インタビュー

サントリーホール オペラ・アカデミー 世界に羽ばたく修了生

石井基幾(テノール)
「アカデミーでの学びはどこに行っても通用します」

香原斗志(オペラ評論家)

世界での活躍につながる学びの成果

 コロナ禍で途絶えていた欧州でのオペラ鑑賞を今春から再開したが、現地で上質の公演に触れるたびに、日本における上演とのレベルの差を痛感する。端的にいえば、次の2点が指摘できる。欧州では以前にも増して、楽譜に忠実な演奏が指向されている。もうひとつは歌手の力量の違いで、肉体的な差以上に、発語する位置をはじめ発声の拠って立つ基礎が大きく異なる。
 要は、日本のオペラ上演も、声楽教育も、グローバルスタンダードから乖離していると感じるのだが、一方、そんななか奮闘しているのがサントリーホール オペラ・アカデミーだとあらためて認識させられる。
 すぐれた資質をもった日本人の若者がここのメソッドにもとづいて学べば、欧米の逸材に伍して活躍できるはずだ――。アカデミーの見学を重ねてそう確信しており、事実、それをいま体現しようとしている若き歌手たちの存在がある。その一人が、先ごろアドバンスト・コース第5期を修了したテノールの石井基幾である。
 2023年3月には東京・春・音楽祭でリッカルド・ムーティによるイタリア・オペラ・アカデミーのヴェルディ『仮面舞踏会』にリッカルド役で主演。6月には上海でタン・ドゥン作曲のオペラ『TEA』に、日本人としてはじめて出演して絶賛された。それらは「アカデミーでの学びの賜物だ」と、石井は強調する。
 「東京藝大を卒業して大学院に入る前、サントリーホールでの『愛の妙薬』の合唱にエキストラとして参加し、アカデミーの存在を知りました。大学卒業まで習った先生は2人だけで、多くの人に声を聴いてもらって指導される経験はアカデミーがはじめてでした。いろんな考え方に触れられたのは大きかったです。ファカルティの方ごとに言い回しが異なるので迷う時期もありましたが、プリマヴェーラ・コースを終えるころには、みなさん目指しているところは一緒だと気づき、理解を深めることができました」
 当初、その指導にどんな印象を抱いたのだろうか。
 「衝撃だったのは、大学の指導と真逆に近いと感じられたことです。大学や大学院では、とにかくいい声を出すという指導でしたが、アカデミーでは楽譜を繊細に読み解くという学びでした。それまで、こうした学びを歌に取り込むという思考回路がなく、そのまま進んでいたら、ただ声が出る人で終わっていたと思います」

©︎FUKAYA/auraY2
石井基幾(テノール) Motoki Ishii, Tenor
東京藝術大学大学院修士課程修了。サントリーホール オペラ・アカデミー アドバンスト・コース第3期(バリトン)および第5期修了。第4回日光国際音楽祭声楽コンクール準大賞(第2位)、第30回宝塚ベガ音楽コンクール第2位。2020年3月にバリトンからテノールへ転向。21年10月、サントリーホール フレッシュ・オペラ『ラ・トラヴィアータ』アルフレード役でテノール歌手としてオペラ・デビューし好評を博す。23年4月、東京・春・音楽祭2023 イタリア・オペラ・アカデミー in 東京 Vol. 3『仮面舞踏会』にリッカルド役で出演。同年6月、タン・ドゥン作曲のオペラ『TEA』上海公演に初の日本人キャストとして抜擢、好評を博す。

なぜバリトンからテノールに転向したのか

 じつをいえば、石井はアドバンスト・コース第3期および大学院を修了するまでバリトンだった。なぜテノールに転向したのか。
 「大学の師の前で、ほとんど遊びのような感覚で声を出してみたら、ハイCまで届いたことが何度かあって、2019年の夏に師から『テノールになってみたら?』と提案されたんです。サッバティーニさんからは『テノールは高音が出ないとダメだ』といわれましたが、テノールとしての声を聴いていただくと、笑いながら『バリトン時代に抱えていた課題がまるでない』といわれ、運よくアカデミーにもう一度入れていただけました」
 こうして、すでに始まっていたプリマヴェーラ・コース第5期に、テノールとして加わった。
「テノールになりたてのころは、中音域にバリトンの癖が抜けませんでした。そこを改善するためにも、サッバティーニさん自身がテノールで、メソッドをそのまま受け入れることができたのは大きかったです。『君の声は暗すぎる。暗くしない』と指導され、『明るくする』ではなく『暗くしない』というのがピンときました。また、ファカルティのみなさんの耳もあって、いまの声はテノールとしていいが、いまのはバリトンっぽい、といったアドバイスをいただけたのは、2つの声種の境界線を見定めるためにも助かりました。テノールとしての勉強は、1回個人レッスンを受けたのを除けばアカデミーだけです」
 ただし、そこで挫折も味わった。
 「2021年3月のオペラティック・コンサートで歌って絶望したんです。『イル・トロヴァトーレ』『ドン・カルロ』『ラ・ボエーム』『トゥーランドット』とすごい曲目で、テノール初心者の僕は地獄を感じ、僕のなかでは大失敗でした。ギリギリまで曲目を『変更するか』と問われながら、『やる』と答えた僕の責任です。その後、あるコンサートのオーディションに通って『ラ・ボエーム』のアリアを歌い、もっと大クラッシュしました。以後、『もう終わった』と思いつめましたが、夏に大学の恩師のプライベートレッスンを受け、高校生の前で歌ったりすると、『歌うのは楽しい』という気持ちが戻ったんです」
 挫折こそが成長の糧であることは、いうまでもない。

