サントリーホール室内楽アカデミー
多彩な経験を積み、グループの個性を育む
~ファカルティ(講師)インタビュー: 池田菊衛、磯村和英、花田和加子
サントリーホール室内楽アカデミーのファカルティを2016年から務めている、池田菊衛(ヴァイオリン)氏と磯村和英(ヴィオラ)氏は、周知のように、東京クヮルテットのメンバーとして世界的に活躍していた室内楽プレイヤーである。花田和加子(ヴァイオリン)氏は、イギリスで学んだ後、アカデミー創設当初からファシリテーターとしてアカデミーに関わり、現在はファカルティとしても指導にあたっている。
三人が室内楽アカデミーで指導する際に心がけていることや、アカデミーの特徴、ご自身の音楽経験などをうかがった。また、ミュンヘン国際音楽コンクール第2位に入賞したクァルテット・インテグラのアカデミー在籍時の成長、世界的な音楽家をゲスト・ファカルティに迎えてのレッスンの様子についても紹介したい。(2023年1月)
室内楽の素晴らしさや魅力を伝えたい
──アカデミーで指導するときにはどういうことを考えているのでしょうか?
磯村:弦楽四重奏を中心に、室内楽の素晴らしさや魅力を伝えたい、そして、若い方が将来活動していく上で重要なことを授けられるといいなと思っています。
室内楽をやりたい人が集まっていますから、将来、クァルテットや室内楽で演奏活動ができれば素晴らしいですけれど、たとえもしそうならなくても、室内楽を通して、オールラウンドな音楽家になるための基盤ができればと思って教えています。
池田:室内楽アカデミーのオーディションをするテープ審査で感じたのは、みんな、未完成ですが、そのグループの個性や何をやりたいかがわかって、僕にとってそれが面白かった。僕の責任はグループの個性や特徴を殺してはいけないということ。それらを育ててあげればいいなと、肝に銘じています。危険なのは自分のやり方を教えて、それに従わせることです。答えを出し過ぎるのは決して良いことではない。我々が弾いて見せたり、口で言うと、説得力はあるので、フェローたちは、そうですか、と従ってしまう。それはあまりしない方がいい。
花田:アカデミーには素晴らしい先生方がいらっしゃるので、私は、アカデミー設立当初から、保健室の先生の役割(笑)といいますか、演奏以外のプラスαの面でサポートできればいいなと思っています。フェローたちは、室内楽のプロ奏者として頑張っていきたいという意識で来ているので、その方向へ進むにはどういうサポートが必要かを考えています。たとえば、海外のオーディションへの申し込みから自主公演をするときの解説文の書き方まで、プロの室内楽奏者として必要になるであろうことをサポートしたり、コミュニケーションがうまくとれていないグループに、グループとしていい形で活動できるように声をかけたりします。
このアカデミーは、一つのグループの演奏に同時に複数の先生が立ち会うのがユニークです。先生方によって違う考えを、押し付けるのではなく、こういう考え方もあるという可能性を提示していただいている、そのなかから彼らが自分たちでどう考えて選択していくかが重要なのです。教えるのではなく、彼らが自ら考え選択していく方法を身につけられるように心がけています。
池田:東京クヮルテットとして四人一緒に教えたことがありますが、四人みんな考え方が微妙に違い、我々が自分の考えを仲間に説明している間に、フェローが答えを見つけていく。そういうのはフェローから見て一番面白いと思う。四人のなかで一番意見が合わなかったのはこの二人(池田・磯村)ですね(笑)。
磯村:根底にお互いへの信頼感があったから、違う意見を平気で言うことができました。
池田:日本でクァルテットだけで生活していくのはたいへんです。日本には室内楽の聴衆の絶対数が少ないから、日本でクァルテットをプロでやっていくのは難しい。東京クヮルテットはアメリカに行ったからこそ良かったということがたくさんありました。普段のワークショップのなかではそういう話はあまりしませんが、機会があれば、個人的にでも、そういう話をできるだけするようにしています。その一番いい機会は富山(注:とやま室内楽フェスティバル)です。そこでは私たちもフェローたちもリラックスしてゆっくりと話しができます。東京ではみんな忙し過ぎます。
サントリーホール室内楽アカデミーでの経験
──サントリーホール室内楽アカデミーの特徴はどのようなところにあると思いますか?
