サントリーホール室内楽アカデミー第7期フェロー インタビュー
第7期を終えたふたりの若いピアニストに聞く~室内楽アカデミーで学んだこと
サントリーホールが主宰する若い音楽家のためのアカデミーはふたつあり、そのひとつが「室内楽アカデミー」である。期間は1期2年で、オーディションを経て選ばれた若い室内楽のグループが、室内楽の世界をリードして来た素晴らしいファカルティ(講師)たちのもと、毎月ワークショップのなかで演奏に取り組む。その成果は「チェンバーミュージック・ガーデン」などの実際のコンサートで披露される。私は第1期の1年目の途中から、そのワークショップを見学させて頂いて来た。そして2024年6月には第7期生がアカデミーを修了した。
すでに東京のオーケストラのコンサートマスターとして活躍する方など、優れた演奏家としていろいろな場所で元フェローたちが活動を続けており、演奏会などで彼ら彼女らの姿を見るのは懐かしくも頼もしい感じがしている。その中には室内楽アカデミーでの経験をもとに、修了したあとに結成されたピアノ三重奏団「葵トリオ」のように、世界的なコンクール(彼らはミュンヘン国際音楽コンクール)で優勝し、日本では珍しい常設のピアノ三重奏(ピアノ・トリオ)として多彩な活動を続けている団体もある。
クラシック音楽の基本は<合奏>にある、とはよく言われること。<合奏>の根本には会話が必要だ。この14年の間に、見学者に過ぎない私もそのことを実感するようになった。優れた演奏には会話がある。それは一緒に演奏するアーティスト同士の会話でもあるし、演奏家と聴衆の会話でもある。そして最初に必要なのは、その作品を作曲した作曲家と演奏する演奏家自身の会話なのであると。それは当然のことであるように思われがちだが、その当然を実現するのが実はとても難しいことも分かって来た、いまさらだが。
2年間のワークショップの最初には、どんな優れた若い演奏家もそのことへの意識が少し希薄に感じられる。「作曲家は何を伝えたいのか」という部分が、その演奏からは伝わって来ない。しかも室内楽の場合、ひとりで演奏するのではなく、グループ(弦楽四重奏やピアノ三重奏など)といった複数の人間が演奏に関わるので、事態はより複雑な様相を呈することになる。それは普段の社会生活、あるいは会社の仕事でも同じなのではないだろうか? そんなことを念頭におきながら、毎年のワークショップを見学させて頂いている。
さて、室内楽アカデミー第7期は弦楽四重奏のグループが5組、そしてピアノ三重奏のグループが2組、参加していた。ピアノ三重奏のグループが2組参加するというのは、室内楽アカデミーとしては珍しいこと。そもそもピアノ三重奏の作品は、それぞれが優れた演奏家であるピアノ、ヴァイオリン、チェロの3名を前提として作品が書かれていることも多く、またこれまでの演奏史をたどると、ソリストとして活躍する名手3人が集まって三重奏を演奏するという歴史もあった。若い演奏家にとってはなかなか取り組む勇気の出ないジャンルでもあると思う。そこに2組が挑戦してくれたというのは、時代の変化も少し感じた。
その2組は昨年のレポート※でも紹介した「ポルテュス トリオ」、そして「トリオ・アンダンティーノ」である。「ポルテュス トリオ」のメンバーは、ピアノが菊野惇之介(じゅんのすけ)、ヴァイオリンは吉村美智子、チェロは木村藍圭(あいか)3人で、2021年に結成された。3人とも桐朋学園大学で学び、出身も同じく横浜市。そこから港をイメージして「ポルテュス」の名を付けた。「トリオ・アンダンティーノ」はピアノが渡辺友梨香、ヴァイオリンが城野聖良、チェロが高木優帆という東京藝術大学の同期3人によるトリオで、2020年に結成された。これまでの毎年レポートでは弦楽器奏者へのインタビューが多かったが、今回は珍しく、それぞれのトリオのピアノを担っているおふたりに集まっていただき、第7期を修了した後の感想を伺った。
——昨年「ポルテュス トリオ」には伺いましたが、まず「トリオ・アンダンティーノ」の結成のいきさつを教えていただけますか?
