『Hibiki』Vol.19 2022年11月1日発行
【特集】 「冬を彩る音楽と物語」
クリスマス、大みそか、そして新しい年。
コンサートホールに響きわたるオーケストラの音色や歌声が、心に深くしみる物語を紡ぎだします。
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大友直人(指揮者) コンサートで幸福な時間を
♪ 変わらない価値
日本を代表する指揮者のひとり、大友直人さん。サントリーホールでもこれまでに300近いコンサートで指揮をし、音楽のジャンルを超えた新しいプログラムにも挑戦し続けています。「趣味も音楽」という大友さんは、コンサートの魅力をこのように語ってくださいました。
「子どものとき、オーケストラのコンサートで強く心を揺さぶられたことがきっかけで音楽家になり、音楽を届ける立場になりました。今でも客席で聴くのが大好きです。感動したり、リラックスしたり、高揚したり、様々な感覚を味わえる。心の琴線にふれる何かがある、幸福な時間です」
音楽がもたらす幸せを享受しているからこそ、ステージに立つときには、客席の人々にこの幸せを届けられるよう、力を尽くしているのだと言います。
「クラシック音楽がエンターテインメントの主役だったのは、19世紀の終わりから20世紀の初めだったと思います。その時代、音楽はライブ(生)で楽しむことしかできませんでした。その後、レコード、カセットテープ、CDやMDなど音楽を楽しむツールは、次々に登場しては新しいツールに入れ替わっていきました。けれどライブだけはなくなっていない。ライブのパフォーマンス=コンサートには、変わらない価値があるということです。音楽を届ける立場としてはとてもやりがいを感じます」
クラシックコンサートではマイクによる拡声やPA(マイクやアンプ、スピーカー等の音響機材)による音の調整はほとんど行われません。実はこれは現代のさまざまなライブにおいてめずらしいことです。
「クラシック音楽のコンサートでは、音がまったく取捨選択されずに、いわばまるごと耳に入ってくるのです。そのときにだけ存在する響きや深みというものがあります。これは素晴らしいことです。
一方で、音の質には高いレベルが必要とされます。よい音、響きを客席にお届けするのが私の使命だと思っていますし、私にとっての〝基準〟です。ですから、音づくりのために、あらゆる工夫やエネルギーを注ぎこんでいます。しかし、これはまったくやさしいことではないんです……」
40年以上も、そして数えきれない名演を実現してきた大友さんのこの言葉。 音楽によって様々な感情が呼び起こされる経験は、コンサートの醍醐味です。しかし、それは音楽家のただならぬ努力とこだわりがあってこそ、ようやく生まれるようです。
♪ 音楽が呼び起こす感情
12月25日には3回目となる「サントリーホールのクリスマス」を指揮します。
「今年のクリスマスコンサートでは、オーケストラのサウンドの魅力をとことん楽しんでいただけると思っています。最初の曲はバロックの作曲家コレッリの『クリスマス・コンチェルト』。弦楽中心の小規模な編成で、クリスマスらしいおごそかな響きを味わっていただきたいと思います。そして、大編成で演奏するシベリウス作曲の交響詩『フィンランディア』。これはフィンランドでは第二の国歌とも呼ばれる、フィンランドの人々にとっては特別な曲。中間部の安らかなメロディーには歌詞もつけられています」
シベリウスが作曲した当時の曲名は「フィンランドは目覚める」。愛国心を湧き起こす曲として、当時フィンランドを支配していた帝政ロシアは演奏を禁じました。また、中間部のメロディーはキリスト教の讃美歌にもなっています。
「この曲で呼び起こされるフィンランド人の特別な感情と同じではないけれども、やはり胸にこみ上げるような感動があります。生きる場所、文化、時代が違っても、この曲に心揺さぶられる。人間の根源的な感性や感情を表現しているからでしょう。音楽の魅力、音楽の力を実感させてくれる曲です」
♪ 物語のなかへ
