第54回サントリー音楽賞受賞記念コンサート
井上道義(指揮) [2024年12月30日公演]
【有料オンライン(ライブ&リピート)配信】 決定!
毎年、わが国の洋楽の発展にもっとも顕著な業績のあった個人または団体に贈られるサントリー音楽賞。第54回(2022年度)は井上道義が受賞しました。
2024年12月30日の受賞記念コンサートは、8月のチケット発売後、直ぐに完売となりましたが、このたびライブ&リピート配信が決定しました。
1986年、サントリーホールが開館した3日後の10月15日に初登場以降、井上道義が指揮してきた公演は140を超えます。集大成となる今回の公演、その勇姿をぜひライブでご視聴ください。
◆ライブ配信:2024年12月30日(月) 15:00開演
◆リピート配信視聴期間:2024年12月31日(火) 15:00~2025年1月7日(火) 23:59
♪ 視聴券(3,000円) 購入はこちら
受賞記念コンサートのプログラムは、2024年12月をもって指揮者活動の引退を公表している井上氏自身が「最後のコンサートに読売日本交響楽団と究極の解釈で演奏するのに相応しく、サントリーホールの空間にもぴたりと合う」という観点で悩みぬいた選曲になります。指揮者のキャリア初期の頃によく取り組んだというメンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』に始まり、王道にして最重要な作曲家ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」、シベリウスの真骨頂 交響曲第7番、そしてスペシャリストならではのショスタコーヴィチの祝典序曲に取り組みます。
ラスト・メッセージ
井上 道義
引退は、病気や健忘症になって仕事がおぼつかなくなった時にするものだろう。定年のある仕事ならそれが切っ掛けになることもあるだろうが。サントリーホールで自分の考えたプログラムを最後に「引退」するというのは、いかがなものかと我ながら思う。プログラムに何か書くように言われましたが、既に新聞、エッセー本、雑誌、michiyoshi-inoue.com に載せたことも重複しつつ、書かせていただきます。
14歳の時決め、今その通りになった道義の説明をします。
明治生まれ、福山からの米国移民の息子、父井上正義は、1920年代の恐慌時代に米国の大学を苦学して卒業した経験があり、成城学園中等科の道義がところてん式に大学まで行きそうなことに賛成せず、ある日突然酔っぱらった勢いで僕に、「坊主、高校からは教育を受ける義務は無い、中学出たらどうするのか?」と問い詰めた。そこで真っ青になったミッキー坊主は、真剣に自分の将来を2ヶ月間ほど朝から晩まで想像しまくり、「難関でも死ぬまで続けられる飽きない仕事、自分の資質を最大生かせる指揮者というのを選びます。この世に人として生まれたからには自分の個性を最大に伸ばし自己実現し、他人には出来ない一本の道をそこに完成させるから、授業料お願いします!」と父に言い放った。
それが始まりだった。15年ほど経ち「食べられる指揮者」になってみたら「他にはない指揮者」の具体的構想が描けてなかった自分を発見、不安で、セルジュ・チェリビダッケ氏に習い直したり、舞台こそが生き甲斐と言いながら自分に欠けていたオペラ作品の勉強のため、1年間コンサートを休んで勉強をし直したりした。若い頃はそういう、自分に足りない点を何とか埋めたいという激しい欲求も強かった半面、あまり歳の違わなかったダニエル・バレンボイム氏に「貴兄、口ばかりで腕の動きが下手で楽員は何をやりたいか通じない、ピアノは上手いのに」とか、愛情をもって背中を押してくれたクラウディオ・アバド氏にベルリン・フィルの演奏後「あなたのベートーヴェン、なぜこんなに即物的で空っぽなんですか?」とか、成城と桐朋の先輩の小澤征爾さんに「バーンスタインは俺に抱きつくけど、小澤さんはその時どうした?」とか、TV「題名のない音楽会」の黛敏郎さんには「俺は坊主なのに潔くないなあ」とか、馬鹿正直に直球のみ投げていた。