磯村:ここはサントリーホールがやってくれるので、練習からコンサートまで、場に恵まれています。ファカルティにはいろいろなタイプの人がいて、多様性があります。チェンバーミュージック・ガーデン(CMG)や富山など、突っ込んだ指導と踏み込んだ演奏の場もあり、良い経験ができるユニークなアカデミーだと思います。学校や役所がやっているわけではないので、いろんなところからフェローが来ていて、他のグループのレッスンを聴くことで交流もできます。
池田:学校は学位が目標ですが、ここは自分たちが上手くなることだけが目標です。
花田:その分、自分に対して厳しくやっていかないといけません。CMGでの発表で1年間の成長の証をみんなに見せなければなりません。
──これまでを振り返って、いかがですか? 2020年にコロナ禍が始まったりもしました。
磯村:コロナ禍はまだ過去形にはなっていないですけれど、たいへんな時期を共有し、苦労しましたが、かえってそういったことでグループとしての団結が高まる可能性もあり、そんなにマイナスばかりではなかったと思います。
花田:コロナ禍になって、初めてオンライン飲み会をしたときに、久しぶりにみんなの顔が見られて安心したのを強烈に覚えています。フェローたちは、年齢的にいうと、留学とか、いろいろ自分の未来を模索している時期ですから、大きな決断が1年ずれるだけでも彼らに大きな影響があります。貴重なチャンスを逃した人もいました。
私も含めて、厳しい状況に置かれたからこそ、「自分にとって音楽って何だろう?」と考えましたし、すべてが止まったときに、自分にとって大切なものをじっくり考える時間が持てたのはよかったと思います。
クァルテット・インテグラがミュンヘン国際音楽コンクール第2位入賞
──昨年は、アカデミーから、クァルテット・インテグラ、レグルス・クァルテット、タレイア・クァルテットらがミュンヘン国際音楽コンクールに参加しましたね。
池田:先程も言いましたが、日本でクァルテットだけでやっていくのは難しい。それではどうすればいいのか。そのために国際コンクールに出て、勝負する。上手くいけばいいし、上手くいかなければもう一度トライする。我々もサポートできる。
基本的に、音程やアンサンブルについてはいくらでもうるさいことがいえるけれど、コンクールでは、それだけで終わっちゃダメなんですよね。むしろそれだけが目立つと損だと思う。そういうことを越えて、もっとすごいものを作ろうとしているということを演奏で出せるようになること。それは徐々に教えるしかないですね。
──そんな中で、クァルテット・インテグラはミュンヘン国際音楽コンクールの第2位に入賞し、聴衆賞を獲得しました。
磯村:僕は、たまたまですが、彼らが、「インテグラ」の名前をもつ前から教えていました(注:当初は「クァルテット・トイトイ」の名称で活動)。彼らは、クァルテットへの取り組みが誠実で、クァルテットが一番好きだからやっているという感じで演奏しているので、英語の「integrity」という言葉がぴったりだと思って名付けました。彼らはいつも四人で地道に練習し、みんなの期待に応えてくれました。
このアカデミーに加わってからは、いろいろな人たちにいろんな角度から指導を受けて、刺激を受けて、彼らの幅も広がりました。それ以上にこの数年で、彼らは自分たちの進む道を見つけたんじゃないかと思います。だからこそ、彼らのスタイルを築くことができたのだと思います。今は、ロサンゼルスのコルバーン・スクールで頑張っています。
池田:彼らは、バルトーク国際コンクールで第1位になりましたが、そのあとのインタビューを見て、これはいかんと思いました(笑)。英語がしゃべれない。これからレッスンは英語にすると、富山では英語で特訓しました。
始めのうちは、彼らは生真面目なくらい真面目で、細部を完璧に弾けることにこだわっていましたが、最近は、それが抜けてきたように思います。彼らの言いたいことがわかってきました。
磯村:説得力が増しましたね。エンゲイジングというか、聴き手を惹きつけるような演奏をするようになりました。
花田:最初は、テクニック的に凄いのが来たなと思いました。そこから4年間、彼らそれぞれに努力したので、インテグラの味が出てきたと思います。そういうところに到達できたから、コンクールでの立派な結果につながっていったんじゃないでしょうか。
私の印象として、日本のクァルテットは整い過ぎている感じがします。それに比べて、海外のクァルテットには胸ぐらをつかむように迫ってくるグループもあります。そんな中で、インテグラは味がある演奏ができるようになった。
世界的な音楽家、ゲスト・ファカルティの指導
──アカデミーでは世界的な音楽家をゲスト・ファカルティに招くこともあります。私も、CMGに出演するために来日した弦楽四重奏のマスタークラスを見学したのですが、四人一緒にレッスンをするグループ、一人ずつ時間を区切って教えるグループなど、クァルテットによって教え方が違うのがとても興味深かったです。マスタークラスで通訳をされていた花田さんが特に印象に残っている人やグループは誰ですか?