「チャイコフスキーのバレエ組曲『くるみ割り人形』はクリスマスの定番といっていい曲です。三大バレエ組曲のひとつで、聴きごたえがあります。最後の有名な『花のワルツ』は華やかで、クリスマスという特別な日にふさわしいですね。オーケストラが生み出す響きをぜひ味わってください」
くるみ割り人形は、ドイツの作家、ホフマンによる「くるみ割り人形とねずみの王様」という童話をもとにしています。クリスマスイヴにお菓子の国に迷いこんだ少女クララの幻想的で不思議な世界が音楽で表現されます。
さらに今年はムソルグスキー作曲『展覧会の絵』が加わります。ムソルグスキーが友人の画家ハルトマンの遺作展で見た10枚の絵の印象をピアノ曲にし、ラヴェルが管弦楽曲に編曲しました。金管楽器、打楽器、ハープも活躍する、重厚かつ色彩豊かな曲です。
「オーケストレーションの魔術師ともいわれるラヴェルの編曲がすばらしく、この曲はムソルグスキーとラヴェル、そして曲のもとになる絵を描いたハルトマン、その三人のアーティストが見た風景が描かれているともいえるでしょう」
一方、聴き手は音楽からその絵の世界や展覧会を歩く様子などを想像するという、彼ら三人とは逆の体験をすることになります。
「最後の10曲目は圧倒的なスケールの『キエフの門』。キエフは、ウクライナの首都キーウのこと。その有名な大門を描いたものです。今年は独特の感慨や想像力をもってこの曲を聴いていただくことになるかもしれませんね」
♪ 音楽から思いを馳せる
クラシック音楽のコンサートでは、百年、二百年前に生み出された音楽が今宵も演奏されます。
「楽譜があるから可能になっているのです。音楽を記号に記した楽譜を演奏すれば、百年の時を超えて、再び音楽の形がそこに立ち上がってくる。そして、今を生きる人間の心をもとらえる。〝クラシック〟といいますが、コンサートで演奏されるとき、それは生まれたての音楽でもあるのです」
そう伺うと、とても不思議な感じがします。
「楽譜は一緒でも、その時の音楽はそのコンサートだけのもの。同じオーケストラ、同じ指揮者でもまったく同じ音楽であることはありえないわけです。その時、その場所で聴けるということはとても特別な体験です。
だからこそ、音の質にはとことんこだわり、自分が客席にいて聴いたときに『今日はいい音楽を聴いたな』と思えるようにしたいのです」
幾多のコンサートを指揮し、名演を重ねても、いまだ音楽に対して敬虔な視線と自分への厳しさをもって臨んでいる大友さん。
最後に幾度もステージに立ってきたサントリーホールについて伺うと……
「コンサートホール、とりわけサントリーホールは特別な場所だと思います。ホワイエは落ち着いていながら華やかさがあり、ドアから客席に入ると正面にパイプオルガンが美しく鎮座しています。これだけで気分は高揚しますし、音楽へ向かう気持ちも高まりますね。音楽にふさわしい空間です」
なんと、聴衆としての視線でのコメントをくださいました。
〝特別な場所〟での、大友さんの指揮による〝幸福な時間〟がますます楽しみになってきます。
クリスマスの物語へと誘う声、そして音楽がはじまる……
♪ 物語と音楽をつなぐ声
大友直人の指揮で新日本フィルハーモニー交響楽団の響きに浸る〝耳から幸せな〟「サントリーホールのクリスマス」も、3年目を迎えます。この舞台になくてはならないナビゲーターが、声優の森川智之さん。30年以上にわたり、数多くの海外映画俳優、アニメやゲームのキャラクターなどを演じてきた〝イケボ(イケメンボイス)〟の主です。俳優トム・クルーズの吹き替えの声、と聞けばイメージが浮かぶでしょうか。
「『サントリーホールのクリスマス』最初の年(2020年)は、見るもの聴くものすべてが新鮮で、格式高いホールでの心地よい緊張のなか、ナビゲートさせていただきました。そして昨年は、朗読とオーケストラ演奏のコラボレーションによる素敵なクリスマスを、客席の皆さんと過ごすことができました。大友さんとの楽しい会話も今回で3回目ですね! とても楽しみです」
声が聞こえてきましたか?
