主催公演

サントリーホール オペラ・アカデミー 2021/2022シーズン レポート5(前編)

「サントリーホール オペラ・アカデミー コンサート」を終えて

香原斗志(オペラ評論家)

12日間の集中レッスンを経て

 7月12日、あいにくの雨のなか、幾ばくかの焦慮に駆られながらサントリーホール ブルーローズ(小ホール)へ向かった。サントリーホール オペラ・アカデミー コンサートの開演は19時。レッスンの見学を重ねてきた私がドキドキするくらいだから、アカデミー生たちはどれだけ緊張を強いられていたことか、想像するに余りある。
 事実、とくにプリマヴェーラ・コース第6期(2021年7月~2023年5月(予定)が受講期間)に所属する歌手11人、ピアニスト3人は、このコンサートのために研鑽を積んできたと言っていい。プリマヴェーラ・コースを修了したのちに選抜され、オペラの楽曲を学んでいるアドバンスト・コースの受講生3人は、これ以前にも演奏機会が何度かあったが、学んだ成果を発表するもっとも重要な機会がこのコンサートだという点では同じである。
 しかも、聴衆に歌を届けるだけでなく、アカデミーのファカルティたち、とりわけエグゼクティブ・ファカルティのジュゼッペ・サッバティーニの評価を仰ぐ場なのだから、緊張するなと言うのが無理な話だろう。
 前回のレポートにも書いたが、サッバティーニは6月29日に2年半ぶりに来日すると、その日をふくめた12日間にオフが2日だけというタイトなスケジュールで、集中的にレッスンを行った。結論を先に述べるなら、その半月に満たない期間は、受講生たちがそれまで試行錯誤しつつ修得してきた発声の基礎から呼吸法、母音のつくり方、それらを総合しての歌唱法や歌唱テクニックが、一人ひとりのなかで日に日に有機的な連関を得て、歌がかたちづくられていく。そんな期間だった。

7月12日に行われたサントリーホール オペラ・アカデミー コンサートのチラシ

期待の裏返しであるサッバティーニの指摘

 そこではどんな指導を重ねられたのか。サッバティーニが受講生一人ひとりにかけた言葉は、声楽を学ぶだれもが身につけ、肝に銘じるべき根幹なので、以下になるべく具体的に記しておきたい。アカデミー生が今後、常に基本に立ち返るためにも、広く声楽を学ぶ人たちが大切なことを知るためにも、さらにいえば日本の声楽家に欠けているところを確認するためにも、役に立つと思うからである。
 7月8日、赤坂区民センターで行われたレッスンでは、グルック「おぉ 私のやさしい熱情の O del mio dolce ardor」を歌うメゾ・ソプラノの牧羽裕子にかけられたのは、たとえばこんな声だった。「音節を強調せずもっとレガートに!」「もっと前に!」「ビブラートをかける!」「よく息を吸って!」「もっと強く、もっと歌って!」。サッバティーニの声色がより厳しくなるのは、次のような指摘をするときだ。「きみはフレーズを続けることができないけど、どうやって解決する? もう何十回も言ったよね」。そして、「喉を自由に! もっと空間をとらなければダメだ!」「息をちゃんと吸う!」
 誤解がないように言っておくが、サッバティーニが厳しい指摘を重ねるのは、修繕される見込みがあると信じているときである。
 パイジエッロ「私はもう心の中に感じない Nel cor più non mi sento」を歌うソプラノの髙橋茉椰には「声を出すことだけに夢中になってはいないか」と指摘し、「きみの歌には遊びがないけど、もっといたずらっぽく、大げさに歌わなきゃだめだ!」と指導した。
 ストラデッラ「主よ、憐れみください Pietà, Signore!」を歌うテノールの頓所里樹に対しては、「喉を締めつけるな!」「(横隔膜による息の)支えができていない」とダメ出しした。一方、アクート(「鋭い」という意味で、高音のことを指す)が響かないので「ポジションはいいが聴こえない」と指摘。「アペルト(声が開いた状態)のままでアクートを出せたのはディ・ステーファノだけだよ」と言って、「ちゃんとした方向に声が出せていない」とダメ出しした。
 ヴィヴァルディ「私は蔑まれた妻 Sposa son disprezzata」を歌うソプラノの東山桃子もやはり、「もっと息を吸って! そうしないと長いフレーズで息が続かない」という指摘を受けた。そして、より磨かれた美しさがほしい旨が伝えられた。東山の2曲目、ヴィヴァルディ「忠実でいることの喜びと共に Col piacer della mia fede」には、「もっとエレガントに!」「もっと強く!」という要求が出され、口内のこもったような響きを解消するように指示された。

エグゼクティブ・ファカルティ:ジュゼッペ・サッバティーニ
世界的なテノール歌手として活躍し、1993年からサントリーホール主催「ホール・オペラ®」に出演するなど日本でも絶大な人気を誇っていたが、2007年から指揮者および声楽指導者の道を歩み始めた。これまでに母校のサンタ・チェチーリア音楽院(ローマ)やヴェルディ音楽院(ミラノ)、イタリア国立ラティーナ音楽院等で教鞭を執るほか、伝統あるシエナのキジアーナ夏季マスタークラスなど、世界各地でマスタークラスを開催。また、主要な国際コンクールの審査員を務めており、ウンベルト・ジョルダーノ国際オペラ・コンクール、サンパウロのマリア・カラス国際声楽コンクール、ローマのオッタヴィオ・ジーノ国際オペラ・コンクールでは審査委員長も務めた。指揮者としては、欧州や日本を中心に世界各地で活動し、マリエッラ・デヴィーアら一流歌手と共演している。