渡辺友梨香 ヴァイオリンの城野さんは大学の同期ですが、2020年にある室内楽コンクールがあって、彼女から「一緒に受けない?」と誘われたのがきっかけでトリオが始まりました。
——チェロの高木君を誘った理由は?
渡辺 私も高木君も愛知出身だったので、ちょうど良いんじゃない?と城野さんが引き合わせてくれました。2つめのコンクールを受けようかとしていた時がこの室内楽アカデミーのオーディションの時期と重なり、ちょっとレベルが高いみたいだけれど、受けてみる? という話が出て、じゃあトライしてみようと。
菊野惇之介 実は僕も愛知出身で。
——え? 横浜トリオじゃなかったっけ?
菊野 愛知県岡崎生まれで、神奈川育ちなのです。
——なんか縁がありますね(笑)。渡辺さんは愛知のどこですか?
渡辺 豊田市です。
——トリオの名前の由来は?
渡辺 コロナ禍で学校の練習室がずっと使えない時期がありまして、その時にお世話になっていた練習スタジオの名前から採りました。このスタジオで鬼のように練習していました。スタジオを押さえて、コンクールの練習をしていたので、その頃の「初心」を忘れないようにという意味も込めています。
——なるほど。この第7期のフェローたちは、ちょうど大学生の時期がコロナ禍に重なっていましたね。
菊野 けっこう影響を受けました。集まって練習することも難しい時もあって。集まれない時には、個人でベートーヴェン「大公トリオ」をたくさんさらって、3人で集まった時にすぐ演奏に集中できるようにとか、そんな風な練習をしていた時期もありました。
——渡辺さんが初めて室内楽アカデミーのワークショップに参加した時の印象はどうでした?
渡辺 本当にレジェンドのファカルティの方々が集まっていらして、かなり緊張していたと思います。ワークショップで取り組みたい作品はけっこうマイナーな作品も多かったのですが、最初はフォーレの作品から始まりました。
——それは珍しいかも。
菊野 でも、ファカルティの先生は喜びそうかも、ですね(笑)。
——2023年の「チェンバーミュージック・ガーデン」ではシューマンの「ピアノ三重奏曲第1番」を演奏されていましたよね。
渡辺 とても良い曲ですよね。ファカルティの池田(菊衛)先生も「ピアノ・トリオの作品の中でも良い曲のひとつ」とおっしゃっていました。
——ピアノ・トリオ結成以前には、室内楽の演奏経験は?
渡辺 大学入学当初から、室内楽は好んでよく取り組んでいました。
——東京藝術大学のなかでは、みんなで室内楽をやろうというような雰囲気はあるのですか。
渡辺 私の場合は、学校の階段ですれ違った時に聖良ちゃんが「一緒にやらない」と誘ってくれたり、あるいは授業の終わりに声をかけてくれたりと、誘っていただくことが多かったですね。
——学校の階段でって、まるで有名なアニメーション番組のワンシーンを観ているような感じの誘い方。「一緒にバンド、やらない?」みたいな。
菊野 ちょっと<引き>のカメラで撮りたいような。
——そうそう。同級生だったら、そんな誘い方もあり得るのかな。それはともかく、サントリーホールの室内楽アカデミーに参加して、他では得られない経験はありましたか?
渡辺 たくさんあります。ファカルティの先生のアドヴァイスもそうですが、菊野さんたちのトリオと同じ作品をほぼ同じ時期にレッスンすることになったので、それぞれのトリオの感じ方の違いがよく分かったりしました。また富山で合宿をした時には、ほぼ1週間ずっと弦楽器と一緒に練習をすることになり、そうすると弦楽器に対する新しい耳が<立つ>というか、弦楽器の演奏について多くのことを学べました。弦楽器奏者同士はこうやってコミュニケーションを取っているんだ、というようなことも新しい発見でした。
菊野 そうそう。弦楽器の演奏家は弓を「きる」とよく言うのですが、ああ、弓を返すことを「きる」というのか、とか、そういう発見もたくさんありますよね。
渡辺 弦楽器奏者同士が「うまく行かない」と思っている時に、こういう解決の方法を探すのかとか、知らないこともたくさん。
菊野 ひとりでピアノを演奏している時も、ここで弦楽器だったらこう弾くのかな、と想像してみると、ピアノの演奏の幅も広がるような感じがしますし、それを経験できるのが室内楽の面白い点ですよね。
渡辺 最初のワークショップの時に、練木先生からピアノも「手首でボウイングするんだよ」と言われたのですが、それは本当に驚きの言葉でした。
菊野 練木先生は「ピアノにもヴィブラートかけることが出来る」っておっしゃるのですが、そもそもそういう発想がピアニストには無いですよね。
——ひと月に一度ワークショップは開催されますが、その前にどのくらいトリオで練習していましたか?
