バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

11

ビッグバンド・ジャズ

それにともないビッグバンドの専属シンガーにも人気が出はじめる。ファンはラジオを聴きながら演奏と同時に歌を望むようになっていく。

ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ボーン、ダイナ・ワシントンなどの大物女性歌手。男性ではビング・クロスビー、フランク・シナトラ、ペリー・コモ、ジミー・ラッシング、アル・ヒブラーなどもバンド・シンガーからの出発だった。


フランク・シナトラはステージで、自分自身をサルーン・シンガーだと紹介することがあった。そんなときは必ず『One for My Baby』を歌った。ジョニー・マーサーの手による名高い詞だ。

この曲はプレミアム・バーボンウイスキー、メーカーズマークのストレートを嘗めながら聴くのがふさわしい。スィート&スムーズな甘美でなめらかなタッチが、名詞とともに切なさをもたらし、心身を痺れさせる。ジーンとくる。
“午前3時15分前の閉店間際のバー。バーテンダーのジョーと俺の二人きり。ジョー、俺の話を聞いてくれ。そして酒をつくってくれ。一杯はあの娘のために。そしてもう一杯、これから帰る俺を勇気づけるため に”

詞は、恋人にふられた男が、バーテンダー相手に愚痴をこぼす、といった内容のものだ。シナトラはこの曲を情感たっぷりに歌って観客を酔わせた。

シナトラがサルーン・シンガーだと自称したのは、元をただせばバンド・シンガーであり、彼の名を高めたのは最もゴージャスなスウィング・バンドといわれたトミー・ドーシー楽団だった。トミー自身の甘い センチメンタルなトローンボーンにスター・プレーヤーを従え、贅を尽くしたバンドだった。1938年に『ブギ・ウギ』で400万枚のレコードを売り上げた。これはスウィング・ジャズの売り上げ記録になっている。すべてはラジオのおかげである。

シナトラはこのバンドで、クラブ歌手としての修行を積んだのだ。彼がマット・デニスの『エンジェル・アイズ』をステージで歌うときは、まずバー・ストゥールに腰をかけ、煙草に火をつける。
“ここはサルーンです。皆さんは客の一人一人になったつもりで聴いてください。悲しいサルーンの歌です”

観客にこう前置きした。歌いながらシナトラのこころは、遠いビッグバンド全盛時代に帰っていたことだろう。

21世紀のいま、遠いアメリカの時代を知らなくても、彼の曲を聴くと懐かしい気分に浸ることができる。だからといってセピア色に褪せているわけでもなく、メーカーズマークのハンドメイドのなめらかな味わいのように、人々のこころの壷を満たし、潤す。

(第11回了)

for Bourbon Whisky Lovers