作・達磨信
久しぶりに若いガッチリくんと良直はカウンター席で一緒になった。顔馴染みではあるが、親しくなった訳ではない。会社の同僚と彼との東京のツバメの会話や紅葉の白州蒸溜所に出かけた話などから、彼は緑に囲まれた良直の故郷を想い出せてくれる。そのため良直は親近感を抱いていた。
また、ベテラン・バーテンダーの坂戸に突拍子もない質問したり、脈略もなく幼さを感じさせるような嘆きを伝えたりする。知ったかぶりをすることのない、その素直さを良直は優しく受け止めていた。
今夜もまた可笑しな発言を坂戸にぶつける。
「仕事に関してボクはそんなに失敗したことはないんですが、上司がいつも二度の失敗までは許す、でも三度目はないぞ、と言うんです。口癖なんですけれどね。ボク、甲子園は遠かったんですけれど野球でキャッチャーをずっとやっていました。上司が三度目はないぞ、って言うたびに三という数字がなんだか変に気になっちゃうようになっちゃって」
彼が気になる理由は、野球は三が絡むと言うことである。スリーアウトにはじまり、三振だってある。すると坂戸がこう返した。
「どうしてそんなネガティブになるの。三冠王とか素晴らしい賞もあるし、それにかつての国民的スター選手の背番号は3だった」
「上司とウマが合わない、ってところも影響していますけれど。この間、三途の川、二度あることは三度ある、とか意味まで調べちゃったりして」
それを聞いた見習いバーテンダーの瑠璃ちゃんがしばらく笑っていたと思ったら、いつもおとなしいのに珍しく口を開いた。
「わたしは飛騨地方の出身で、実家からほど近い古川町では親鸞聖人の命日の前日である1月15日の小正月に、浄土真宗の三寺に若い女性が参拝する行事があります。だから数字の3は縁起がいいんだってずっと思っています」
良直は飛騨の出身ではないが、三寺参りのことは知っていた。明治から大正にかけて、飛騨から長野県の製糸工場に働きに出た女性たちが帰省して着飾って参拝する行事だった。それがいまだに風習として残っているのだ。
この三寺参りは男女の出会いの場ともなっていたようで、良縁を祈る行事でもある。以前に妻の藍と冬の飛騨高山を旅して知ったのだった。
巨大な雪像ろうそくが立ち並び、縁結びの願いを込めて灯される千本ろうそくなど、和ろうそくの光が放つ夜の町はとても幻想的である。
良直が旅の想い出を反芻している間、瑠璃ちゃんがガッチリくんへ詳しく説明をしている。
ガッチリくんは「へー、そんな行事があるんだ」と素っ気なく応えた。瑠璃ちゃんに気があるのに、悟られないような態度をとっているのではと勘繰ってしまう。なんとも微笑ましい。そこへ坂戸マスターがフォローする。
「三という数字は、"みつ"とも読むでしょう。満つ、充つ、満足感や充足感を象徴する数字だからね。三度目の正直だってある」
マスターはそう言って、「一杯ご馳走しましょう」とボトル棚からウイスキーを1本取り出した。
スコッチのシングルモルト、オーヘントッシャン12年だった。
「ウイスキーにも3回蒸溜があるんですよ」
ボトルをガッチリくんの目の前に置きながらマスター言った。
「スコッチやジャパニーズのモルトウイスキーの蒸溜は通常2回。でもねスコットランドのハイランドではなく、ローランドにはアイリッシュの流れを汲んだ3回蒸溜のモルトウイスキーがあるんですよ」
それを聞いて、ガッチリくんがボトルラベルのブランド名のアルファベットをゆっくりと「A・U・C・H・E・N・T・O・S・H・A・N」と口にし、「絶対に読めません」と苦笑する。
「読めないですよね。ゲール語なんです。野原の片隅のことらしい。蒸溜所はグラスゴーから西へ15kmほどの距離にあり、グラスゴー市民のあいだではオーキー(Auchie)と親しみを込めて呼んでいます」
坂戸マスターはこう言うと、3回蒸溜について教えてくれた。
「初溜釜と再溜釜の間に中溜釜(インターミディエイト・スティル)が存在します。蒸溜を繰り返せば、当然アルコール度数は上がります」
加熱機会が多くなると、熱化学反応によりフルーティーなエステル類がより生成されるらしい。オーキーはフルーティーでフレッシュ、繊細でスームースな感覚にあふれているという。
良直にもハイボールをつくってくれた。濃いめのハイボールはほのかにスモーキーで、意外にもパンチがあった。シトラスやナッツのニュアンスがソーダの辛味とうまく反応し合っているのかもしれない。癖になる味わいだ。
マスターは「三寺参りと同様、ローランドのウイスキー職人にしてみれば、3回蒸溜によって自分たちの魂が満たされるんです。何事もポジティブに。一度冬に瑠璃ちゃんに三寺参りに連れてってもらったらどうですか」と一気に言い放った。ガッチリくんは「ええっ」と驚き、戸惑い、言葉が出ない。
瑠璃ちゃんはただ困惑した表情を見せていた。
(第25回了)
絵・牛尾篤 写真・児玉晴希
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