男性の目上、年上の人に対する行き過ぎたコンプレックスを激しく持ったのは、父ではなかった父親との関係から派生したようだ。だからきっと僕の若い頃を知っている人はオーケストラのマネージャーであれ、コンサートマスターであれ(その頃は全員年上だった)、面倒くさい奴との印象を持っていたに違いない。いわゆる「人たらし」の真逆で爪を隠せない鷹? 能が無かった。
自分でそれを意識的に超えられたのは父親の死後、真実を知ってからだ。シカゴ響でマーラーの交響曲第9番を振ったのもその頃、1995年だ。初めて知った、父正義と廸子と自分の避けられなかった関係や、戦争という時代の現実のことなどが客観視でき始めた。それまでの僕の対人関係はフィリピンの電信柱の電線のごとくこんがらがって、身近な人は、とばっちりで本当にひどい目に遭わされていたと思う。
その頃だった! 京都にあった恐ろしく響きの悪かった旧京都会館でのショスタコーヴィチの発見、邂逅は。天才作曲家でも世界中の人々から真実からほど遠い理解をされていることに気付いたのは。楽譜を読み直し、彼の残した言葉を知れば知るほど、すべて人間は互いの誤解の沼に浮かんでいるのだ! という現実を知り、彼の作品に強い共感を覚えたのは。それ以降、ショスタコーヴィチの作品を通して他のすべての作曲家の音楽表現をも深めることができたと思う。地球上どこの観客も多数決という民主主義的(?)人気に左右されるし、過去のレコードを通して語ることが多いクラシック音楽批評家の価値観など自分の生きがいとは何の係わりもない。生きる意味があって、命を懸けるべきは、「舞台」であり、真実という偉大な虚構はそこに在る! と再確認。自分の全人生と芸術との関係を、新聞、雑誌等に発表することもそれ以降増えた。
2010年、北朝鮮の国立交響楽団から「アメリカに行く予定があり、そのプログラム、ドヴォルジャークの『新世界より』をしっかり指導してほしい」と依頼された(アメリカでの演奏会は金正日氏が急死した結果中止となった)。そして2013年にベートーヴェン『第9交響曲』の初演を頼まれ、日本人男性歌手2人と北朝鮮人女性歌手2人のソロでの公演(初めてドイツ語作品を演奏したという万寿台芸術団所属の合唱団と)を行った後、静かに体内で増殖していた中咽頭の癌に罹って死にかけた。
それ以後、年齢なのかストレスのためか何度も病に襲われ始めた。その頃から伊福部昭の作品が自分と近いことも発見してレパートリーとし始めたが、何よりもすでに両親の戦争中の愛の物語を戦後の日本人の自己認識とを結びつける自作オペラ『降福からの道』を書き始めていた。この作曲をやり遂げないと死ねない! という想いが強く、コロナ禍の時期にはより集中して作曲が進み(来日できない指揮者が振るはずだったショスタコーヴィチの交響曲のほとんどを代理で振った、忙しい時期でもあった)10年以上かけて思う形で初演出来たのは2023年1月(すみだトリフォニーホールとサントリーホール)だった。
そしてオペラ2日目の公演後の夜、間髪を入れず持病の腎臓からの尿路結石発作で激しい腹痛。その後は入院と復帰を繰り返し、夏は2年連続で病室の窓から外を見るだけの生活だった。でも何とか今年8月に復帰して森山開次さんとの全国共同制作オペラ『ラ・ボエーム』の稽古に参加、7箇所で3ヶ月間専念し、その後は年末までショスタコーヴィチの再録音などが続いた。そんなこんなで、今日のコンサートは第54回サントリー音楽賞のご褒美。
プログラムは、道義にしか出来ないであろう本来の形でのベートーヴェンの『田園交響曲』(11年間のオーケストラ・アンサンブル金沢との経験の結果でもある)と、人間と自然、時間と太陽の賛歌でもあるシベリウスの名曲、交響曲第7番、そしてここに居られる僕と一緒にその音楽の意味を発見する旅に付き合ってくれた同時代の皆様へ感謝を込めて、親愛のショスタコーヴィチの『祝典序曲』で乾杯。
明後日からはどう生きるかより、どう死ぬかを考えていくと思います。それは誰しも通る一本道でもあるけれど……。
出演者プロフィール
■ 指揮:井上道義
