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『タリック・タンバン』(2023)[世界初演]
プログラム・ノート

野村 誠

野村 誠

「サントリーホールサマーフェスティバル2023」プロデューサーの三輪眞弘さんから、新作ガムランの委嘱を受けた際

・生き延びるためのガムラン
・人類の叡智としてのガムラン
・永遠

という3つのお題をいただいた。さらに三輪さんは、企画書中に、以下のような印象的な文章を書いていた。

マルガサリが2007年にフェニックスホールにて「ガムラン・コモンズ」というコンサート( 三輪の「愛の賛歌」を初演)を開催したときのフライヤーに「これはコンサートではありません、未来の音楽や社会を考えるための集会(フォーラム)です」と中川真氏は書いたが、その遥か延長上に、本企画は位置づけられるだろう。

単なるコンサートではなく、未来の音楽や社会を考える集会としての「ハイパー・コンサート」をやりたいと、三輪さんが燃えているのだ。この意気込みに、ぼくは作曲家として応答すべく、新作『タリック・タンバン』を作曲した。

野村 誠

1 ガムランのエッセンスとは?

「ありえるかもしれない、ガムラン」の作曲を委嘱されたのだから、まず自問する。「ガムランとは何か?」と。バリ島にはバリ・ガムランがあり、中部ジャワにはジャワ・ガムラン、西ジャワにはガムラン・スンダがある。マレーシアにもガムランがある。土地が変わるとガムランも変わる。

ぼくは何をガムランだと思っているのだろうか?青銅のゴングだからガムラン?いや、素材は何でもありだ。鉄でやってもガムランになる。竹のガムランもある。Slamet Abdul Sjukur(1935-2015)のように、声のガムランだってできる。じゃあ、ガムランのエッセンスって何だろう?

ぼくにとっての「ガムラン」を敢えて一言で言えば、「相互にケアする」ことだ。ガムランの演奏は、常にお互いの演奏を聴き合い、互いに呼応し合う関係性の網目だ。もちろん、他の音楽にも関係性はあるが、ガムランではそれが顕著だと思う。また、釜ヶ崎ガムランやミカノハラ・ガムラン・プロジェクトなど、コミュニティ・プロジェクトを数多く行っているガムラングループ「マルガサリ」の活動の現場を見ると、それは確信となった。音響装置としてのガムランではなく、互いにケアする関係性こそがガムランだ。

ちなみに、「相互にケアする」ことと、「相互に監視する」ことは、紙一重だが全く違う。極端な言い方になるが、「相互に監視する」社会では、自由度の狭い正解を求められ、間違いは糾弾される息苦しさがある。一方、「相互にケアする」社会では、各自の選択に緩やかな自由度があり、互いにケアしフォローし合う。全体を統率する楽器は一つもない。全体を仕切る指揮者がいるわけでもない。「ケア」と「フォロー」で音楽を成立させる。

2 ガムラン=全員が当事者になる

ジャワでの暮らし心地よさは、このケアし合う人間関係にあると思う。みんなが常に友達のこと、家族のことを気にかけている。少し連絡がないだけで、心配して様子を見に来てくれる。個人主義に慣れすぎていたぼくは、ジャワで暮らしてみて、プライバシーが少ない「お節介」な関係に戸惑ったりもした。しかし、困ったら誰かが助けてくれるジャワ社会が、徐々に居心地よくなっていった。一人ではできないことも、いろんな個性が助けてくれて、どんどん実現する。誰も焦っていないのに、物凄いスピードで進んでいく。

相互にケアする社会では、他人任せにならない。自分のことも他人が一緒に考えてくれるし、他人のことも自分が一緒に考える。一方、他人任せの社会では、政策は政府に委ね、指揮者のやり方に従い、上司の決定に従う。それは、専門分野に専念でき、余計なことを気にしなくていい、とも言える。他人まかせは効率がいい、はずだった。でも、現実には、本当に機能している?他人任せが重なり空中分解しそうではない?パンデミックもやってきて、他人任せの限界が見えてきた。

