アーティスト・インタビュー

チェンバーミュージック・ガーデン
特集ページへ

サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン(CMG)
エリアス弦楽四重奏団 ベートーヴェン・サイクル

エリアス弦楽四重奏団 ベートーヴェン作品130と作品133 
サラ・ビトロック(ヴァイオリン)による解説 【演奏付き】
撮影:ウィグモアホール/2011年

サラ・ビトロック (エリアス弦楽四重奏団 第1ヴァイオリン奏者)

これまでにベートーヴェン・サイクルを何度も行い、イギリスのウィグモアホールでのベートーヴェンの全曲演奏をCDリリースしたエリアス弦楽四重奏団。経験豊富な実績を残すきっかけは、カルテットが取り組んだ「ベートーヴェン・プロジェクト」にあります。ここでは、そのプロジェクトの一環として、ベートーヴェンの作品130(弦楽四重奏曲第13番)や作品133(「大フーガ」)を、演奏のデモンストレーション付きで解説している動画をご紹介します。エリアス弦楽四重奏団のベートーヴェンへのこだわりを垣間見ることができます。

※サラ・ビトロックによる解説の映像は、下記【YouTube動画】にてご覧いただけます。
※作品130について、CMGでは6月5日のベートーヴェン・サイクルⅡにて第6楽章「アレグロ」、6月14日の同Ⅵで第6楽章「大フーガ付」を演奏します。
※作品130の終楽章「大フーガ」は、独立した作品133として演奏されることもあります。

サラ・ビトロック (エリアス弦楽四重奏団 第1ヴァイオリン奏者)

皆さん、こんにちは。ウィグモアホールへようこそ。私たちは、数日後にここでコンサートを行う予定で(2011年当時)、その中でベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番 作品130「大フーガ付」を演奏します。そこで、今日は作品130について解説しながら、最近この曲を演奏した感想や、これまでこの作品を演奏する中で感じたことなどについてお話ししたいと思います。

この曲が作曲された当時の状況を簡単に説明すると、作品130を書いた頃のベートーヴェンは晩年に差し掛かっており、聴力も失われていました。この曲は、作品127、作品132とともに、ガリツィン侯爵からの依頼で作曲したもので、作品130は3曲セットの3作目にあたります。

興味深いのは、どうやら、ベートーヴェンは、この弦楽四重奏曲については事前に全体的な構想を決めていなかったようです。大半の作品では、まず大枠を決めて作曲していたにもかかわらず。作品130ではまるで曲を作り始めてから、思いつくままに各楽章の創作を進めていったようです。結果的にそうなりましたが、ベートーヴェンはこの作品で6楽章も書くつもりはありませんでした。ですので、第3楽章のあと、フィナーレを書こうとしています。結局、フィナーレに至るまでに2つの楽章(第4・5楽章)を追加することになりました。

その点は音楽にも反映され、第1楽章の冒頭にも表れています。音が勝手に動き出していくような、手探りで進んでいくような雰囲気があり、4つの楽器がユニゾンで演奏しているので、ハーモニーがなく、ここからどこにでも進んでいくことができそうな出だしです。

第1楽章 1~2小節の演奏 (2分9秒~)

もうひとつ、この作品はベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中で最も多様性があると言えます。まずは各楽章の特徴です。それぞれが明確に定義され、楽章ごとにキャラクターが全く異なります。また、調性の関係性を見ても、関連があるとは思えないほどかけ離れた楽章もありますし、その長さもまちまちです。

ご存じの通り、「大フーガ」は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中では、圧倒的に長く、重みのある最終楽章です。非常に大きな第1楽章があり、その後、とても短い楽章を挿入していますが、こうした手法はずいぶん長い間行っていませんでした。確か、作品18(弦楽四重奏曲第1~6番)以来でしょうか。実際、第2楽章は、ベートーヴェンの弦楽四重奏の中で最も短い楽章で、自己完結していると言えます。また、第4楽章もとても短いです。ですから、たとえばこの作品の前に書かれた作品127と作品132と比較してみると、この非常に長い2作はまるで終わりのないような楽章が連なっていましたから、作品130は当時としては格別に斬新なものでした。

こうしたことから、それぞれの楽章が、あまりつながっていないように感じるかもしれません。でも実は、もちろんつながりはあります。見えづらいだけで、中には、とても興味のそそられる、珍しいつながりもあります。それはなんと、各楽章の主旋律の最後の音が次の楽章の最初の音と同じなのです。

唯一の例外は第1楽章と第2楽章の間だけで、そこだけは同じ主音の調整でつながっています。つまり、第1楽章は変ロ長調、第2楽章は変ロ短調です。また、それ以外の楽章では、まるでベートーヴェンが私たちの手を引いて、次の楽章へといざなってくれるかのような、主旋律のつながりがあります。

