主催公演

特集ページへ

【曲目解説】 サントリーホール ニューイヤー・コンサート 2023
ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団

田辺秀樹(ドイツ文学)

ヨハン・シュトラウスⅡ世:オペレッタ『こうもり』序曲
ワルツ王ヨハン・シュトラウスⅡ世(1825~99)が書いた3つ目のオペレッタ『こうもり』(1874年ウィーン初演)で、ウィーン・オペレッタは大ブレイクした。上出来の台本に付けられた機知あふれる音楽。そして躍動感あふれる極上のワルツ。『こうもり』はウィーン・オペレッタの最初にして最高の傑作となる。「大都市近郊の温泉保養地」(ウィーン近郊のバーデンあたりだろう)を舞台に、カネとヒマを持てあます人々が、豪華な夜会に参加し、ふだんとは違う自分を演じながら恋のアヴァンチュールにうつつを抜かす。狂言回しの役を演じるのは、先日の仮面舞踏会で酔いつぶれた結果「こうもり博士」という不名誉なあだ名を付けられたことへの復讐を目論む「ファルケ(鷹)博士」だ……。『こうもり』はその序曲もまさに天下一品。矢継ぎばやの大胆な転調で聴き手にめまいを起こさせるような奔放な導入部に始まり、やがてこれから展開されるオペレッタの中の名旋律が次々に現れる。ダイナミックなワルツのリズムに乗って浮かれ気分は加速度的に盛り上がり、最後は猛烈な勢いで渦を巻くようにしてエンディングへとなだれ込む。

レハール:『ジュディッタ』より「友よ、人生は生きる価値がある」
ハンガリーに生まれ、ウィーンとベルリンを中心に活躍したフランツ・レハール(1870~1948)は、オペレッタの「白銀時代」を代表する作曲家。「オペレッタ」ではなく「音楽喜劇」と銘打たれた『ジュディッタ』は、レハール最後の舞台作品。1934年、作曲者の長年の念願かなって(オペレッタ劇場ではない)ウィーン国立歌劇場で初演された。地中海沿岸地方を舞台に、陸軍大尉オクターヴィオと人妻ジュディッタとの運命的な、しかし結局は実ることなく終わった愛の物語が展開する。「友よ、人生は……」は、まだジュディッタに出会う前のオクターヴィオが、にぎやかな酒場でワインを飲みながら屈託無く人生を賛美してうたう歌。「友よ、人生は生きる価値がある。毎日すばらしいことが起こり、新たなことが体験できる。……夜の巷からは恋のささやきが聞こえ、甘い歌声が響く。最高に美しい女性が、今夜のうちにも君のものになるかもしれない。この世はすばらしい!……」[歌詞は大意・以下同様]

ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ『春の声』作品410
ワルツ『春の声』は、ウィーン宮廷オペラの人気ソプラノ歌手ビアンカ・ビアンキ(本名ベルタ・シュヴァルツ)のために書かれ、1883年、アン・デア・ウィーン劇場で彼女の歌により初演された曲。初演の際にはそれほど大きな反響はなかったというが、シュトラウス楽団の1886年のロシア・ツアーで大人気となり、それ以後、シュトラウスの代表作のひとつとなった。歌なしで演奏されることも多いが、歌詞はワルツ王のオペレッタ台本を数多く手がけたリヒャルト・ジュネーによるもので、春の到来を喜ぶ内容になっている。曲はコロラトゥーラの技巧を散りばめた明朗で華やかなもの。「青い空にはヒバリがさえずり、春の風がおだやかに吹いている。辛い冬は去り、今や春が目覚めたのだ。暖かな日差しがあふれ、どこを見てもうれしい光景が広がる。ナイチンゲールが歌い出し、幸せと喜びの春の声が響き渡る。……」

