Whisky Smiles Gently ショートストーリー ウイスキーは物語を映す Short Story

第11回
「原石」

作・達磨信

 午前2時をまわっていた。デスクトップの電源を落とす。灯りは傍のテーブルライトとこの勉強部屋のドア近くに立つ間接照明だけとなる。
 デスクから離れて大きく伸びをし、ゆっくりと背後の本棚の横に収まっているローキャビネットへ向かい屈み込む。ほの暗いなかガラス扉を開き、いくつかあるショットグラスから今夜の相手を選びだす。
 多面体カットのシャープなグラスを選び、響のボトルを持ち出し、再びデスクへと戻る。グラスにウイスキーを満たすと、テーブルライトも消す。
 たちまち闇が深くなる。グラスに注いだときにはゴールデンブラウンに輝いていたウイスキーも、離れた位置から届く間接照明の微かな光を受け止めるだけになる。空調の音が聞こえる。音は、それだけだ。
 疲れてはいるものの頭だけは冴えている。脳みそは剣山のイガイガのように尖りまくり、ベッドに横になってもすぐに寝つけはしない。こういう夜はゆったりと響を飲みながら、イガイガが萎えていくのを待つ。

 ただ、今夜はいつもの夜とは違う。デスク脇の棚には花瓶が置かれ、挿し入れられた淡い黄色の蝋梅(ろうばい)が甘く爽やかな香りを放っている。執筆がすすんだのはこの香りのおかげかもしれない。そしていま響の甘美な香りがほのかにブレンドされようとしている。とても贅沢な気分だ。
 昼間、妻の友里の友人が二人揃って来訪した。そのうちの一人、高萩菜々子さんが持参してリビングに活けてくれた蝋梅から、短く切った3枝ほどをわたしの勉強部屋にどうぞと挿してくれたものだ。彼女はしばらくすると植物について根本から学ぶためにロンドンの園芸学校に留学する。
 もう一人は神丘藍さん。いまは結婚して姓が変わっているが、旧姓の神丘のまま翻訳家として活躍しており、彼女が翻訳して昨年秋に出版されたフランスの小説は近年の海外文学の販売部数としては記録的な数字となっている。
 神丘さんとの縁はわたし経由のものだった。すでに20年以上も前のことになる。彼女が在籍していた大学の教授から「とにかく優秀で、大学院を出たらフランスに留学したいという女学生がいます。できましたら津嘉崎さんの奥さんにフランス語を徹底的に仕込んでもらいたい」と懇願された。彼女が大学4年生になる前の春のことだった。
 フランス育ちの妻にそれを伝えると、「まずは会ってから。波長が合わないとダメ」と言う。ところが二人は見事なまでに気が合った。
 出会いの日、神丘さんは妻へ臆することなく質問して話が尽きない。妻は彼女に夕飯をすすめ、わたしも一緒に食事をした。娘の杏実が春休みを妻の実家で過ごしていたこともあり、食卓がまたいつもと違う明るさに包まれた。
 彼女はワインを美味しそうに飲んだ。妻が「これなら向こうですぐに友だちができる」と言うと、「やはりワインなんですか」と彼女が訊ねた。「もちろんワインはよく飲むけれど、意外にもフランス人はかなりウイスキーを飲むんだよね」と妻が答えると、彼女は顔をほころばせてこう明かした。
「実家はウイスキー党で、父はブランドにこだわりはありませんが、祖父はずっと角瓶です。わたしも20歳になって最初に飲んだお酒が角瓶でした」
 そこで響のボトルを持ちだしてすすめると、「よろしいんでしょうか。響はまだ飲んだことがありません」と明るく華やぐような笑顔を見せた。
 それから神丘さんは時間があれば我が家を訪れるようになる。「藍さんはセンスがいい。あなたの若い頃に感じた、やがて光輝く原石の香りがする」と妻は評価した。また神丘さんの翻訳家としての才能を早くに見出してもいた。その慧眼(けいがん)には驚かされる。
 妻の元で3年ほど勉強すると神丘さんはパリに留学する。彼女のために妻が手配した下宿は、フランスの知人のなかで最も厳格ながらウイスキー好きの老父婦の家だった。そして彼女は9年間もフランスで過ごし帰国する。
 すぐに親しい人たちだけの神丘さんの帰国祝いが都心のレストランで開かれることになり、妻は友人代表として花束を渡す役目となった。ちょうどその会場近くに評判の花屋があり訪ねると、店頭で外国人客を相手にしている若い店員を目にする。それが高萩菜々子さんだった。
 高萩さんの英語力と発音のよさに妻は驚きながらも、ネイティブがあまり使うことがない少し気になる表現があったらしい。妻は彼女の接客が終わるのを待ち、さしでがましいようですが、と断ってから指摘して正すと、彼女はとても喜んで感謝の言葉を述べた。聞けば、ロンドンのキューガーデンで学びたくて英会話の勉強をしているのだが、もっと上達したいと言う。
 妻は世界遺産でもあるキューガーデンに何度か行ったことがあり、そこで学びたいという日本人がいることに興味を抱いた。好奇心の強い妻は早速に素敵な目の輝きを持つこの若い女性から花や園芸について学ぼうと考える。彼女との英会話の時間を過ごしながら、ただの花好きからもっと違う世界を知ることができるのではなかろうかと。
 妻は自分の身を明かして、一度家に遊びにいらっしゃい、と告げる。高萩さんは驚き、「もしかして、津嘉崎秀雄先生の奥様でいらっしゃいますか」と聞いてきた。妻は「そうよ。お望みなら主人が時事問題を英語で語ってくれるかもしれない。でも先生はダメ。津嘉崎さんでお願い」と返したらしい。
 そして高萩さんの指導で我が家の小さな庭の佇まいは見違えるほど瀟洒になった。また驚くことに彼女はウイスキーのいろいろなブランドの味わいを知っていた。どこで味を覚えたのか、と聞いても笑ってごまかすだけである。
 高萩さんの留学は神丘さんの尽力があった。彼女のフランス時代の親友がイングランド人で、実家はロンドン近郊にあり、住み込みの庭師の夫婦がいるほどの大邸宅だった。高萩さんはその庭師夫婦を紹介され、リモートでやり取りするようになる。昨年夏に高萩さんはヨーロッパ旅行に出かけた際に神丘さんの友人の邸宅を訪ね、留学の準備が着々とすすんだのである。

 ほの暗いなか、ショットグラスを目の前に掲げ見つめる。やがて光輝く原石に乾杯しよう。とはいえ、神丘さんのときもそうだったが、わたしは彼女らの何のチカラにも成り得ていない。響を一緒に飲んだ、ただそれだけである。
 そういえば響の味わいをはじめて知ったのはアメリカ留学中のことで、日本ではなかった。日本人ながらフランスからやってきたとてもキュートな留学生の友里が「これこそジャパニーズ」とわたしに響をプレゼントしてくれた。
 本人にはそんな意識は毛頭ないだろうが、彼女は愛すべき人たちを響の麗しい香味で磨き上げようとしているようで、なんだか愉快だ。
 ならば、わたしは彼女の期待に応えられているのだろうか。グラスの密やかな煌めきにそう語りかけたが、答えてくれるはずもない。
 深い夜のしじまにいつものウイスキーがある幸せに浸り切る。
 グラスを傾ける。響の甘美さに蝋梅の甘く清々しい香りがほんのりと重なると、新たな世界へと旅立つ、高萩菜々子という原石の香りのように想えた。

(第11回了)

絵・牛尾篤 写真・児玉晴希

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