それでは、こうした音のつながりをいくつかお聞かせしましょう。第2楽章から第3楽章へ推移する際、変ロ音で終わり、第3楽章も変ロ音で始まりますが、これは単に同じ音符というだけではありません。変ロ短調の音の世界とでもいいましょうか、第2楽章の終わりの変ロ短調が、第3楽章の冒頭でも2小節ほど続きます。ベートーヴェンは、第2楽章の終わりを取り入れてから、新しい調性である変ニ長調へと導いているように思えます。

第2楽章 96~105小節の演奏 (5分9秒~)
第3楽章 1~5小節の演奏 (5分28秒~)

※現在のメンバーとは異なります(ヴィオラ奏者)

また、第3楽章の冒頭の2つの音は、第1楽章の冒頭とまったく同じ音ですが、第1楽章では4つの楽器がユニゾンで演奏していたので、方向性がはっきりとわからない感じでした。ところが、第3楽章ではしっかりと和音になっているので、まったく異なる意味合いになります。

次にお聞きいただくのは、第3楽章と第4楽章のつながりです。変ニ音で終わってから二音で始まります。つまり、半音上がった音に変化するのですが、変ニ長調からト長調の調性まではとても離れていますね。そうしたことも相まって、第4楽章の音楽が地面から少し浮いているような印象を受けます。

第3楽章 84~88小節の演奏 (6分42秒~)
第4楽章 1~8小節の演奏 (7分10秒~)

次は、第5楽章「カヴァティーナ」の終わりから第6楽章「大フーガ」へのつながりです。カヴァティーナの終わりはこの作品の記念碑的なト音で、第2ヴァイオリンがとても控えめな音を出して終わります。そして、大フーガは、再びト音のユニゾンで始まり、第1楽章の冒頭を彷彿させます。大フーガは変ロ長調ですが、序奏部分はト長調なので、またしてもベートーヴェンは、終わりの部分を次の楽章に取り入れて、このカヴァティーナからフーガのメイン部分へと私たちを導いているように感じます。

第5楽章 63~66小節の演奏 (8分7秒~)
第6楽章 1~16小節の演奏 (8分58秒~)

ここで、カヴァティーナについてひとつ、お伝えしたいことがあります。カヴァティーナとはアリア、取り立てて表現力豊かなアリアを意味しますが、その語源については、あまり知られていないようです。私も最近まで知りませんでした。カヴァティーナの語源は「掘り出す」「抽出する」ことであり、ここではそれが深く関係しているように思います。このカヴァティーナ全体は、とても低い音域です。私が奏でるこの音(♪ 9分55秒)よりも上に行くことはないのですが、これはとても珍しいことです。どんどん深く、人間の魂を掘り下げていく感覚があります。そして中間部、つまり中心地点にたどり着きますが、ここでは、まるで心臓を両手で持っているかのようです。この最も繊細で壊れそうなセクションには、「verklempt」と書かれています。これは抑圧、苦悩、息苦しさなどを意味します。

第5楽章 32~50小節の演奏 (10分29秒~)

さて、「大フーガ」(独立して演奏される場合は作品133)ですが、この曲で指折りの驚くべき点として、私はこう思っています。当時重視されていた、伝統的に知的とされるフーガ形式をベートーヴェンが採用し、この形式では曲の構造よりも感情が軽視されていたのを、ベートーヴェンは完全に逆転させ、史上最も情感に訴えかける曲を書いたということです。

実は演奏家として難しいのは、そのちょうどいいバランスを見つけることですが、特にこのフーガを演奏するときはそうです。この曲はとても複雑なので、何とか分析しようとしても、二者の分析が同じ結論に達することはありません。真の形式は何か、フーガはいくつあるのか、どこから始まるのか、そういったことについて、誰もが異なる結論を出します。あまりに曲の作りが複雑なため、解釈が食い違うのです。

私たちはもちろん聴衆の皆さんに楽曲中で何が起こっているのかを心底理解してほしいと思っています。そこで当初は、様々な主題のヒエラルキーを見いだすというアプローチを取りました。他よりも重要な主題があるかもしれない。それがわかれば作品への理解が深まる、と考えたのです。ところが、実際にピーター・クロッパー(リンゼイ弦楽四重奏団第1ヴァイオリン奏者)に演奏を聞いてもらったときに指摘されたのですが、そのようなアプローチだと、あるいはそのアプローチがあまりにあからさまだと、曲の本質を見誤ることになるとわかりました。

というのも、すべてのパートで乗り越えるべき苦難が感じられなければならないからです。もっとも、この作品全体が苦闘の連続です。ところどころ、緩和する短い時間はありますが、大フーガに関しては、演奏する方も、聴く方も、疲れ果てて終わりを迎えなければなりません。それに、一生懸命、すべてを明快にわかりやすくしようとしていても、なぜかそれは正しくないように感じられました。また、このような苦闘の感覚と完全な混沌との間にはわずかな違いしかないので、ちょうどよいバランスを見つけるのは相当難しいことだと思います。

