Whisky Smiles Gently ショートストーリー ウイスキーは物語を映す Short Story

第23回
「燻香の系譜」

作・達磨信

 この冬、伸之はホット・ウイスキー・トディーにハマった。昨年末、冷え込んだ夜にやってきた伸之が「ホット・ウイスキーが飲みたい」と言ったのがきっかけで、ならば、とヒロがカクテルとして仕上げたのである。
 トディーとは、グラスに砂糖を入れてスピリッツを注ぎ、水または熱湯を満たすのが基本である。他にレモンスライスやクローブ(丁子)といったスパイス、シナモンスティックなどを加えたりする。
 伸之はブレンデッドスコッチ、ティーチャーズ・ハイランドクリームのホット・トディーを気に入った。ヒロは柄付きタンブラーに角砂糖を入れてティーチャーズを注ぎ、熱湯で満たし、レモンスライス、クローブを加えている。
 香りはしなやかだ。温もりのあるレモンとクローブの穏やかさがある。
 ところが湯気に鼻腔をくすぐられながらひと口啜ると、ティーチャーズのスモーキーさ、大麦を燻したニュアンスがじんわりと口中に広がり、やがてほのかな甘みに満たされてこころがほぐれていく。
 今夜は伸之が味わっているところに津嘉崎さんが登場した。相変わらず表情は苦みばしっているものの伸之に親しみを込めた挨拶をする。かなりの年齢差がありながら、若者に対してここまで紳士的な年配者をヒロは知らない。
「もしかしてホット・ウイスキー・トディーですか」
 順に伸之とヒロの二人に目を向けながら津嘉崎さんが聞いてきた。
「そうでしたね。何度か顔を合わせながら、ここしばらく津嘉崎さんがいらっしゃる時間が少し遅かったので、彼がホット・ウイスキー・トディーを飲んでいる場面に遭遇してらっしゃらなかったんです」
 ヒロの言葉に、伸之が「ウイスキーはティーチャーズです」と応じる。
「それでは、わたしもいただいてみましょう。お願いできますか」
 津嘉崎さんのオーダーに、ヒロは「かしこまりました」と答えて仕度にかかる。今夜もまたいい時間が訪れた、とヒロは嬉しくなった。
 二人はティーチャーズについて語りはじめた。
 伸之がヒロから、ウィリアム・ティーチャーが19世紀半ば過ぎに、グラスゴーの港湾労働者のためにしっかりとした品質を抱きながらもポケットマネーで飲めるウイスキーを開発したことを聞いて、感銘を受けた、と話す。
「まさに、働く男のためのウイスキーですよね。それがグラスゴー市民の酒として愛されるようになり、世界の酒へと成長していった。凄いことです」
 津嘉崎さんがしっかりと受け止めて答えた。
「昨年末、わたしの父が寒い季節によくレッドのお湯割を、それも湯呑みで飲んでいたのを思い出したんです。ホット・ウイスキーが飲みたいってヒロさんに言うと、トディーというカクテルがある、といってつくってくれて、飲んでみたら凄く美味しい。そこからいろいろブレンデッドウイスキーのベースを替えて味わってみまして、ティーチャーズに落ち着きました」
「スモーキーさが気に入ったんですか」
「はい。味わいから、また故郷というか、父の姿が浮かびました」
 そう言って伸之は想い出話をはじめた。
 父親は小雪がちらつく季節の休みの日にはオホーツクの海へ出かけ、鮭を釣る。伸之にしてみれば耐えられないほどの寒風吹きすさぶなか、凍えそうになりながらの海釣りである。
 そして釣った鮭を家に持ち帰ると自ら捌き、軒下に吊るして寒風で乾燥させる。北海道で"鮭とば"、と呼ばれるものだ。乾燥後は庭で湯呑みに入れたレッドのお湯割を飲みながら、ドラム缶を使い桜のチップで燻製にする。
 そこまで話がすすんだところで、ヒロは「失礼します」と言ってティーチャーズのトディーの入ったグラスを津嘉崎さんの前に置いた。
 津嘉崎さんは「ありがとう」と言いながら乾杯の仕草をしてゆったりと香りを楽しむ。そしてひと口啜ると、「ほう、強烈なスモーキーさとは違う。味わいにしなやかな燻したニュアンスがある。シンプルに美味しい」と答えた。
 伸之は「でしょう。美味しいですよね」と笑顔で応じる。
「しかし、ミント・ジュレップからお母さんのミント、そして今度はお父さんの鮭の燻製。あなたには羨ましいほどの香りの記憶がありますね」
「羨ましいなんて、大袈裟ですよ。ただのわたしの故郷の話です」
「いやいや、素敵ですよ。香りや味わいから両親、故郷を想う。誰かを慕い想うことが素晴らしい。そんな想い出があるだけでもあなたの財産ですよ」
「そうおっしゃられると、なんだか嬉しくなります。父はいま頃、除雪作業の仕切りで恐ろしいほど忙しいと思います。束の間の休みに、ウイスキーのお湯割と鮭とばを口にして寛いでいるはずです」
「雪国のライフラインを守る、重要なお仕事をなさっていらっしゃる」
「ありがとうございます。あっ、それともうひとつ、ティーチャーズに出会ってよみがえった、いまは亡き祖父の話があるんです」
「おお、是非ともお話いただけますか」
「面白い話かどうかわかりませんが、祖父はぽっぽや、鉄道員、旧国鉄最後のSL機関士で、最終的にはディーゼルを運転して終えたようです」
 伸之はそう言うと、かつて鮭を燻しながら父親が語った話をはじめた。
 父にとってスモーキーな香りは祖父に直結すると言う。祖父が家に帰ってくると、独特の燻されたような香りが漂った。石炭を焚く機関室のスモーキーな匂いが身体に染み付いてしまうのだ。
 家族の前では無口で愛想のない人だったが、祖父なりの家族への愛情表現もあった。実家は線路近くにあり、自分の家の前を走るときには必ず汽笛を鳴らした。子供の頃の父はそれが嬉しくもあり、家族にサインを送ってくるSL機関士の自分の父が誇らしかった。
 伸之が物心ついた頃には祖父は引退して伸之の前では好々爺になっていたので、SLの機関士だったと言われてもピンとこなかった。孫にはスモーキーさを見せることなく、甘くて優しすぎるほどの祖父だった。
 こう話すと、伸之は照れたように微笑み、グラスを傾けた。
「懐かしくて美しい日本の情景が浮かんでくる、なんとも素敵なお話です。ありがとう。またあなたに感謝です。それにティーチャーズのブランド開発イメージが、お爺さま、お父さまのお仕事の姿に見事にハマる」
 津嘉崎さんのその言葉に伸之は首を振りながらこう返した。
「とんでもありません。わたしはヒロさんに感謝しています。いつも故郷をよみがえらせてくれるのは、ヒロさんがつくる一杯なんですよ」
 その言葉に津嘉崎さんは頷きながら、「いい酒と、いいバーテンダーは飲み手のこころを自由に遊ばせ、ときに知を巡らせ、ときに高揚感をもたらし、ときにセンチメンタルにさせる」と言った。
 ヒロにはもったいないほどの二人からの褒め言葉であったが、このまましっかりと修業をつづけなさい、との戒めにも聞こえ、背筋が伸びる。それでも一杯の酒から会話が弾むバーテンダーとしての喜びを感じてもいた。

(第23回了)

絵・牛尾篤 写真・児玉晴希

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