花田:アカデミーは錚々たるゲスト・ファカルティの指導が受けられるので、贅沢ですよね。ホルンのラデク・バボラーク先生に、弦楽四重奏の指導もしていただきましたが(2012・14年)、彼は弦楽器とか室内楽とかを越えた、本当の意味での音楽家でしたね。あとは、ピアノのレオン・フライシャー先生(11年)の「演奏家のために音楽が存在するのではなく、我々演奏家が音楽のために存在する」という徹底的な姿勢、メナヘム・プレスラー先生(2011・17年)は熱いレッスンでした。
特に印象に残っているグループはクス・クァルテット(15年)とアトリウム弦楽四重奏団(22年)です。日本人のグループの多くは大変高い演奏技術を持っていながら、なかなかそれが表現力に繋がらないことが多いのですが、アトリウムはフェローたちから情熱を引き出しました。一方のクスは、演奏効果を高めるために作曲家の指示に基づいた冷静な「プランニング(計画性)」の重要性を伝えてくださいました。また、パシフィカ・クァルテット(11年)は、「指導者」というより「室内楽の先輩」というスタンスでフェローたちに接していたのが印象的でした。
日本室内楽界のレジェンド、東京クヮルテット
──東京クヮルテットで活躍された磯村さんと池田さんは、今の若いクァルテットをどのように感じていますか?
磯村:一般的に今のクァルテットは、かつての弦楽四重奏よりも技術的水準は上がっていますが、昔の方が、個性的なアンサンブルが多かったように思います。
池田:明らかに我々の若い頃とは違うと思いますね。我々はみんなハングリーだった。良い演奏をすることだけでなく、純粋な情熱がありました。
僕の場合は、クァルテットしかなかった。普通の高校から桐朋学園大学に入って、クァルテットを弾いて、すぐクァルテットへ恋に落ちました。一種の病ですね。
磯村:今は情報過多で、YouTubeなどでイージー・ソリューションというか簡単な解決方法に流れて、しっかり考える時間がない。そうすると個性的な音楽センスとか方向性がなくなってしまいます。
──若い頃にクァルテット専業でやっていくことに不安はありませんでしたか?
磯村:不安はありましたが、クァルテットだけで食べていけるなんてラッキーだと思いました。
池田:よく冗談で言っていましたが「我々は自転車操業」と。漕いでないと倒れる(笑)。でもそれで満足していたんですね。
──東京クヮルテットのような膨大なレパートリーを誇るクァルテットは日本音楽史上空前絶後に違いありません。
池田:膨大なレパートリーを築くには、長く弾かないと無理でしょう。
磯村:アメリカでは大学のレジデント・クァルテットのシステムがあるので、クァルテットで食べていけたのですが、日本ではサポートの問題で難しいですね。
最後に聴衆のことを言っていいですか。日本の聴衆は、昔は若い人が多かった。年配は少なかった。今は、逆で中年から初老の人々が多い。ある意味、うれしいですけど、若い人が少ないのは残念。若い聴衆を育てていかなければと思います。
***************************************
サントリーホール室内楽アカデミーには、大学生(過去には高校生も参加)から既にプロとして活躍する演奏家(ソリストやプロのオーケストラのプレイヤーを含む)までが、室内楽を学ぶために集っている。若く、とりまく状況の変化が著しい彼らにとって、1期2年間は、決して短くない。その期間に、フェローたちは、毎月、ワークショップに取り組み、集中的に室内楽を学んでいる。「ここは本人たちが上手くなることだけが目標」と語るファカルティの言葉に、アカデミーとしての純粋さや厳しさをあらためて実感した。