レハール:オペレッタ『ジプシーの恋』より「ツィンバロンの響きを聞けば」
レハールのオペレッタ『ジプシーの恋』は1910年にウィーンのカール劇場で初演された。物語の舞台はルーマニアとの国境に近いハンガリーの田舎。大地主の娘で結婚適齢期を迎えたゾリカが、結婚相手として無難といえる裕福な男ヨネルとジプシーの放浪楽師ヨッシとの間で心が揺れ動き、結局最後はヨネルと結婚するという物語。この「ツィンバロンの響きを聞けば」では、ゾリカとは別の、生粋のハンガリー女性で大地主のイロナ・フォン・ケレシュハザ夫人が、故郷ハンガリーへの愛と、恋の素晴らしさを情熱的に歌って聞かせる。「ツィンバロンの響きを聞けば、胸が切なくなる。美しいハンガリーよ! 悲しんでばかりいてはダメ、恋人が去っても、また新しい男が現れる。キスのない人生なんてごめんだわ……」前半の切々たるジプシー節のあと、後半はチャールダーシュのリズムでぐんぐん盛り上がる。なお「ツィンバロン」は、台形の響板に張られた多数の弦を2本のバチで叩いて演奏する、ハンガリーの代表的な民族楽器。

ヘルメスベルガーII世:『悪魔の踊り』
ヨーゼフ・ヘルメスベルガーII世(1855~1907)は、ウィーンで活躍した作曲家、指揮者。祖父も父も叔父も音楽家という家系に生まれ、6歳にして早くも父の楽団でヴァイオリンを演奏したという。長じてはウィーンの歌劇場やオーケストラでヴァイオリニスト兼指揮者として活躍するとともに、数多くのオペラ、オペレッタ、歌曲、ダンス音楽、バレエ曲などを作曲した。1901年から03年にかけては、マーラーの後任としてウィーン・フィルの常任指揮者も務めている。こんにちあまり知られていない彼の作品のなかで、この『悪魔の踊り』は、小澤征爾が指揮した2002年のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートで演奏されたことで、その後演奏される機会が増えたのかもしれない。曲にはタイトルにふさわしい悪魔っぽい雰囲気も出ていて、なかなか魅力的だ。

カールマン:オペレッタ『マリッツァ伯爵家令嬢』より 二重唱「ハイと言って、私の大切な人」
エメリヒ・カールマン(1882~1953)は、フランツ・レハールより少し後の世代のハンガリー出身のオペレッタ作曲家。彼の作品で『チャールダーシュの女王』と並ぶ傑作が『マリッツァ伯爵家令嬢』(1924年ウィーン初演)だ。ハンガリーに広大な農園を持つマリッツァ伯爵家令嬢と、そこで管理人として働く没落貴族タシロとの紆余曲折に満ちた恋物語が展開する。「ハイと言って、私の大切な人」は、このオペレッタのメイン・カップルであるタシロとマリッツァによって歌われる愛の二重唱。伯爵家令嬢であるマリッツァと、本来は貴族とはいえ今では落ちぶれてマリッツァの大農場の管理人をしているタシロとの間には、越えがたい身分の差がある(マリッツァはこの時点では、まだ、タシロがもとは貴族であることを知らない)。しかし二人は次第に心惹かれ合うようになり、心を開いて語り合ううちに、この甘美なワルツの二重唱となる。「(タシロ)私の大切な人! どうか今晩、素敵な服を着て、門の前で待っていてください。私はあなたをしっかりと抱きしめて、おとぎの国へお連れしましょう……どうぞ、ハイと言ってください!……」「(マリッツァ)愛にあふれた心で私は参りましょう。あなたの腕のなかで、あなたに熱く見つめられる幸せ!……どうぞ、ハイと言ってください!……」