©飯田耕治
オペラ・アカデミー エグゼクティブ・ファカルティ ジュゼッペ・サッバティーニと

ムーティの指導もアカデミーと重なっていた

 その後は快進撃が続く。2021年10月、「若き音楽家たちによるフレッシュ・オペラ『ラ・トラヴィアータ』」でアルフレード役を好演。
 「サントリーホール大ホールがオペラ・デビューになるという、ありがたい機会でした。海外キャストのフランチェスコ・デムーロ(テノール)やアルトゥール・ルチンスキー(バリトン)、指揮のニコラ・ルイゾッティといった方々からアドバイスをいただけたのも大きかった。翌年3月のオペラティック・コンサートでは『オテッロ』(ロッシーニ作曲)と『ラ・ボエーム』を歌い、秋にはリセット・オロペサとルカ・サルシのコンサートでアルフレードの影歌を歌うという貴重な経験もできました」
 そして、ムーティのアカデミーでの『仮面舞踏会』にいたる。
 「ムーティさんの指導は、サッバティーニさんがおっしゃることとほぼ重なっていました。楽譜どおりにきちんと歌わせることが徹底され、『こんなに楽譜どおりなんだ』と声を上げる人もいましたが、僕には違和感がなかった。合唱に『もっとピアノ』と指示するのも既視感がありました。ムーティさんは言葉のニュアンスを出すため、言葉に合わせた色をつけていく作業を大事にし、それをオーケストラにも注文しますが、そこもアカデミーと同じ。だから、いつもどおりのレッスンを受ける姿勢で臨むことができ、それはサントリーホール オペラ・アカデミーの賜物です。アカデミーで学んだことは、どこに行っても通用すると確認できたのは大きい。ムーティさんにも誉めていただけました」
 その後、日生劇場のケルビーニ『メデア』でジャゾーネ役のアンダーを務めたのち、6月7日と9日、上海歌劇院のオペラハウスにおける『TEA』に皇子役で出演した。
「現代的なリズムで譜読みが難しかったのですが、気づくとメロディを口ずさんでいたので、『いいメロディだから頭に残っていたんだ』と思いました。準備期間は短かったものの、数時間の音楽稽古でマスターできたときは、ソルフェージュ力を褒められました。アカデミーで培った楽譜を読むメソッドはどこに行っても通用する、と強くいいたいです。歌唱も感情表現も誉めていただけました。タン・ドゥンさんが僕のためにハイCを書き加えてくださったのは、作曲した人が指揮する公演ならではでした」

 今後も11月に上演される藤沢市民オペラのロッシーニ『オテッロ』でルーチョとゴンドラ漕ぎの2役を歌うのをはじめ、ステージが目白押しだが、海外で学ぶことも検討中だという。
「『TEA』のときタン・ドゥンさんがいま学部長を務めている(ニューヨークの)バード音楽院の方々から、『劇場のオーディションを受けたほうがいい』と言っていただいたので、そういう挑戦ができればと思っています。僕は元来、メトロポリタン歌劇場で歌うのが夢で、大学院の修士論文もそれについて書きました。情報収集しつつ、いろんな方の力も借りながら、夢に近づけたらいいと思っています」
 本人に資質と意欲があるかぎり、サントリーホール オペラ・アカデミーでの学びは、石井が抱くような大きな夢に直結している。

若き音楽家たちによるフレッシュ・オペラ『ラ・トラヴィアータ』(2021年10月)
オペラ『TEA』皇子役(写真右)
(2023年6月、上海歌劇院オペラハウス)

※タン・ドゥン:オペラ『TEA』について
サントリーホールは作曲家タン・ドゥンに「ホール・オペラ®:TEA」を委嘱、2002年に初演し、その後、アムステルダム、リヨン、ニュージーランドでも成功を収めた。以後、世界中で上演され、今世紀に作曲されたオペラ作品の中で、最多の演奏回数を誇っている。サントリーホール開館20周年にあたる2006年に再演した。