このプログラムでは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を全曲演奏することによって、ベートーヴェン作品の持つ感情と知性に富んだ風景を探求します。今回のベートーヴェン・サイクルは6つのテーマに分かれ、初期の活気に満ちた楽観的な作品から後期の深淵な作品まで、ベートーヴェンのたどった音楽的な進化の多様な側面に光を当てました。作曲家としてのベートーヴェン個人の哲学的な変遷のみならず、ベートーヴェンの音楽が内包する変革の力を表しています。
ベートーヴェン・サイクルの核となるのは、初期に作曲された第1~6番(作品18)で、これがベートーヴェンの弦楽四重奏曲全体の支柱となります。これらの作品には、後に彼の作曲スタイルを特徴づける、力強さと調和を兼ね備えた手法の萌芽が見られ、形式、対位法、主題展開における卓越した手腕が表れています。初期の弦楽四重奏曲においては、後年の作品構造の枠組みが見られるだけでなく、古典的で伝統的なものから、曲ごとに個性の際立つ、表現力豊かな作風への移行がはっきりと感じられます。
I Alpha and Omega ― 始まりと終わり
第1番 ヘ長調 作品18-1
第7番 ヘ長調 作品59-1「ラズモフスキー第1番」
第16番 ヘ長調 作品135
初回のプログラムは初期のカルテット 、第1番(作品18-1)と 、中期の始まる第7番(作品59-1)で幕を開けます。これはベートーヴェンの弦楽四重奏曲の「アルファ」つまり「始まり」に相当し、古典的な形式に則っている一方で、ベートーヴェン独自の大胆な和声と主題という革新的な手法がすでに垣間見えます。第16番(作品135)はベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲であり、全曲演奏を締めくくる「オメガ」として、人生最後の問いに対する哲学的かつ静謐な探求を提示しています。安らぎと決心に関する内省とみなされることもある作品です。
>6月11日(水)19:00開演 I Alpha and Omega
II Holy Song ― 聖なる歌
第2番 ト長調 作品18-2
第8番 ホ短調 作品59-2「ラズモフスキー第2番」
第15番 イ短調 作品132
ベートーヴェンの精神と実存への深い内省を明らかにする作品で構成されるプログラムです。叙情的で表現力豊かな第2番(作品18-2)と、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中でも最も劇的で感情を揺さぶる第8番(作品59-2)は対をなします。そして演奏会は、難聴との闘いを経て完成したベートーヴェンの記念碑的な第15番(作品132)で最高潮を迎えます。同作品は、深遠な「聖なる歌」と解釈されることが多く、有名な緩徐楽章(第3楽章)に「聖なる感謝の歌(Heiliger Dankgesang)」と記されていることからわかるように、ベートーヴェンが病からの回復への感謝を感動的に表現しています。
>6月12日(木)19:00開演 II Holy Song
III Light ― 長調
第3番 ニ長調 作品18-3
第10番 変ホ長調 作品74「ハープ」
第9番 ハ長調 作品59-3「ラズモフスキー第3番」
このプログラムでは、光と楽観主義をテーマに、一層の活気と喜びに満ち溢れたベートーヴェンの側面を表現します。優雅で快活なトーンの第3番(作品18-3)と対照的なのが、よりダイナミックで技巧的な第10番(作品74)で、ピッツィカート奏法にちなんだ別称「ハープ」です。第9番(作品59-3)を一言で表すと「輝きと気品」です。古典を超越した優美さと深遠さを兼ね備え 、ベートーヴェンが弦楽四重奏という形式を完全に自分のものにしたことを示しています。
>6月14日(土)19:00開演 III Light
IV Shadows ― 短調
第4番 ハ短調 作品18-4
第11番 ヘ短調 作品95「セリオーソ」
第14番 嬰ハ短調 作品131
ベートーヴェンの音楽に潜む影の部分に焦点が当てられ、より内省的で劇的な弦楽四重奏曲で構成されるプログラムです。第4番(作品18-4)はコントラストが印象的で、感情が激しく揺さぶられます 。この曲と対をなす第11番「セリオーソ」(作品95)は、重々しく感情に深く突き刺さるとともに、ベートーヴェンの作品の中でも特に緊張感があり、濃密です。第4回の締めくくりは、あまりにも複雑で内省的な後期の傑作、第14番(作品131)です。この四重奏曲は相互に関連し合う7つの楽章から構成されています。光と影、悲劇と超越の両方が満ち溢れ、ベートーヴェンの究極の思想を体現しています。
>6月15日(日)14:00開演 IV Shadows
V Freedom ― フーガ
第5番 イ長調 作品18-5
大フーガ 変ロ長調 作品133
第13番 変ロ長調 作品130
第5回で掘り下げるテーマは「自由」です。ベートーヴェンの自由さは、彼が用いた斬新な対位法と形式によく表れています。第5番(作品18-5)は軽快な曲調と、主旋律と変奏を巧みに用い、記念碑的な「大フーガ」(作品133)とは対照的です。「大フーガ」は、大胆かつ画期的で複雑なフーガが象徴的で、弦楽四重奏の限界を問い直します。メインとなるのは、改訂版として発表された第13番(作品130)です。ベートーヴェン自身によって、当初予定されていた斬新な終楽章(「大フーガ」)ではなく、より伝統的でありながらも、なお広がりのある楽章に差し替えられました。これは、晩年の作曲において、ベートーヴェンが自由と形式の融合に成功したことを物語っています。
>6月17日(火)19:00開演 V Freedom
VI From the Heart ― メランコリー
第6番 変ロ長調 作品18-6
弦楽四重奏曲 ヘ長調 Hess 34 (作曲者によるピアノ・ソナタ作品14-1の編曲)
第12番 変ホ長調 作品127
最後のプログラムでは、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲を特徴づける深遠な感情と哀愁がテーマとなります。叙情的な美しさと瞑想的な曲調の第6番(作品18-6)に続き、弦楽四重奏曲へ長調(Hess 34)を演奏します。この曲はベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品14-1を編曲したもので、滅多に演奏される機会がありません。この編曲からは、ベートーヴェンがジャンルの枠にとらわれず自由自在な創作を試みたことがわかります。ベートーヴェン・サイクルは、ベートーヴェンの最高傑作のひとつとされる第12番(作品127)で幕を閉じます。深い感情表現、複雑な対位法、深遠な精神性に満ち、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の始まりを告げるもので、音、形式、人間の営みを超越した探求を予見させます。
>6月18日(水)19:00開演 VI From the Heart
まとめ
今回のベートーヴェン・サイクルでは、ベートーヴェンが作曲した弦楽四重奏曲の全曲演奏を通して、ベートーヴェンの作曲が初期の古典的な様式から、後期の大胆で革新的な表現へと進化を遂げる過程を聴衆の皆様に紹介します。サイクルの核となる初期の第1~6番(作品18)は、サイクル全体を支える基盤です。この作品は、後に開花するベートーヴェンの革新的なスタイルの萌芽というだけでなく、体得した古典的な形式と、彼自身の中に芽生えつつあった個性が凝縮されたものでもあります。プログラムの各回では、ベートーヴェンが操る多様な作曲言語の側面が強調されています。軽快で陽気なものから、陰影に富んだ内省的なもの、自由の象徴としてのフーガ、晩年の深遠な心情表現まで、さまざまな側面を感じ取れます。入念に構成された本プログラムを通して、聴衆の皆様はベートーヴェンの無限に広がる才能のみならず、特に意義深い室内楽レパートリーの一角であるベートーヴェンの弦楽四重奏曲が織りなす感情の深さと哲学的な深遠をも体験できるでしょう。