目を瞑り、唇をキッと真一文字に強く結ぶが、すぐに柔和な顔に戻る。ウイスキーを長年にわたり愛しつづけてきた男に染みついたスタイルなのだろう。その姿は千両役者のように格好いい。誰も真似しようにも真似できない、と九谷は感服している。
響、山崎や白州、プレミアムなスコッチなど、機会があれば義父にプレゼントして、何度か一緒に飲んでもいる。そうしたウイスキーをロックやストレートで飲むのだが、染みついたスタイルは変わらない。
高級酒もトリスのような大衆酒も同じように虚空を一度見つめてから静かに喉に流し込むのだ。
「ウイスキーを飲む姿がこれほど様になっているお客さんはいません。しかも大衆的なウイスキーを飲んでいるようには見えません。プレミアムウイスキーの熟成感をじっくりと堪能しているように映ります。いまでは死語になったといえる、ダンディズムが香ります」
「そうかい。そりゃ嬉しいな。まあ、長いこと飲んでいるからな」
義父はそう言って照れて微笑んでいる。九谷のほうは亡き妻の話から逃れられる、とこころのなかで微笑むのだった。
「わたしが20歳のときに東京オリンピックが開催された。1964年。大学生だった。60年安保の学生運動に熱した人たちとはかなり異なる時間を過ごしていた。我が家には大学や高校時代からの友人がちょくちょく遊びに来たから、ギターをつま弾いてはくだらない話で盛り上がっていた」
義父は親戚の従兄が譲ってくれたギターを持っていて、かなり練習を積んでそこそこの腕前だった、と亡き妻から聞いたことがある。
「洋楽ではボブ・ディランの『風に吹かれて』をその頃は弾いていたんじゃないかな。ビートルズの『ア・ハード・デイズ・ナイト』とか『キャント・バイ・ミー・ラブ』なんかがヒットしたはずだ。ローリング・ストーンズも登場していたな」
80歳の義父の口から偉大なアーティスト名や曲名がスラスラと出てくることに九谷は驚かされる。1960年代、黄金時代を迎えたアメリカンカルチャーの洗礼を浴びた世代は年齢を重ねても精神的な若さを保っている。
ある面、九谷たちの世代よりも若々しく感じられるほどだ。
「ギターを弾いて歌ったりしながらトリスを飲みはじめたんですか」
「ああ、そうだね。大人になって勉強のつもりでトリスバーにも行ったけれどさ、いつも金欠だったから、友人たちと金を出し合ってトリスを買って、いまでいう家飲みだな」
「レッドは東京オリンピックの年に登場したのでは。レッドは飲まなかったんですか」
「多分、トリスを飲んでハワイへ行こう、のキャンペーンの印象が強くあったのかもしれない。いまのようにソーダ水なんか簡単に手に入らなかった。トリハイはトリスバーで、家ではストレートで飲んでいたな。そのうちに我が家も冷蔵庫を購入した。氷が家でつくれるようになり、それからずっとロックで飲むようになった」
「ギターはいつ頃まで弾いていたんですか」
「子供たちが小学生くらいまでは弾いて聴かせていたような気がする。子供たちは二人とも、PPM(ピーター・ポール&マリー)が好きだった」
九谷は妻が『風に吹かれて』をはじめとして『500マイル』『花はどこへ行った』『パフ』などの曲をよく口ずさんでいたのを覚えている。父親の影響だったのだ。ただ、それを伝えるのはよろしくない。また、娘のことは胸の奥底に仕舞い込み、再婚しろ、となる。
「名曲は残る。1960年代の曲が歌い継がれている。そしてウイスキーも愛されつづける。ウイスキーって長く飲んでいると面白いんだよ。洗練されていくんだな。香りや味わいの向上を実感するんだ。トリスも時代とともに洗練されてきている。ウイスキー飲みは長生きすればするほど楽しめる」
そう言って義父はグラスを傾け、虚空を見つめる。
大手旅行代理店に勤め、それなりの地位まで上りつめた昭和の企業戦士はゆったりとグラスを傾ける。東京オリンピックで海外からたくさんの人々がやってきた。日本人も海外への自由渡航が解禁となる。そこから多くの人たちが世界と交流する時代になるのではないかと学生時代に感じ取ったのだ。
若い頃には海外から日本人ビジネスマンのことをエコノミック・アニマルと揶揄された時代があり、そのことに触れたときがあった。それでも最後は、いい時代を生きさせていただいた、と義父は締め括った。
それ以上の仕事上の昔話は絶対にしない。自慢話もしない。静かにトリスを啜りつづける。
自分の妻を亡くして間もなくに九谷の妻であった娘も亡くした。義父も悲しみに打ちひしがれているはずなのに、九谷への心配ばかりして何かと声をかけてくれる人である。それ故に優しさがダダ漏れの義父と二人だけの時間は楽しくもあり淋しさも募る。
妻が好んだトリハイが急に飲みたくなった。九谷は店を閉めると、自分が飲むためのトリハイをつくる。立ち上る香りは妻の笑顔のようだった。
小さく歌声が聴こえてきた。義父が『風に吹かれて』を口ずさんでいる。途中で歌うのを止めてアタマを下げ、「許してくれ」と言って再び口ずさむ。
九谷は頷くと、義父に合わせて小さく歌いはじめる。
(第28回了)
絵・牛尾篤 写真・児玉晴希
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