では、どうやったら、他人事が自分ごとになれるのだろう?各自の演奏が他者との関係によって成り立っているなら、他人事じゃなくなるはずだ。ルバブ(胡弓)のロングトーンを聴いて(感じて)からガンバン(木琴)が次のフレーズを重ねる、とかだったら、演奏の中でガンバン奏者は、必然的にルバブ奏者のことをケア(フォロー)する必要が出る。今日のルバブの音は、こんなニュアンスだな、と感じることが必要になる。指揮者のタクトではなく、スコアによるのではなく、お互いの音を聞き合い、相互に対話するように音を出すこと。そうした集積としてのアンサンブル。全員が当事者として参加すれば、アンサンブルは有機的に膨らんでいくはずだ。

3 拡張されたガムラン=ヨソモノが入り込める音楽

なんだか、ジャワ・ガムランは理想だと語っているようだが、もちろん、ジャワにも色々な課題がある。ジャワ社会の中では、互いにケアした関係ができているが、ジャワのコミュニケーションはジャワ人の中で閉じがちだ(これは、ジャワ人がシャイであることとも大きく関係している)。ジャワ・ガムランは、ジャワで閉じていたからこそ洗練された伝統を守ってきたとも言えるが、現在のインドネシアという国に目を向けると、数多くの島があり、数多くの民族がいて、複数の宗教がある。洗練されて海外でも注目を集めるジャワ・ガムランは今でも盛んだが、数多くの民族音楽は絶滅の危機にある。

バリ人もジャワ人もスラウェシ人もスマトラ人も、みんなインドネシア人だ。ガムランのエッセンス「相互にケアする」を、他の民族にまで拡張するのが、21世紀のガムランなのではないか?ぼくは次第に、純粋なジャワ・ガムランのコミュニティに留まらず、インドネシアの様々な民族楽器を融合する実験を行うYohanes Subowo(1960-)やMemet Chairul Slamet(1958-)などの音楽に惹かれるようになった。

複数の民族楽器を混ぜた多民族音楽としての「インドネシア音楽」。言うは易しだが、実現するのは超難しい。音律も違う、合奏の仕方も違う、何もかも違う。ただ混ざるだけだと、容易に不快な混沌になる。カオスを避け統一感を出そうとすると、結局、西洋音楽に民族楽器で味付けしただけになる。そうした困難さを乗り超えて、「相互にケアする拡張されたガムラン」は、雑多で未整理の魅力があった。ジャワ・ガムランのピュアに洗練された「洒落」た音楽ではなく、「だじゃれ」的な「駄」のエネルギーの音楽。

三輪さんから、「ガムラン」の委嘱があった時、ぼくの曲では、ジャワ・ガムランをジャワから解き放ちたいと思った(ホセ・マセダは『Music for Gongs and Bamboo』(1997)で、ガムランに、フィリピンの竹楽器や雅楽の龍笛などを加えている。ジャワ・ガムランを開きたかったのだろう)。異文化が入り込めるヨソモノにオープンなガムランがやりたい。「相互にケアする」というガムランのエッセンスを残しながら、色々な入口のある風通しのよいガムランでありたい。作曲した音楽を自分という壁で囲い込まないこと。縁側(あるいはジャワのプンドポ)のように、外からふらっと立ち寄れるような楽曲にすること。ガムランの縁側に、全く別のプロジェクト「だじゃれ音楽」と「相撲聞芸術」を招き入れてみるとどうなるだろう?

4 だじゃれ音楽=繋がらないものを繋ぐ

「だじゃれ音楽」は、東日本大震災があった2011年に始動した。音と音をつなぎ、人と人をつなぎ、文化と文化をつなぎ、創作を続けてきたつもりだった。しかし、現実世界には、多くの分断と対立があり、紛争や戦争が絶えない。原発賛成の世界と原発反対の世界は、相互に接触することなくパラレルに存在していると実感し、絶句した。互いに見たことのない敵と接触なく対立していて、SNSがこうした対立を加速させているように感じた。絶望している場合ではないけど、何をしていいか、分からない。繋がらない世界を繋ぐ橋は、どうやって作ればいいのか?そこで思いついたのが、「だじゃれ」だった。音が同じだけで、全く意味の異なるものを強引に結びつける。無関係を関係させるのが「だじゃれ音楽」。音韻連想は意味を越え、違ったものを結びつける。音楽が論理に回収されるのでなく、音のつながりが論理を超える。

