『Hibiki』Vol.9 2019年10月1日発行

特集:ウィーンが聴こえる

©Österreich Werbung / Hans Wiesenhofer

この秋もまたサントリーホールにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がやってきます。今年はオーストリアと日本の友好150周年。両国は明治2年からすでに友好関係にありました。
そしてサントリーホールとウィーン楽友協会(ムジークフェライン)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団も、長い間音楽の強い絆を結んでいます。音楽の都ウィーンの魅力と、知られざる日本との深い関係をご紹介します。

ウィーン楽友協会のニューイヤー・コンサート
©WienTourimus / Lois Lammerhuber

ウィーンはいかに〝音楽の都〞になったのか

ウィーンといえば「音楽の都」として知られています。ではなぜ、そのようによばれるようになったのでしょうか。

ウィーンは、13世紀にハプスブルク家に統治されて以来、急速に大都市として発展しました。14世紀にはルドルフ4世によって聖堂やウィーン大学が創設されます。この頃ペストの大流行で発展は一時停滞したものの、15世紀半ばにはハプスブルク家が神聖ローマ帝国の皇帝を世襲するようになり、ウィーンはその中心都市となりました。
帝都ウィーンには皇帝の近くにいようと貴族が集まり、皇帝に自らをアピールする方法として宮廷楽団をつくるなど、芸術に力を入れて、その華やかさを競いあったといいます。17世紀末にはシェーンブルン宮殿が築かれ、宮殿の中でオペラも上演されるようになりました。

また経済的繁栄によって力をつけた市民階級も音楽に対する関心を強め、貴族のように音楽に触れたい、という人々が増えてきました。そうしたウィーンの吸引力が、各地から音楽家を集めることにもなります。
たとえば、モーツァルトは1781年、生まれ故郷のザルツブルクを離れ、ウィーンを定住の地に決めました。音楽の教授も務め、生徒には貴族も市民もいたといいます。また、ベートーヴェンはドイツからやってきてウィーンで名をあげました。多くの音楽家がウィーンに暮らし、18世紀後半には「ウィーン古典派」の作曲家が多くの名作を生み出しました。

宮廷での華やかな舞踏会の様子。この伝統は今もウィーンに残る。
©Österreich Werbung / Gerhard Trumler

1873年のウィーン

リング大通り、そして劇場やコンサートホールの誕生

ウィーンでは貴族のみならず市民にも家族で室内楽を楽しんだり、音楽を鑑賞する習慣が広まってゆきました。
それにつれて、市民のために楽器をつくる職人も増え、ウィーン製のピアノは人気のブランドに。また、楽譜出版会社も登場し、楽譜の印刷が盛んになりました。ウィーンは名実ともに「音楽の都」になってゆきました。

さらに19世紀半ばには、ウィーン市を囲んでいた壁が取り払われ、5・3キロメートルにおよぶ環状道路「リングシュトラーセ(大通り)」が建設されると、その沿線にはウィーン市庁舎などとともに、芸術を楽しむ施設が立ち並ぶことになりました。そのひとつが、ウィーン国立歌劇場。今も多くのオペラやバレエが上演され、世界中から1シーズンに60万人を超える観客を迎えます。

夜はいっそう華やかなリングシュトラーセ
©Österreich Werbung / Julius Silver

楽友協会のメンバーでもあったヨハネス・ブラームス

また1870年、ウィーン楽友協会が竣工しました。その当時には、ブラームスも楽友協会のメンバーに名を連ね、指揮をすることもありました。
絢爛豪華な内装と音響のすばらしさから大ホールは「黄金のホール」とよばれます。元旦には世界中にニューイヤー・コンサートがテレビ中継されるのでその華やかな姿を目にした人も多いのでは。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめ、ウィーン交響楽団などウィーンの主たるオーケストラの名演の舞台です。ドイツ出身の巨匠ブルーノ・ワルターはかつて「ここで初めて指揮したときの圧倒的な印象は決して忘れられません。音楽が、これほど美しいものでありうるとは、今までまったく知らなかったのです」と語っています。
また、楽友協会には大ホール以外にも、室内楽のホールや資料室、ピアノメーカーのベーゼンドルファーのショールームもあります。

リングシュトラーセ沿道には美術館なども含め歴史的文化施設も並び、いまも変わらぬ趣ある姿を見せています。

現在のウィーン楽友協会

ウィーンの音楽の楽しみ方はさまざま

ウィーンの人々にとって音楽は身近な存在。少し敷居が高いものと感じられることも多いクラシック音楽も、ウィーンでは自然に暮らしに溶け込んでいます。
たとえば、ウィーン国立歌劇場ではオペラのシーズン中(4、5、6月と9月)、劇場の外のスクリーンに上演中のオペラを映し出しています。スクリーン前の広場には、会社帰りや買い物帰りの人がしばし見入っている姿も。
買い物かごを提げたまま見ていた老婦人は「私はいつも通りがかりにここでオペラを見てるのよ」。

ライトアップされたウィーン国立歌劇場
Photos by Keisuke Irie

オペラといえば、格式を誇るウィーン国立歌劇場だけでなく、まさに市民のためのオペラ劇場、ウィーン・フォルクスオーパーも人気です。やはり19世紀末に建てられ、今も当時と変わらぬ姿です。オペラのほか、オペレッタ、ミュージカルなど年間300公演が行われ、ウィーン国立バレエ団の本拠地のひとつでもあります。毎年お正月にはウィーン・フォルクスオーパー交響楽団が来日し、サントリーホールで本場のニューイヤー・コンサートを披露します。

