アーティスト・インタビュー

日本フィル&サントリーホール
とっておき アフタヌーン Vol. 20

出演者インタビュー ピアノ:仲道郁代

日本フィルとサントリーホールが贈る、エレガントな平日の午後『とっておきアフタヌーン』。2022-23シーズン Vol.20のソリストは、日本を代表するピアニスト、深く音楽を探求し続けている仲道郁代さんです。若き実力派指揮者、太田弦さんが振る日本フィルハーモニー交響楽団との共演に選ばれたのは、モーツァルトのコンチェルト。モーツァルトという作曲家、そして作品への思いを伺います。

――今回演奏していただくモーツァルトのピアノ協奏曲第20番は、日本フィルハーモニー交響楽団との思い出深い作品とのことですね。

 そうなんです。日本フィルと最初にご一緒したのは1984年、まだ私が学生だった頃で、そのときに演奏したのが、このモーツァルトの第20番だったんです。オーケストラの音が鳴った瞬間、鳥肌が立ったことを覚えています。

――国内外での演奏活動を本格的に始められた1987年をデビューの年とされていますから、それ以前の本当に初期の頃に、モーツァルトのコンチェルトを共演されたのですね。

 日本フィルは、ピアニストとしての私を育てていただいたオーケストラだと思っています。長いお付き合いで、本当にたくさんご一緒させていただいてきましたし、ヨーロッパ公演もアメリカ公演も一緒に回りました。一人一人が見えて、とても人間味のあるオーケストラ。長年の歩みのなかでの苦労や頑張りも知っている、私にとってとても親しみのあるオーケストラという感覚です。

©堀田力丸
日本フィルハーモニー交響楽団
創立65年の歴史と伝統を守りつつ、“音楽を通して文化を発信”という信条に基づき、「オーケストラ・コンサート」、「エデュケーション・プログラム」、「リージョナル・アクティビティ」という三つの柱で活動、充実した指揮者陣を中心に演奏会を行っている。

――作曲家モーツァルトとも、長い間、道を共にしてきたという感じでしょうか?

 私の中で、モーツァルトに対する向き合い方、捉え方は、年齢とともにずいぶん変わってきているように思います。
 日本フィルと初共演の頃は、どうやって“偉大な作曲家モーツァルト”を弾くのか、モーツァルトとはなんだ、ということを色々と考えていました。その後ドイツに留学して、ウィーンをはじめヨーロッパの街並みや歴史に触れたときに、はじめて、「あ、実際に生きていた、生身の人間だったんだな」と実感しました。

――モーツァルトが生まれた家や暮らしていた家、通っていたカフェなども残っているそうですし、幼い頃からヨーロッパ各地で演奏した足跡が残っていますからね。

 息遣いとしてのモーツァルトを、すごく感じた時期です。
 モーツァルトの音楽はすごくシンプルでありながら、いろいろなことが内包されていて、たとえば男性性も女性性も同時に入っているし、嬉しいことも悲しいことも同時に存在できるような、そんな凄さがある音楽です。私のドイツ時代の先生は「ユニバース」と表現していました。つまり、さまざまな面から、色々な捉え方ができるわけです。
 もう少し時が経ち、私がフォルテピアノの世界に興味を持つようになって、モーツァルトの時代のピアノに触れるようになってからは、またさまざまな発見がありました。

©池上直哉
ピアノ:仲道郁代
国内外で活躍、名実ともに日本を代表するピアニスト。CDはレコード・アカデミー賞を含む『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集』ほか、名盤多数。ベートーヴェン没後200年の2027年に向けて「仲道郁代The Road to 2027 リサイタル・シリーズ」を展開中。令和3年度文化庁長官表彰、文化庁芸術祭大賞を受賞。

――フォルテピアノは18世紀から19世紀前半にヨーロッパでつくられ、演奏されていたピアノですね。今の楽器(モダンピアノ)とは作りも音量も響き方も、ずいぶん異なるそうですね。