ニューイヤー・コンサート2020より
指揮&ヴァイオリンのオーラ・ルードナーが今回も登場

ヨハン・シュトラウスⅡ世:『皇帝円舞曲』作品437
『皇帝円舞曲』は、『美しく青きドナウ』『ウィーンの森の物語』とならんで、ワルツ王の「三大ワルツ」と呼ばれたりもする、名曲中の名曲。その初演は1889年、ベルリンに新しく開設された演奏会場「王の館」のオープニング・シリーズの演奏会で、シュトラウス自身の指揮によって行われた。当初の題名は「手に手を取り合って」というもので、これはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフⅠ世とドイツ皇帝ヴィルヘルムⅡ世の同盟関係を意味するものだったが、のちにウィーンで演奏され、出版されるなかで『皇帝ワルツ(円舞曲)』というタイトルが定着するようになったという。なるほど、冒頭部分はドイツ・プロイセンの軍事パレード行進を思わせるような壮大な趣があるが、やがて3拍子のワルツになれば、あとは最高度に洗練され、充実したウィーンのワルツの連続だ。

スッペ:オペレッタ『軽騎兵』序曲
フランツ・フォン・スッペ(1819~95)はダルマチア(バルカン半島西部、アドリア海に面した地方)に生まれ、ウィーンで活躍したオペレッタ作曲家。オッフェンバックのパリ・オペレッタの影響を受けて、1840年代から劇場のための音楽を書き始め、ウィーン・オペレッタの基礎を築いた。スッペのオペレッタは30作を超えるが、こんにちなお上演されるのは、『ボッカチオ』(1879年)と『美しきガラテア』(1865年)くらいになっている。1866年にウィーンで初演された『軽騎兵』は、ハンガリーの軽騎兵隊長が愛し合う若い男女を助けて活躍する喜劇。こんにちオペレッタとして上演されることはめったにないが、華々しいファンファーレで始まり、軽快な行進曲へと続くその序曲は、すこぶる親しみやすく、気分を高揚させる楽しい曲として人気が高く、演奏会やパレードなどでしばしば演奏される。

レハール:オペレッタ『ほほえみの国』より「ああ、恋をしたい」
『ほほえみの国』は後期のレハールを代表する名作オペレッタ。1920年代から30年代にかけてドイツ・オーストリアで一世を風靡した名テノール歌手リヒャルト・タウバー(1891~1948)を主役に、1929年ベルリンで初演され、大成功を収めた。冒頭の場面、ウィーンの伯爵家令嬢リーザは、自宅で開かれたパーティーに集まった人々を前にして、戯れの恋ではないほんものの恋に強く憧れる気持ちをワルツのリズムにのせて歌う。「ちょっとした恋の戯れなら、いくらでもできるわ。思わせぶりな恋の冒険もワクワクするわ。でも、そんなのはもうたくさん。私はほんものの恋がしたいの。ほんものの恋は生涯でただ一度だけ。……ああ恋をしたい。本当の恋を。私を熱愛してくれるステキな人が現れたら、私は恋に溺れてしまうでしょう……」こう歌ったあと、リーザはこのパーティーに出席した中国の王子スー・ホンと初対面することになって、2人は激しい恋に落ちるのだ。

演技力豊かなフォルクスオーパーの歌手達

ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ『小さな水車』作品57
ワルツ王ヨハン・シュトラウスⅡ世の弟ヨーゼフ・シュトラウス(1827~70)は、当初音楽の道に進もうとはせず、建築技師などの仕事をしていた。しかしやがてシュトラウス・ファミリーの音楽ビジネスに加わらずにはすまなくなり、1850年代なかばごろから作曲と指揮を開始、1870年に42歳の若さで亡くなるまでに250を越える数の曲を残した。兄ヨハンは、自分よりも弟のほうが音楽の才能に恵まれていると言っていたそうで、たしかにヨーゼフの作品には、繊細な魅力をもつ個性豊かな曲が多い。ヨーゼフ31歳の1858年に作曲され、ウィーン郊外のカジノで初演されて好評を博したこのポルカは、オーストリアの田舎の河川に当時無数にあった水車の様子を描いた、音楽による一幅の田園画ともいうべきもの。粉挽き水車の機械装置が臼を打つ規則的なリズムが特徴となっている。