それから12年。130回を超える「だじゃれ音楽研究会(=だじゃ研)」を開催し、「だじゃれ」的な感覚で音楽をして、多様なキャラクターの人が集う音楽創造の場をつくっている。最初はバラバラの個人の集まりだった「だじゃ研」だが、活動を継続することで、「相互にケアする」関係が生まれてきた。こうした関係性は予想外の状況への柔軟な対応を可能にする。「だじゃ研」はいつしか無茶振りに強いグループになっていた。

「ジャワ・ガムラン」と「だじゃれ音楽」という全く異なる音楽だが、どちらも「相互にケアする」関係性に依拠している。この共通点を接合点として、二つを出会わせてみる。「だじゃれ音楽」というドアを開けて、ジャワ・ガムランを外に開くのだ。(ちなみに、ジャワ・ガムランの古典音楽の歌詞にも「だじゃれ」的なダブルミーニングは頻出するそうだ)。

5 「総向芸術」としての相撲

乱暴な分類だが、

(1) 神に捧げる音楽
(2) 観客に聴かせる音楽
(3) 自分達自身が楽しむ音楽

と3つの音楽があると思う。神に捧げる音楽が如何に退屈だったとしても、それは神様を喜ばせるのが目的で、観客を退屈させてもいい(「神」を「理念/コンセプト」と言い換えることも可能)。自分達が楽しむのが目的で、観客には面白くなくてもいい、という音楽もある。それぞれの対象があり、ターゲットでない「ヨソモノ」には楽しめないこともある。(1)は「超越的なものとの交信」、(2) は「聴くことの喜び」、(3)は「奏でることの喜び」と言い換えられるかもしれない。

では、この(1)~(3)の全てを満たすことはできないのだろうか?(1)~(3)の全てが成立する欲張りなものを「総向芸術」と呼んでみよう(「総合芸術」は、演劇、ダンス、音楽、美術などのジャンルを総合し、「総向芸術」は総ての対象者に向く)。そう考えた時に、ぼくが真っ先に思いつく「総向芸術」が相撲だった。相撲は神事としての要素を持ちながら、観客が鑑賞するように様々な演出が施され、しかも、各力士がスポーツとして自分自身のために相撲を取る。儀式であり、ショーであり、スポーツである。聖と俗が同居し、現在進行形でアップデイトされている。

実際の相撲の音が魅力的であることもあるが、3つの対象を共存させている相撲を参照し、ぼく自身が目指す「総向芸術」(かつ「総合芸術」)に辿り着きたい。2008年には、作曲家の鶴見幸代、樅山智子と日本相撲聞芸術作曲家協議会 (Japan Association of Composers for Sumo Hearing Arts、略してJACSHA=ジャクシャ) を結成した。JACSHAとは、全国各地に伝わる相撲神事や大相撲をリサーチし、神事であり、芸能であり、スポーツであり、エンターテインメントであり、伝統であり、現代であり、文化であり、つまり智慧である相撲に耳を傾けること(相撲聞:すもうぶん)によって、新たな芸術を創造する作曲家の協議会だ。

6 ありえるかもしれない相撲聞芸術

神事としての伝統を残しながら、観客を歓ばせるエンターテインメントの部分も取り込む相撲は、テレビ放送のために四本柱をなくし屋根を天井から吊り下げ、外国人力士を受け入れ、ビデオ判定を導入するなど、相撲は歴史の中で変容を重ねて、どんどん変化をしてきた。と同時に、丁髷、化粧まわし、土俵入り、櫓太鼓、呼び上げなどの古い伝統を守っている面もある。

歴史は古く、古事記や日本書紀にも記述がある(女性は大相撲の土俵には未だにあがれないが、日本書紀には采女の相撲が出てくる)。宮廷で行われた「相撲節会」の最も古い記録は734年だ。折口信夫は、「演劇の昔の伝統を尋ねて行くと妙なことに他には行かないで相撲に行ってしまふことです。これは日本の演劇の正当なものなのです」と言っている。相撲は長い歴史を経て、何を獲得し何を手放したのだろうか?