ウィーン・フォルクスオーパーの外観

そのロビーはシンプルながらエレガント

旅人にとってもさまざまな音楽の楽しみ方があります。今は簡単にウェブで、楽友協会や国立歌劇場、フォルクスオーパーなどのチケットを事前に予約もできますが、ウィーンの街角にはウィーン市観光局が発行する「コンサート案内」が置かれています。毎日どこかしらでコンサートが行われているので、街に着いたらチェックしてみてはどうでしょう。
音楽の都に集った音楽家たちの足跡をたどってみるのもウィーンならでは。たとえばモーツァルトハウスは1784年から1787年までモーツァルトの住んでいた家で、オペラ『フィガロの結婚』はこの家で作曲されました。ハイドンや若き日のベートーヴェンもここを訪れています。

秋はワインの新酒の季節。ホイリゲとよばれる居酒屋でも、店によっては音楽の生演奏があります。陽気なヴァイオリンが奏でるポルカや民謡で古きよきウィーンのムードを楽しむのもおすすめです。

ホイリゲでワインと音楽を
©WienTourismus/Peter Rigaud

サントリーホールでウィーンの音楽にひたる11月

ダニエル・フロシャウアー氏

ウィーン・フィル楽団長のダニエル・フロシャウアー氏(昨年のウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパンにて)

今年も、音楽の都ウィーンから、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が来日します。日本オーストリア友好150周年、サントリーホールでの『ウィーン・フィルハーモニーウィークインジャパン』が始まって20年目となる記念の年。どんなコンサートになるのか、楽団長のダニエル・フロシャウアーさんに伺いました。

「今年は、私たちと最も緊密な関係にあるクリスティアン・ティーレマンと、若くしてウィーンでキャリアを積んでいるアンドレス・オロスコ=エストラーダ、ふたりの指揮者と演奏します。なんと言っても特別なのは、オープニングのスペシャル・プログラムです。今年、ウィーン楽友協会でのニューイヤー・コンサートを指揮したティーレマンと、その時のプログラムを中心にとっておきの作品を選んで演奏したいと思います。ウィーンらしいシュトラウス・ファミリーのワルツで、幸せな気分になっていただければ。私たちは本当に日本が大好きなのです。日本の皆さんは、芸術に対する理解や美的感覚に優れていて、私たちが演奏する曲のこともよく知っていらっしゃいます。サントリーホールの二千人のお客様の素晴らしい雰囲気に包まれて、私たちもベストな演奏をしなければ!という気持ちにいつもなります。特別なものが伝わっていると感じられ、私がなぜ音楽家になったのかがわかる最高の瞬間です」

彼らの来日時期に合わせて、サントリーホール近くのホテルオークラ東京別館で、日本オーストリア友好150周年を記念した『音楽のある展覧会』も開催されます。例年以上にスペシャルな、ウィーン気分溢れる11月になりそうです。

本拠地ウィーン楽友協会の大ホール(1870 年完成)にて、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
©Terry Linke

音楽のある展覧会

ウィーン・フィルの本拠地、ウィーン楽友協会には、音楽に関するあらゆる資料を体系的に収集した資料室「ウィーン楽友協会アルヒーフ・図書館・コレクション」があります。その膨大な資料の中から、19世紀末からの150年間、オーストリアと日本の音楽を通じた交流を示す貴重な資料を展示するのが、『音楽のある展覧会』です。

ブラームスやブルックナー、リスト、ヨハン・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウスら偉大な作曲家たちが生きた19世紀末のウィーン。万国博覧会を機に、ヨーロッパ各地で大流行したジャポニスム(日本趣味)は、音楽界にも大きな影響を与えていました。ブラームスの遺品の中には、ヨーロッパで発売された日本の楽譜集などがたくさんあり、彼が日本の旋律に興味を持ったことがうかがい知れるそうです。また、その頃にヨーロッパに渡りウィーンで演奏会を開いた日本の音楽家や、楽友協会を訪れた文化人たちの記録も残されています。100年以上前にウィーンの人たちが聴いたかもしれない日本の音楽に想像を巡らせながら、新しい発見に出会える展覧会です。
会場ではウィーンフィル・メンバーによるギャラリーコンサートなども行われます。

守屋多々志作『ウィーンに六段の調(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)』(大垣市守屋多々志美術館蔵)。ブラームスは当時このように、日本の音楽を聴く機会があったという史実に基づき1992年に描かれた屏風です。

ブラームスの遺品の楽譜『Rokudan』

同時開催の特別写真展「素顔のウィーン・フィル」では、ウィーン・フィルが来日するたびに、舞台裏で彼らのお茶目な素顔を撮り続けてきた市川勝弘カメラマンの、秘蔵写真を公開。ウィーン・フィルを、より身近に感じることができます。

特別写真展『素顔のウィーン・フィル』より。約80点の作品を展示します。

『音楽のある展覧会』を監修したオットー・ビーバ博士(ウィーン楽友協会アルヒーフ・図書館・コレクション室長)と、イングリッド・フックス博士(同副室長)からメッセージが届きました。

ビーバ博士 フックス博士

親日家としても知られるビーバ博士(上)とフックス博士

150年前のウィーンの「生きた音楽史」を、日本の皆様にご紹介します。音楽史上とても重要な作曲家たちが活躍し、音楽の都ウィーンの象徴でもある国立歌劇場、楽友協会が建設された時代です。そして、ジャポニスムの流行について。19世紀後半の日本がオーストリアの芸術活動に与えたさまざまな影響を、絵画や楽譜などを通じてご紹介します。展示するのはすべてオリジナルです。ブラームス、ブルックナー、フーゴー・ヴォルフ、ヨハン・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウスの自筆譜は、日本初公開です。

オーストリアと日本が音楽を通じて今日まで続く親密な関係を築いてきたこと、そして、ウィーンの音楽史において重要な作曲家達を生み出した偉大な時代を知っていただければ幸いです。