1946年東京生まれ。桐朋学園大学で齋藤秀雄に師事。71年にミラノ・スカラ座が主催するグィド・カンテッリ指揮者コンクールに優勝して以来、一躍内外の注目を集めて世界的な活躍を開始。76年には日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で日本デビューを果たした。
77~82年 ニュージーランド国立交響楽団首席客演指揮者、83~88年 新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督、90~98年 京都市交響楽団音楽監督兼第9代常任指揮者、2007~18年 オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督、14~17年 大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者を歴任し、斬新な企画と豊かな音楽性で一時代を切り拓いた。ほかにも国内の主要オーケストラのほか、シカゴ響、ハンブルク響、ミュンヘン・フィル、スカラ・フィル、サンクトペテルブルク響、フランス国立管、ブダペスト祝祭管、KBS響、ベネズエラ・シモン・ボリバル響などを指揮している。
1999~2000年に新日本フィルと共にマーラー交響曲全曲演奏会に取り組み「日本におけるマーラー演奏の最高水準」と高く評価された。また07年には日露5つのオーケストラとともに「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」を行い、音楽・企画の両面で大きな成功を収めている。このプロジェクト以降、日本におけるショスタコーヴィチの演奏会は一気に増加しており、井上はその最大の功労者とも言われている。14年4月に病に倒れるが、同年10月に復帰を遂げる。
15・20年には全国共同制作オペラ『フィガロの結婚』(野田秀樹演出)、17年 大阪国際フェスティバル「バーンスタイン:ミサ」(演出兼任)、19年 全国共同制作オペラ『ドン・ジョヴァンニ』(森山開次演出)、23年「井上道義:A Way from Surrender ~降福からの道~」などをいずれも総監督として率い、妥協のない、既成概念にとらわれない唯一無二の舞台を創り上げてきた。24年秋には、自身最後のオペラ『ラ・ボエーム』を全国7か所(東京、宮城、京都、兵庫、熊本、石川、神奈川)で指揮し、全公演完売の偉業を成し遂げた。
1990年 ザ・シンフォニーホール「国際音楽賞・クリスタル賞」、91年「第9回中島健蔵音楽賞」、98年「フランス政府芸術文芸勲章シュヴァリエ」、2009年「第6回三菱UFJ信託音楽賞奨励賞(オペラ『イリス』)」、10年「平成22年京都市文化功労者」、社団法人企業メセナ協議会「音もてなし賞(京都ブライトンホテル・リレー音楽祭)」、16年「渡邉曉雄音楽基金特別賞」「東燃ゼネラル音楽賞」、18年「大阪文化賞」「大阪文化祭賞」「音楽クリティック・クラブ賞」、19年NHK交響楽団「有馬賞」、23年「第54回サントリー音楽賞」を受賞。オーケストラ・アンサンブル金沢桂冠指揮者。
本演奏会をもって指揮活動を引退する。
■ 読売日本交響楽団
1962年、クラシック音楽の振興と普及のために読売新聞社、日本テレビ放送網、読売テレビのグループ3社を母体に設立された。創立以来、世界的な指揮者、ソリストと共演を重ねている。現在、常任指揮者をヴァイグレが務め、サントリーホールや事業提携を結んでいる東京芸術劇場などで演奏会を多数開催。2017年11月にはカンブルラン指揮のメシアン『アッシジの聖フランチェスコ』(全曲日本初演)が好評を博し、第49回サントリー音楽賞などを受賞。22年2月には文化庁芸術祭大賞を、24年7月には三菱UFJ信託音楽賞奨励賞を受賞した。演奏会などの模様は日本テレビで放送されている。井上道義とは1977年以来、数多く共演。2003年には長嶋茂雄をゲストに迎えた特別演奏会を指揮して話題を呼び、東京芸術劇場シアターオペラでも多くの名演奏を生んだ。
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