レハール:オペレッタ『ほほえみの国』より「私の心のすべては君のもの」
オペレッタ『ほほえみの国』は、ウィーンを訪れた中国の王子スー・ホン(タウバーの役)とウィーンの伯爵家令嬢リーザが互いに愛し合うようになり、2人は結婚して中国の宮廷で新婚生活を始めるものの、東西文化の大きなギャップを超えられず、結局リーザは中国を去ってウィーンに帰るという、これもレハール後期に多い「涙を含んだ」甘く切ないラヴ・ロマンスだ。「私の心のすべては君のもの」は、スー・ホンがリーザへの愛を真情を込めて歌い上げる情熱的なテノール・アリア。ドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラス、カウフマン、フォークト……などすべてのテノール歌手にとって、歌えば大受け間違いなしの貴重な名曲だ。「私の心のすべては君のもの。君がいなくては生きてゆけない……君と同じ空気を吸い、君の足下にひれ伏したい。君の声はまるで音楽のよう!……愛する人よ、どうかもう一度言っておくれ、『愛している』と!」

ブラームス:ハンガリー舞曲第5番 ト短調
オーストリア゠ハンガリー二重帝国の時代(1867~1918)のウィーンでは、もっとも身近な異郷のひとつがハンガリーだった。ハンガリーのエキゾチシズムは、オペレッタ『こうもり』のなかで歌われる「チャールダーシュ」にも見られるように、音楽の世界でも魅惑の大きな源泉となる。全部で21曲あるブラームスの『ハンガリー舞曲集』は、大半がハンガリー・ジプシーの音楽がもとになっていて、第11番、第14番、第16番だけがブラームス自身による創作と考えられている。この舞曲集は当初はピアノ連弾用に書かれ、第1番から第10番までがブラームス36歳の1869年に、残りの第11番から第21番までが1880年に出版された。オーケストラ用への編曲は、作曲者自身のほか、数名の作曲家たちが行っている。第5番ト短調(もとのピアノ連弾版では嬰ヘ短調)は、『ハンガリー舞曲集』全曲のなかで最もよく知られた曲で、オーケストラの演奏会でのアンコール曲としてもしばしば演奏される。

レハール:オペレッタ『ほほえみの国』より「私たちの心にだれが恋を沈めたのか」
『ほほえみの国』第2幕の冒頭場面、周囲の人々の懸念や反対を押し切って結婚し、中国の宮廷で新婚生活を送るようになったスー・ホンとリーザは、燃え上がる愛の思いを歌い上げる。憧れに満ちた夢見るようなワルツのメロディーがじつに美しい愛の二重唱だ。「私たちの心にだれが恋を沈めたのだろう。この甘美な陶酔と切ない思い。きみに最初のキスをしたとき、黄金の星が天から降り注いだ。それは天国の夢。きみと私の妙なるハーモニー……」

ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ『美しく青きドナウ』作品314
このウィンナ・ワルツを代表する傑作は、正式のオーストリア国歌(残念ながらあまり知られていない)よりよほどよく知られた「第2のオーストリア国歌」と呼ばれたりもする。1867年2月にまず男声合唱団のための合唱曲としてディアナザールで初演され、その1ヶ月後、大がかりなコーダが書き加えられたオーケストラ曲として、フォルクスガルテンで初演された。曲はイントロダクションからして見事というほかない。弦楽器がピアニッシモでドナウ河のさざ波を描写するかのように始まり、すぐにホルンが遠方への憧れを呼び起こすような「ド・ミ・ソ・ソー」を響かせると、心は一気にウィーンへと飛んでゆく。音楽の町ウィーンへの憧れがこの上なく心地良くかき立てられるのだ。

バレエ・アンサンブルSVOウィーンの華麗なウィンナ舞踏

特集ページへ