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サントリーホール サマーフェスティバル 2022
ザ・プロデューサー・シリーズ
クラングフォルム・ウィーンがひらく

クラングフォルム・ウィーン@ウィーン芸術週間
クセナキス『クラーネルグ』公演レポート

ヴァルター・ヴァイトリンガー(音楽評論)

ウィーンの音楽評論家ヴァルター・ヴァイトリンガーが、今年のウィーン芸術週間で行われたクラングフォルム・ウィーンによるクセナキス『クラーネルグ』の迫力あふれる公演(7月7~9日)をレポートする。本作は、サントリーホール サマーフェスティバルで、クラングフォルムにより8月26日大ホールにて演奏会上演される。

 このほとばしるような音楽は、たとえばファンタジー映画の怪物を大画面で見て楽しむように、ただ身を委ねるべき体験だろうか。たしかに、私たちは座席に寄りかかり、想像力を刺激する金管楽器の咆哮や木管楽器の叫喚を、1968年にパリで起きた「5月危機」 ——街は社会政治的に重要なデモやストライキ、市街戦などに揺れたが、比較的わずかな暴力に留まった——の追憶として受け取ることもできるだろう。だがヤニス・クセナキスにとってその音楽は、ギリシャで命の危機にさらされた青年時代を思い起こさせるということにも留意すべきだろうか。第二次世界大戦において、クセナキスは当初ナチスに対するレジスタンスに参加したが、最終的にはギリシャ内戦で英国軍と戦うこととなる。この闘争のさなか、彼は顔面を撃たれ片目を失った。死刑を宣告されたのち、彼はからくも国外に逃れえた。1947年、彼はパリへとたどり着く。建築と数学の概念——彼はこの分野に特別な関心を抱いていた——を音楽に応用することによって、彼は20世紀においてセリエリズム の支配的な潮流から外れて活動する、もっとも独創的な作曲家となった。

©Nurith Wagner Strauss
シルヴァン・カンブルラン指揮 クラングフォルム・ウィーン
『クラーネルグ』リハーサルの様子(ウィーン芸術週間、2022年6月)

 『クラーネルグ』とはクセナキスがこのオーケストラと磁気テープのための作品に与えた名である。1969年にバレエ音楽として初演されたが、その後すぐにコンサートホールにおいても高い評価を得た。この題名は「成し遂げる」と「エネルギー」を意味するギリシャ語から成る造語である。その冒頭はリアルなマシンガン射撃や集団パニックのように聞こえる。にもかかわらず、この音楽が詰め込まれた75分間——きっちり2秒から28秒間の計22回の総休止によって区切られる——は聴くことの喜びを存分に与えてくれる。ここではあらゆるものが、音列ではなく数学的熟練から編み出された対比の規則、すなわち音色、音域、アーティキュレーションの種類、強弱、事象の密度と運動の形式との間で漸進的に微分される衝突に基づいている。主題的なものはない。音響そのものが冒険となる。

 だがそれは——すくなくとも2022年ウィーン芸術週間のプロダクションにおける、振付師、エマニュエル・ユインと照明デザイナー、カティ・オリーヴの解釈においては——大団円を欠いた冒険である。というのも、指揮者シルヴァン・カンブルランは最後、直前まで凄まじく切迫して演奏していたものの突如沈黙したクラングフォルムと同様に薄闇に包まれ、数分にわたって指揮台の上に力なく横たわるのである。『クラーネルグ』が、この現代の名作の大部を占める録音の再生で終わるからこそ、可能なことである。その録音はおそらくホラー映画のサウンドトラックにも使うことができるだろう。ユインは4人の黒衣のダンサーたち(彼らとカンブルランだけが黒衣をまとっている)を用い、最終的に彼らの身体は突き上げた女性の拳とともにモニュメントを形づくる。それゆえ、指揮者はおそらく硬直化した権威、いわゆる「年配の白人男性」に対する闘争における必要な犠牲にすぎない。闘争は続く——そして聴衆は喝采する。

 これより前にも、このすさまじい経験の根源に暴力があることが感じられる箇所がある。それはダンサーたちが銃を模して足を伸ばし、また想像上の石や火炎瓶を投げる場面である。重力に対してであれ、具体的だが姿の見えない敵に対してであれ、個人においてであれ集団においてであれ、すべては対立をめぐって展開する。子どもたちのお遊戯を思わせる輪舞に始まったものは、突如として異なる円環へと変質しうる——外部の脅威に対して連帯する、不安の輪へと。カティ・オリーヴは弦楽器と管楽器(彼らは裸足で白い服を着ている)を2ヶ所のひな段に配し、直接的に差異と党派性とを示した。また、縞模様あるいは線状に舞台を横断する光により、黒と白のグラデーションをつくる 。
 クラングフォルムは、たとえば2021年の芸術週間における、マレーネ・モンテイロ・フレイタスによるシェーンベルク『月に憑かれたピエロ』のような、より演劇的な要求度の高いプロダクションにも取り組んでいる。だが『クラーネルグ』はこのアンサンブルの珠玉のレパートリーであり、それはあらゆる瞬間に明らかにされていた。繊細な聴衆は、重低音や金切り声、動力音や咆哮、そして時折聞かれる非常に甘く悲痛な声、震え声、まくし立てる早口のような音にうんざりするかもしれない。特にますます長く轟くSF風の音響がスピーカーから流れる最後の3分の1にあっては。だが、忍耐ある者は魅了されるだろう。

公演会場には味のある手書きの看板が設置されていた

ヴァルター・ヴァイトリンガー:ウィーン在住の音楽学者、フリーランス音楽ジャーナリスト、批評家(Die Presse紙、ブロードキャスター(Ö1)。

 

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