ぼくたち(JACSHA)は、元力士(一ノ矢)の松田哲博さんとの出会いを契機に、大相撲の音のリサーチを開始した。相撲甚句、相撲太鼓、呼び上げなど、相撲界で継承される独特な音楽は、音楽だけが独立して存在するわけではなく、相撲と密接に関わっている。ぼくらは、徐々に、四股、てっぽうなどの身体技法の奥深さに開眼して相撲の稽古に励むようにもなった。

近代的なトレーニングが主流になる相撲界で、松田さんは伝統的な稽古方法の意味を物理学の視点から検証していた。松田さんが特に参照したのがJohn Cageと同世代の力士、双葉山定次(1912-1968)だ。双葉山の身体から、近代以前の相撲の本質が垣間見えてくる。近代以前の相撲とは?平安時代の相撲節会は?ぼくたちは錦絵を参照し、全国各地に民間伝承される相撲神事の不思議な儀礼を頼りに、現代の相撲が手放してしまったものを掘り起こしてみたい。ありえるかもしれない相撲聞芸術を求めて。

7 旅する竹野相撲甚句

相撲神事のフィールド調査は、どことなくジャワを想起させた。太鼓と鉦による音楽と人形による相撲神事「傀儡舞と神相撲」は、ジャワで見たポテヒ(台湾由来の人形劇)のようでもある。同じく笛、太鼓、鉦に合わせて、土俵で河童の格好をした子どもが踊る「河童踊り」(大分県日田市)も、ジャワの芸能に似ている。

楽器を一切伴わず、声と身体のみで行われる相撲神事は、楽器による衣装を纏わない裸の音楽とも言える魅力を放っている。「子ども古式土俵入り」(埼玉県さいたま市)、「ねってい相撲」(兵庫県養父市)など、シンプルな所作や発声に、ぼくは原初の相撲のエッセンスを探る。「総合芸術」、「総向芸術」の萌芽が芽吹いてくる。

そんな中、兵庫県豊岡市の美しい海の町で「竹野相撲甚句」に出会った。北前船で旅をした漁師たちが伝えた歌が竹野の地に根づいたのだが、音楽の魅力とともに、竹野の人々のオープンさにも惹かれ、何度も竹野を訪ねることになる(JACSHAが交流を経て《オペラ双葉山 竹野の段》を発表するまでの過程を、城崎国際アートセンターの委嘱で波田野州平監督が《霧の音》という素晴らしい映画にしている)。

実は、竹野相撲甚句は陽旋法で、大相撲の相撲甚句とは旋法が異なる。ジャワ・ガムランのスレンドロ音階と似ている。竹野相撲甚句がジャワに辿り着いたら、どんなガムランがあり得ただろうか?気がつくと、ぼくの曲の中に、竹野の相撲甚句が入ってきた。都城の相撲甚句の口上も入ってきた。ありえるかもしれないガムラン。

ちなみに、竹野相撲甚句(兵庫県)にも、だじゃれは出てくる。

今日の相撲は東西の関取衆の取り組みで
朝からどんどんつめかけて
みなみにきた では、
ノーホホホイ エー
ないかいなぇ
トコ ドスコイ ドスコイ

「南に北」と「皆な観に来た」のだじゃれ。

8 十五夜綱引き

この多様な世界、バラバラな世界を「つなぐ」ために、どんな「つながり」を作ったらいいのか?無関係に「つながり」を作るのは、「だじゃれ」の出番だ。「つながる」=「綱がる」=「綱がある」!!!綱だ!綱でつながりを作れるではないか!!!

南九州には、「十五夜綱引き」がある。十五夜に向けて、綱をつくり、お月見があり、綱引きがあり、綱で土俵をつくって相撲をする風習だ。ぼくは、2021年に熊本県宇城市に移住した。地元出身の画家、塔本シスコ(1912-2004)の描いた《フレ川綱引き》という不思議な絵と出会い、宮崎県、鹿児島県、熊本県と各地で十五夜綱引きの話を聞かせていただいた。その多くは継承が途絶えたり、コロナで中断したりしているが、小野重朗著『十五夜綱引きの研究』(慶友社)という本があり、貴重な記録が数多く残っている。このことに触発されて、今年5月に不知火美術館(熊本県宇城市)での「シスコ綱引き祭り」では、荒井良二さんと観客と一緒に綱引きをした。綱引きは風景の中に綱でドローイングをしているようでもあり、多様な人が一本の綱でつながった光景は、本当に感動的だった。コンサートホールの空間に、綱でドローイングができるか?多様な人がつながれるか?ぼくは、兵庫県の竹野相撲甚句と南九州の十五夜綱引きとジャワのガムランを出会わせる作品を作曲した。