全員の歌をていねいに点検

 翌7月9日はゲネラルプローベ(総稽古、ゲネプロ)の前日で、レッスンはサントリーホールのリハーサル室で行われ、全員の歌がチェックされた。サッバティーニは一人ひとりの歌をていねいに確認した。
 テノールの谷島晟はペルゴレージ「羊が牧草を食む間 Mentre l’erbetta pasce l’agnella」を歌い、ヴァリエーションをつけた際に「酔っぱらっているみたいに聴こえる」といわれ、やはり「息の吸い方が甘い」「ポジションが後ろになっている」と指摘された。また、サッバティーニは「全員に言えることだが」と前置きし、「ビブラートをかけることはこのアカデミーのルールだよ。支えがしっかりしていれば自然にかかるものだ」と苦言を呈した。
 伝ペルゴレージ(パリゾッティ作曲の可能性が高い)「もしあなたが私を愛して Se tu m’ami」を歌ったメゾ・ソプラノの伴野公三子も「しっかり息を吸わなきゃだめだ!」といわれ、また「レントすぎるが、楽譜にはレントとは書かれていないだろう!」と注意された。ヴィヴァルディ「何か私には分からないものが Un certo non so che」を歌っては、「多くの音が後ろに行ってしまっている!」と修正を促された。
 ソプラノの潟美瞳が歌ったファゾーロ「望みを変えよ Cangia, cangia tue voglie」に対しては、「このテンポで歌ったら息が続かず、結果的に喉で押すことになる。息がもつように自分を助けるんだ!」と指導した。
 モーツァルト「手に一度口づけ Un bacio di mano」を歌ったバリトンの石本高雅は、歌詞のなかの一語について「そんなイタリア語は存在しない!」と、正しい発音を促された。モーツァルトの「安らかな微笑みが Ridente la calma」を歌った髙橋茉椰は、「喉を開くように」と指示され、「きみの歌にはボリュームがない。どうしてそんなにピアノで歌うんだ? もっと声を!」と発破をかけられた。
 東山桃子には、ヴィヴァルディ「私は蔑まれた妻」を歌った際、「(長いフレーズを歌うのに)息がもたないようなら、聴き手に気づかれないように、こっそり息を吸うことも必要だ」と促した。
 また、頓所里樹が歌う「主よ、憐れみください」には、高音を「そんなにアペルト(声が開いた状態)で歌うのはもう十分だ」と言って、ジラーレする(girareとは「曲げる」という意味のイタリア語。開いたままの声を細くして湾曲させるように高音にもっていくこと)ように言い、その場で実践させた。
 横山希、岡山真奈、齊藤真優の3人のピアニストに対しても、テンポやリズムから間合いのとり方にいたるまで、細かく注文が加えられた。

アドバンスト・コースならではの厳しい指摘 

 アドバンスト・コースの受講生にも同様に指導が重ねられた。
 ソプラノの岡莉々香は、まずモーツァルト『フィガロの結婚』から「ついにその時がきたわ…さぁ、きて、遅れないで、あぁ、素晴らしい歓びよ Giunse alfin il momento ... Deh vieni non tardar」を歌い、「もう少し情熱的に!」と指示されたのに続き、母音「e」を発する際に口内の空間が狭く、「i」でさらに狭まっていると指摘された。「もっと空間をとらなければいけない」のに「押しつぶしている」というのだ。そして「a」も「e」や「i」も同じだけ空間を要する旨が伝えられ、「a」と同じだけ口内を開けながら「e」や「i」を発する練習をさせられた。
 一方、ドニゼッティ『愛の妙薬』の「受け取って、あなたは自由よ…私のひどい仕打ちは忘れて Prendi per me sei libero ... Il mio rigor dimentica」は、数日前にくらべて大きく改善されていたこともあり、「もっとビブラートを」と言われたほかは、「だいぶよくなった」と伝えられた。アジリタを歌いながら跳躍し下降するパッセージに関しては、これまで力が入りすぎたり、息が続かなかったりするのを再三見てきたからだろう、「(歌いながら)心配しすぎるな」と声がかけられた。
 ベッリーニの『夢遊病の女』からいわゆる「狂乱の場」、「おお! せめて一度だけでも…ああ! 信じられない…ああ! 私がどれほどの幸せに満ちているか Oh! se una volta sola ... Ah! non credea mirarti ... Ah! non giunge uman pensiero」を歌ったソプラノの萩野久美子は、「カバレッタが歌になっていない」と言われた。「アグレッシブに歌いすぎている! ここでは喉で押すべきでなく、落ち着いてなめらかに歌わなければダメだ!」というのである。
 テノールの石井基幾が、ヴェルディ『仮面舞踏会』から「彼女は到着した頃だろう…永遠に貴方を失っても Forse la soglia attinse ... Ma se m'è forza perderti」を歌った際にかかったのは、「まるで別人のようだ! 先日は0点だったのに」という声だった。実際、数日前は喉が閉じて強く押してばかりで、かなり厳しく指導されていたが、それが改善されていたのでポジティブなコメントになっていた。

こうしていよいよ、7月10日のゲネプロ、そして12日の本番を迎えた。後編に続く。