 モーツァルトの時代のピアノは、とても小さく華奢なボディーで、「かわいい箱」という感じ。弦は細く、打鍵するハンマーもとっても小さくて、フェルトではなく鹿皮でつくられています。鍵盤数は5オクターブほど。足で踏むペダルもついていません。そのような時代の楽器に触れることで、こういうピアノだったからこういうアーティキュレーション(演奏技法)が楽譜に書かれているんだ、ということを確認できるようになりました。そして、その当時の語法にのっとって弾くことを、すごく大切にした時期がありました。
 モーツァルトに関しては、そんないろんな歴史が私の中にあります。
 今は、フォルテピアノでの昔の弾き方を現代のピアノで模倣するのではなく、ただしアイディアとして、モーツァルトがどんな音を求めてどんな言葉遣いで書いたのかということ感じつつ、今のピアノで今のお客様の前でモーツァルトを弾くとはどういうことかということを考えています。

――それほど、モーツァルトの作品を多方面から見ていらっしゃる。

 簡単そうでいて、捉えるのがとても難しい作曲家です。たとえばロマン派の作曲家だったら、感情的に「私(作曲家)の気持ち」とか、「私の愛」といったものを捉えて、音のさまざまな綾を表現することで成り立ったりします。ベートーヴェンもメッセージがはっきりあり、主語が「我々は」になっていくところに大きなエネルギーが注がれるというような流れがある。けれどもモーツァルトの音楽は、主語すら定まらない。「私」以外の色々な人や要素が出てくるし、現実世界と天の世界を自在に行き来する縦横無尽さがあって。それを私はどのように捉えて音にしていくのか。そのためにもモーツァルトは翻訳作業が必要な作曲家だと思います。

――翻訳というと?

 「ピアノ曲」といっても、現代のピアノとはまったく異なる楽器によって書かれ演奏された作品ですので、視点を変えなければいけない。モーツァルトの時代の音楽のあり方の常識や、当時の楽器が持っていた魅力を、現代の楽器でどう表現するか。楽譜を読むにしても、どういう技法でどういう音像で弾いていくのがモーツァルトの言葉遣いなのか、ということを探す……こんなに大きな音に囲まれた現代の私たちの社会のなかで探していくのはなかなか大変ですけれどね。それだけに、モーツァルトの音楽は音が純粋で、その純粋さがくれる喜びに浸ることができるのではないかと思います。

――作曲家が書いたピアノ作品から、その作曲家の手くせ、体つきまで想像できるということを、ご著書『ピアニストはおもしろい』の中で書かれていました。「モーツァルトは、機能的で俊敏な指。フットワークの軽い体つき。指は丸めて演奏するタイプ」だと。

 腕の重さを楽器にかけないで弾くんです。当時のフォルテピアノは、指先でタッチを入れる瞬間のニュアンスがとても大事で、音の立ち上がりの部分で色々な表情がつけられる楽器だったので。

――作曲家の体型や人柄まで想像して、作品に向き合うのですね。

 ピアノ協奏曲第20番に関して言えば、妻となるコンスタンツェとの結婚を、父親にすごく反対されていた時期で、悲しみを表すD-moll(ニ短調)、不安のリズムとされるシンコペーションから始まります。ですが音型を見ていくと、お父さんに対して、「自分は大丈夫、心配だろうけれどちゃんとやっていけるんだよ」、と言っているようにも取れます。
 面白いのは、モーツァルトの音楽は、悲しみの向こう側に幸福が見え、幸せの向こう側に悲しみが透けて見える。それが同時に存在するんです。第20番は、モーツァルトのピアノ協奏曲では2つしかない短調の作品の一つです。悲しみもあり、非常にドラマチックですが、モーツァルトはそんなことがあっても天上の世界にスッと行けてしまう。ごく自然に天上の世界を信じているところがあると思うんです。曲の最後、ピアノの和音にオーケストラのフルートの音が合わさって、永遠を表すハーモニーで終わる。悲しみを通った後に見えてくる世界、永遠の美しさ、未来がひらけていく響き。非常に希望を持てる世界です。その世界を、今回初めて共演させていただく指揮の太田弦さんともたくさん話して、オーケストラとのバランスを考えて、準備できたらと思っています。