私たちは、主要な主題と、ベートーヴェンが曲の中でその主題をどのように変化させるのかを示したかったのです。曲全体の土台になっているのは、基本的に3つの主題です。最初の主題は、ちなみに最初に耳に入るので第1主題と呼んでいますが、フーガ全体を支える主題でもあります。

第6楽章 1~10小節の演奏 (15分38秒~)

その後、序奏とは対照的に、まさにフーガそのものが始まるところで現れるのが第2主題です。

第6楽章 31~35小節の演奏 (15分59秒~)

そして、この第1セクション全体は 、この第2主題と、第1主題がわずかに変化したバージョン、つまり各音の間に休符が入ったバージョンで成り立っています。

第6楽章 31~35小節の演奏 (16分29秒~)

それに続いて、はるかに静かなセクション、メノ・モッソ(今までより遅く)で、第3主題が登場します。

第6楽章 161~165小節の演奏 (16分54秒~)

さて、これで大体すべての要素についてお話ししました。ここからは、他の主題のことを解明していきましょう。他の主題はすべて第1主題か第2主題のバリエーションになりますが、主に第1主題に由来します。最初のバリエーションは、やはりメノ・モッソのセクションに現れます。第1主題をさらに抒情的かつ静かにしたバージョンです。

第6楽章 167~169小節の演奏 (17分40秒~)

このように、2つの主題が重なり合っています。

第6楽章 167~169小節の演奏 (17分52秒~)

そして、メインである第1主題の別バージョンが登場します。不規則なリズムかつ速いテンポで、推進力がずっと強まります。

第6楽章 232~234小節の演奏 (18分20秒~)

ベートーヴェンは、ちょっとした間奏曲、いわば軽快なセクションとして、いったん遊びを入れますが、そこから真の狂気が始まる地点へと私たちを導きます。

第6楽章 233~253小節の演奏 (18分40秒~)

次はフーガの第3番目の部分についてですが、ここで新しい主題のバージョンが登場します。実は、これはつい今しがたご紹介したものの変形なのです。「タラーラ」という音形を覚えているでしょうか。あそこでは、音が上昇していきましたが、ここでは下降します。音の方向が逆で、しかも間に休符が挟まれているので、遮られるような感覚があり、そして第1主題のオリジナルバージョンとも関連性があります。

第6楽章 273~281小節の演奏 (19分33秒~)

そして徐々に、この主題の影響は終わりに向かって弱まっていき、ここでトリルが、途切れなく、文字通りこの作品を支配していくことになります。

第6楽章 321~351小節の演奏 (19分58秒~)

そして、このフーガの中で最も黙示的な瞬間がやってきます。この部分では、仮にもしベートーヴェンにまだ自制心が残されているか、または形式的な先入観との結びつきがあったとしても、それらはすべて消え去り、今度こそ本当に何でも起こりうるという感覚に陥ります。

私はいつもここで、狂気に満ちた天才科学者が材料を集めたものの、それらが全部揃った時点で、もう自分の手には負えなくなる、そんなシーンを想像します。どんな材料が集まったか、そしてその材料の組み合わせによって、何が起こるかまったくわからないのです。

この曲も同様です。あらゆる要素が出揃い、極めて有機的な形でここまでたどり着きました。これまでの展開がすべて理にかなっていて、「ついにここまで来たか」と私たちは強く感じ、そして、ベートーヴェン本人でさえ、すべての要素を組み合わせるとどうなるのかはわからなかったのでは?と実感させられます。

具体的に言うと、低音を出す楽器(ヴィオラとチェロ)が、冒頭の第1主題の音程を使って、巨大なステップを奏でます。第1ヴァイオリンには、主題にある高い音域のトリルだけが残されています。約30小節にわたり、第1ヴァイオリンが奏でるのは長いトリルのみです。そして、第2ヴァイオリンは、またしても第1主題の音程を使った、絶対的にクレイジーな3連符のパッセージを弾くことになります。

第6楽章 370~414小節の演奏 (22分34秒~)

ベートーヴェンはこれらの要素をすべて使い、音楽を完結させます。コーダで再び同じ主題を用いますが、ここで最後に、ベートーヴェンが再び第1主題と第2主題を使うという信じられない瞬間が待っています。この2つは、これまで一緒に登場するたびに、お互いにぶつかり合い、争っているかのようでした。それが、最後の最後で、ベートーヴェンは両者を和解させる方法を見つけたのです。片方は上がり、もう片方は天から降りてきて、見事な和解を果たし、ある種、一体化するジェスチュアを見せます。こうして作品は終結するのです。

第6楽章 707~741小節の演奏 (24分5秒~)

  • Elias String Quartet, Beethoven Op 130 & 133: an insight by Sara Bitlloch

チェンバーミュージック・ガーデン
特集ページへ