『Hibiki』Vol.1 2017年9月1日発行

世界にひとつのオルガン

この世でいちばん大きな美しい楽器。
天上から降り注ぐような壮大な音色に包み込まれる、圧倒的な音楽体験。
中でも、サントリーホールのオルガンは世界最大級。
パイプの数は正面に見えるものだけでなくその奥の空間に何列にも何段にも並び6メートルを超すパイプから手の平サイズまで、総数5898本!
大規模なオーバーホールを行い、9月1日のReオープニング・コンサートでホール中の空気を震わせるであろうオルガンの魅力を、誕生物語とともに探ります。
(撮影・入江啓祐)

これまでにない、大規模なオーバーホールを施し、最後の整音作業中のオルガン。

カラヤンの一言

「オルガンのないコンサートホールは、家具のない家のようなもの。コンサートホール自体が、オルガンを備えた楽器なのです」
二十世紀の大指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンは言いました。
夢のサントリーホール建設構想が具体化しつつあった1983年、のちの初代館長・佐治敬三がヨーロッパ視察に訪れたときのことです。ベルリン・フィルの本拠地でヴィンヤード(ぶどう畑)形式の『フィルハーモニー』設計に深く携わったカラヤン氏からの直接のアドバイスで、サントリーホールのオルガンづくりが始まりました。

ベルリンにて、マエストロ、カラヤン(左)と佐治敬三。

サントリーホールのオルガンの音始め。A(ラ)音の鍵盤を押す佐治初代館長。

音色をつくる

オルガンはすべてがオーダーメイド。設置される空間の大きさや演奏したい音楽の傾向に合わせて音色の種類と数とが決定されます。その要となるパイプは、音色に応じて素材(金属の配合比率、木製パイプもあります)や発音原理(縦笛と同じ原理で音が出るフルー管と、リードを振動させるリード管)、形状(開管、閉管、半閉管)が異なり、さらに長さによって音の高さ(音階)が決まります。音色は、製作する地域やメーカーによっても異なるので、世界に1台、そこでしか聴けない音色がつくられるのです。
サントリーホールの当時のオルガン研究グループは、ヨーロッパ中の教会やホールのオルガンを聴き歩きました。そして、ウィーンのアウグスティーナ教会で出会った、柔らかく温かみのある響きに全員が魅かれたのです。「この音だ!」。オーストリアのリーガー社製オルガンでした。

整音作業は、演奏台に1人(中央)、オルガン内部に1人の2人体制。パイプが立ち並ぶ狭い空間で黙々と続けられます。

誕生の瞬間

リーガー社は19世紀半ばから続く名門で、パイプづくりから組み立てまで一貫して生産し、世界各国へ輸出する、数少ないオルガンビルダーです。山間にある工房で、36人のチームが1985年から1年がかりで、サントリーホールのオルガンづくりに取り組みました。そのとき、錫と鉛を配合して薄い金属板をつくり、丸めてパイプに仕上げる作業をしていたひとりが、今回のオーバーホールのために来日したヴァルター・フォンバンクさんでした。
「5898本のパイプすべて、自分たち6人の職人の手でつくったんです」。
工房で組み上げた巨大なオルガンを解体し、部材ごとにコンテナに積み込み、オーストリアから船で日本へ輸送。完成したばかりのサントリーホールの中で、半年間かけて組み立てと音の調整(整音)が行われました。
そして1986年10月12日、サントリーホール落成式典の始まる午前10時半。タキシードに身を包んだ佐治敬三館長(当時)が、オルガンの前に進みました。人差し指で、A(ラ)の鍵盤を押します。オーボエのような音色のA(ラ)音がホールに響きわたり、それに合わせて、オーケストラの面々が舞台上でチューニングを始めました。これが、サントリーホールの音始めです。

31年前にオーストリアの工房でパイプづくりを手がけたヴァルター・フォンバンクさん(右)は、今回は整音師として初来日。

そして31年後……

大規模なオーバーホールの現場は、まるで建築現場のよう。オルガン本体から慎重にパイプをはずし、まずはパイプ内のほこりを掃除。時間とともに変形してしまった箇所を修理、整形します。ふいご(送風装置)やトラッカーと呼ばれる装置、鍵盤、ストップノブなどすべてパーツごとに分解して調整。1ヵ月以上かけてすべてのメンテナンスが終わると、今度は整音師チームの責任者、前述のヴァルターさんが来日しました。周囲の音や動きに影響されない深夜の作業。オルガンの音が1音ずつ、静まり返ったホールに響きます。ヴァルターさんはオルガンの中に入りこみ、パイプの1本1本を確認します。5898本すべてを、正しいイントネーションに調整するのに、やはり1ヵ月かかりました。この道40年のヴァルターさんは言います。
「オルガンの木の部分は、環境によって変化します。30年の間に環境に適し、“サントリーホールのオルガンの音”になってきたと思います。私が思うに、金属製のパイプもそうです。音が鳴って振動して金属が落ち着くには時間がかかる。パイプもだんだんリラックスしてきたんじゃないでしょうか。デザイン的にも、このホールにこのオルガンの形はとても合っていますね」
この先100年も200年もこの場所で、オンリーワンの音色を響かせるであろうオルガン。
「壮大な音、繊細な音、さまざまな色彩のある音色があって、喜びや悲しみやさまざまな感情が喚起される。それが、この楽器の魅力です」。
時を経てますますホールと一体化し、オーバーホールによってよりクリアに美しく整ったオルガンの音を、ぜひ聴きにいらしてください。

たった1台のオーケストラ

写真左上は、オルガンの内部。演奏台の鍵盤と「ストップ」と呼ばれるノブの操作によって特定のパイプにだけ風が送り込まれ、音が出る仕組み。このオルガンは手鍵盤4段と足鍵盤、74ストップ(写真左下)。ストップ数は音色を使い分ける機構の数で、ノブには「フルート」「トランペット」「ヴィオラ」などの名が。つまり、その楽器の音色を備えているということ。だからこそオルガンは「たった1台のオーケストラ」と呼ばれるのです。
今回のオーバーホールではリーガー社から、クリーニングと修理の作業チーム5名が来日。「オルガンを観察し、理解し、敬意を払って作業します」。

オーストリアからメッセージが届きました。

サントリーホールのオルガンは、私にとって非常に特別な楽器です。1986年、私はこのオルガンを設置し、整音するチームの一員として来日していました。あの頃、私は若いオルガン技師でした。社長となった今でも、大型楽器を日本に設置するという当時の胸の高鳴り、初めて接する日本文化、そして日本の人たちと育んだ友情といった楽しい記憶を、このオルガンは思い起こさせてくれます。
オーバーホールを経て、再び、このオルガンは長きにわたって使い続けられ、これからもサントリーホールにお越しの皆さんに歓びを与え続けることでしょう。

ヴェンデリン・エーベルレ

※1986年の開館時、整音師アシスタントとして来日したヴェンデリン・エーベルレさんが、現在のリーガー社の社長です。