――同じオーケストラで、同じ曲でも、1984年に演奏されたものとはずいぶん違うものになりそうですね。

 そうですね、全く違うものになると思います。それ以降も日本フィルとは何度かこのコンチェルトで共演させていただいていますが、奏法も解釈も、どんどん変わってきていると思います。

――「とっておきアフタヌーン」は、クラシックのコンサートは初めて、という方にも楽しんでいただきたいと企画されているシリーズです。聴きどころなどありましたら教えてください。

 コンサートというのは、そこに来た人が、その空気の中で、その時にしか起きないこと、二度と繰り返して聴くことのできないことを共有する場だと思うんです。演奏家も、一音出した瞬間から何が起きるかわからない、どんなふうに自分が演奏していくのか、わかっているようでわかっていないところがある。お客さまの空気感、その場がつくる雰囲気が私に与えてくれる影響があるんです。それを、一緒に味わって楽しむ、味わおうと耳を傾け合う、非常に稀有で貴重な時間だと思います。

とっておきアフタヌーン Vol.20はオンライン配信も実施(有料・リピート配信あり)。視聴券は2,200円、リピート配信視聴期間は2022年9月28日(水)14時~10月4日(火)23時まで。

――サントリーホールという場は……

 好きですね!舞台の上にいて演奏家が幸せに感じるホール。響きに包まれるんです。音をどちらかに向かって発していくだけでなく、私自身も響きに包まれる感覚。もちろん、お客様にも同じように響きが届いている。
 演奏家は、かえってくる響きを聴きながら次の音を選んで出します。だから、その時その場でしか出ない音なんです。サントリーホールの広さや構造、湿度や温度、客席や舞台上の密度、そのうえでの響き……その環境で紡がれ、生まれている音。そこでしか聴けない音。音って生ものなんですよね。

©池上直哉
2022年5月29日(日) 14:00開演「The Road to 2027 仲道郁代 ピアノ・リサイタル 知の泉」より

――「とっておきアフタヌーン」の今シーズンのテーマは、「心に音楽のエールを」です。

 音楽ができることのひとつに、音楽を聴いて心が動く、心が震えるということがあると思います。心が震えて動くと、人は次に身体も動こうという気持ちになるんですね。心が動くことが、人の力になる。村上春樹さんがおっしゃっていましたけれど、音楽は戦争をやめさせることはできないけれども、戦争をやめなければと思う人の気持ちを起こすことができる、と。心が震える、心が動くことが、私たちにもたらしてくれるものを信じたいですね。コンサートホールを出たときに、心持ちや風景が違って見えるとか、なにか変容をもたらしてくれたら嬉しいですね。

――では最後に、「とっておきアフタヌーン」恒例の質問なのですが、仲道さんにとっての「とっておき」の時間、ハマっていること、マイブームなどあれば教えてください。

 最近、ピラティスを始めたんです。もともとは左肩を壊して治療したことがきっかけで、地道なリハビリで身体にむきあうようになりました。今はすっかり治ってとても幸せなんですけれど、この機会に、骨と筋肉、身体の使い方をちゃんと研究しようと。まだ始めて2か月ですけれど、すごく良いです。腕の動かし方の自由度とか、どういう風に考えて指を動かすのかとか。息の仕方、立ち方、座り方、骨の位置……目からウロコです。一から身体を見て、奏法を研究しています。今ちゃんとやったら、あと20年弾けるぞ!と。
 今は子どもも大きくなりましたので、演奏を長く続け、音楽の豊かな道を探求することに時間を費やすことができるようになりました。自分と音楽。ようやくそうなれました。

©池上直哉
ひとつひとつの言葉を丁寧に紡ぐ姿が印象的

――デビュー35周年の今、仲道さんが表現するモーツァルト、楽しみです。