渡辺 作品によって違いますが、3人で集まってかなりリハーサルをしていました。
——ファカルティの方々からはワークショップの時に色々なアドヴァイスを受けると思いますが。
渡辺 本当にそうです。「あの時に先生がこうおっしゃっていたけれど、あれはどういう意味だったのかな?」とか、帰りの電車の中でいろいろと話し合ったりします。
——青春してますね(笑)。
渡辺 その後で、また3人で合わせる時に、あの言葉の意味はこうだったのかな、と振り返って、活かしてきました。
——お互いの演奏を聴き合うことも多いのが室内楽アカデミーの特徴でもあるのですが、それぞれの演奏を聴いて、どんな感想を持っていましたか?
菊野 富山の合宿の時にはフランスものを演奏する機会が多くあったのですが、「アンダンティーノ」もラヴェルのピアノ三重奏曲を演奏して、それがとてもキラキラしている感じで、作品の魅力をよく教えてくれたと思います。
渡辺 菊野さんはいつも、トリオのなかでのしっかりとピアノの場所というものを持っていて、それが演奏にもよく現れていたと思うので、私は尊敬していました。
菊野 そんな(笑)。
渡辺 私の場合は、もっとピアノの存在を主張するように頑張って、と言われ続けていたので。
——外野として聴いていた感想としては、違った方向性を持ったふたつのグループの個性がよく分かって面白かったです。日本では常設のピアノ・トリオがほとんどないので、ピアノ三重奏曲のレパートリーをこんなに聴く機会も少なかったし。「大公」とか「街の歌」ばかりでなく(笑)。
菊野 現代曲、例えば武満徹さん、細川俊夫さんの作品を学べたことは、とても良かったと思います。古典からロマン派までの時代の傑作があり、現代の名曲もたくさんあります。長い時間のなかで変遷して行く作曲スタイルを演奏の面からも実感できたので、ロマン派以降の、近代から現代に繋がって行く時代の作品にも新しい視点を持つことができたような気がします。
——渡辺さんは?
渡辺 ラヴェルがもともと好きで、ラヴェルのトリオが特に印象深く残っています。この曲は楽譜に書かれている指示がとても細かく、入念なリハーサルが必要だったので、富山の合宿で取り組めたことは良い経験でした。
——古典派やロマン派はいかが?
渡辺 シューマンやブラームスの作品は、本当に楽譜の読み方からじっくり教わりました。それぞれの作曲家の本来の意図を表現するには、楽譜に込められたものをどう自分で読むのか。それはこの2年間でかなり鍛えられた感じがします。練木先生にはたくさんの事を教えていただいたのですが、それだけではなくて、やはり演奏家として素晴らしい方で、演奏家としてのあり方を学ぶ機会も頂いたと思っています。
菊野 2年目の富山の合宿で、練木先生がカルテット・インフィニートとシューマンの「ピアノ五重奏曲」を一緒に演奏されて、譜めくりを頼まれたので、練木先生の隣で学ぶチャンス到来と思いました。その時に練木先生はピアノを弾きながら、時々ブツブツと口で何かを呟かれていたのですが、それはピアノに集中するのではなく、他の楽器の音に注意を振り向けるための作業だったようです。練木先生いわく「どんなに熱した演奏の時も、常にどこかに冷静なもうひとりの自分を置いておかなければいけない」と。そのためにピアノを弾く指ではなく、他の鳴っている音を聴く耳に関心を向ける。そんなことも、自分の演奏をより高いステージへ上げるための学びとなりました。
——おふたりとも、ここでの経験をこれからの演奏に活かしていってください。ありがとうございました。