今回ぼくが指揮を務めるホセ・マセダの『Music for Gongs and Bamboo』は各ページ15小節になっている。大相撲の本場所は15日間。綱引きが行われるのは十五夜。ガムランと相撲と綱引きが、十五という数字でつながった。

9 ウイスキーボトル

私とあなたの距離を縮めようとして、どこまでも努力しても、それでも他人事は他人事かもしれない。溝は埋まらないかもしれない。観客と舞台の間に大きな溝があり、その境界は越えられないのかもしれない。ブルーローズホールで開催のEn-gawaでは実現できても、大ホールでは、無理なのかもしれない。

ぼくは、何度も諦めそうになる。ぼくの新曲は、「未来の音楽や社会を考えるための集会(フォーラム)」の遥か先を行くという三輪さんの企画意図に背いて、単なるコンサートピースになってしまうのでは?ぼくは考えに考えた。そして、「考える」ことでは辿り着けないところに行かねば、と感じた。

三輪さんは、「未来の音楽や社会を考えるための集会(フォーラム)」の遥か延長上に、本企画を位置づけている。どうすれば、遥か先に行けるのか?「考える」を「感じる」に変えよう。「集会」を「祭り」に変えよう。

未来の音楽や社会を感じるための祭り

そうだ。ぼくは、「未来の音楽や社会を感じるための祭り」を作曲していたのだ。観客の皆さんにも自分ごととして音楽を聴いて欲しいし、参加して欲しい。音楽を通して、「未来の社会や音楽を感じるための祭り」としての『タリック・タンバン』。タリック・タンバンはインドネシア語で「綱引き」の意味。

主催のサントリーホールとも、つながりたかった。一緒に企画を考えて、一緒に未来について感じる祭りを生み出したい。サントリーがガムランを自分ごとと実感できるために、何をすればいいだろうか?ウイスキーのボトルを楽器にしよう!ウイスキー・ガムランだ!ボトルは空瓶だと音が響かないのに、液体が入れば入るほど響きがよくなる。不思議な楽器だ。今年は日本のウイスキー100年の記念すべき年。

パンデミック中は、アルコールで消毒する日々だった。大相撲の土俵祭りでは、土俵を酒で清める。『タリック・タンバン』の綱引きの綱は、サントリーウイスキーで清めるべきだろう。ゆるやかに無関係が関係していく。ボトルが四股を踏む。角瓶ガムランとジャワ・ガムランの共演。ウイスキーよ、響け!

10 当地興行

「ありえるかもしれないガムラン」を作曲することは、新しい音楽を追求する実験を行うだけでなく、新しい人間関係を獲得するための試行でもある。相撲は音楽で、音楽は演劇で、演劇は対話で、対話は誤解で、誤解は創造で、創造はオープンで、論理と感情の綱引きを越えて、閉ざされた作曲の扉を開きたく、この作品を書いた。神と自分自身と観客とに向けた「総向芸術」として、だじゃれ音楽と相撲聞芸術に基づき、ジャワ・ガムランにウイスキーボトルを重ねた編成の音楽として書いた。

ガムランと相撲聞芸術とだじゃれ音楽を通して、「未来の音楽や社会を感じる祭り」を生み出すべく、『タリック・タンバン』を創造した。一夜限りの世界初演、一期一会の出会いに感謝しつつ、今日の出会いを未来に「つな」いでいきたい。ほんのひとときでも、皆様と「つな」がれることに感謝の気持ちを込めて、大相撲の相撲甚句の『当地興行』の歌詞から抜粋で引用して、「ありえるかもしれない、ガムラン」で歌を歌おうと思う。

せっかく馴染んだ皆様と
今日はお別れせにゃならぬ
お名残惜しうは候えど
今日はお別れせにゃならぬ

いつまたどこで会えるやら
それともこのまま会えぬやら
思えば涙がパラーリパラリと

Special thanks to 日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)、日本大学相撲部、松田哲博さん(元・一ノ矢)、城崎国際アートセンター、與田政則さんほか竹野相撲甚句を教えていただいた方ほか、様々な創作の種を与えて下さった方々、本当にありがとうございます。未来の音楽と社会に、小さな一石を投じることにご協力いただいた全ての皆様に、心より感謝を申し上げます。

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