引き続き、森川さんからのメッセージをお届けします。まずは声優という仕事の魅力について伺ってみました。
「自分の想いを相手に伝えることは、普段の生活においても、なかなか難しいことだと思います。私はそれを生業にしているので、普段からそのことばかり考えています。アニメや吹き替え作品で多くの皆さんが楽しんで感動してくれる、とてもやりがいのある仕事です」
♪ 同じ表現者として
「声優にとって音楽は、切っても切れない縁深いものでもあります。私たち声優が出演している作品には、数多くのバックグラウンドミュージックが使われます。役柄の、その時々の状況や心情の変化によって、多種多様な音楽が流れるのです。
楽器を演奏するオーケストラの皆さんも、声優と共通するものがあると思います。声優は自分の体から発する声で表現。演奏家は楽器によって表現。活躍するフィールドは違っても、同じ表現者です。今年のクリスマスも、サントリーホールに集う皆さんに存分に楽しんでいただくために、コラボレーションします。はじめてクラシック音楽を楽しむ方でも、私の語りで音楽の世界にお誘いできると思うと、とても責任のあるパートだなと感じています。もちろん長年親しまれてきたクラシックファンの皆さんにとっても、新たなアプローチでコンサートを楽しんでいただけるのではないかと思います。クリスマスの装飾で彩られた、おめかししたホールで、年に一度のプレミアムな時を皆さんと過ごせること、今から楽しみで仕方ありません!」
森川さんのリアルな声、その声がつなぐ音楽と物語を、ぜひサントリーホールの響きの中でお楽しみください。
聖夜にイエス・キリストの生涯を歌う
♪ クリスマスの風物詩
救世主イエス・キリストの生涯を壮大な音楽で描いたオラトリオ(聖譚曲)『メサイア』は、イギリスやアメリカなど世界各地のクリスマス・シーズンを彩る定番作品です。日本でも、2001年にバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)による全曲演奏会がサントリーホールで始まり、以来毎年、美しき歌声と器楽のもとに満席の聴衆が集う、クリスマスの風物詩となっています。
「ぼくにとっても思い入れのある特別な作品で、やりがいを感じます」
と話すのは、昨年に続きバス(バリトン)独唱で『メサイア』の舞台に立つ大西宇宙さん。ニューヨークのジュリアード音楽院大学院で学び、シカゴ・リリック歌劇場専属歌手として活動。現在はアメリカと日本を拠点に、オペラ歌手、声楽家として活躍の幅を大きく広げています。
♪ 聖書の言葉と作曲家からの手紙
「『メサイア』のような宗教曲を歌うときは、自分という媒体を通して、聖書のメッセージを伝えることを最も大切にします。聖書の英語は非常にきれいで、読みやすく聴きやすくスッと入ってくる。万人にメッセージが伝わるような、品の良さがあるんです」
『メサイア』は、18世紀半ばに劇場娯楽として、イギリスの台本作家でシェイクスピア研究家でもあるジェネンズが書いた台本に、ヘンデルが音楽をつけた作品。キリストの降誕、受難、復活、そして勝利(世界の救済)までを3部構成で、オーケストラと合唱、4人の独唱により表現していきます。登場人物は無く、歌われるのは聖書の言葉。
「たくさんのアリアがあり、様々な要素がありますが、ソリストは合唱の代弁者、伝道師的な役割なので、それをうまく表せたらと思います」
歌詞の言葉だけでなく、音楽そのものがメッセージだといいます。
「楽譜って、作曲家からの手紙だと思うんです。何百回見ていても、楽譜から発見するものがあります」
華やかな「ハレルヤ」の大合唱が有名ですが、大西さんはその前段、人民の苦悩と、それを一身に背負うキリストの受苦を歌う第2部の始まり、神妙な雰囲気の合唱に耳を傾けてほしいといいます。
「民衆の声。苦悩があってこそ、喜びあふれるハレルヤに繋がるというところを、ぜひ聴いていただければ。最後は、美しい調べに酔いしれてください」
♪ 音楽が導いてくれる出会い
「音楽に身を捧げているからこそ、音楽が自分を色々な場所に連れて行ってくれるんだなと感謝しています。音楽に導かれて様々な人に出会うことができます。客席の皆さんも、きっとそうですよね。それぞれの人生があって、音楽を愛しいと思う気持ちが、このホールに集う。忙しい現実の時間や喧騒をひととき離れ、静寂に身を置く特別な時間。それも、サントリーホールの〝響きの森〟に入っていくような高揚感のなかで。クリスマスにはなおさら、音楽がつくってくれる絆を感じます。そのように集い、あたたかな気持ちで過ごせる尊さも、自分の歌で伝えることができればと思います」
中学・高校では強豪の吹奏楽部に所属しテューバを吹いていたという大西さんですが、音楽の基本にもっとアプローチしたいと、「歌う」ことに興味を持ち、音楽と言葉によって物語を動かしていく舞台芸術に憧れ、声楽家への道を歩み始めたそうです。その歌声によって届けられるメッセージは、きっと皆さんの心の底にしみ入ることでしょう。