今年の「ザ・プロデューサー・シリーズ」を任されたクラングフォルム・ウィーンは、8月22日の「大アンサンブル・プログラム—時代の開拓者たち—」において武満徹と塚本瑛子の作品を取り上げる。今回の来日でクラングフォルム・ウィーンが演奏する日本人作曲家はこの2人だけだ。
現在30代半ばの塚本はベルリン在住の作曲家。生まれは鹿児島だが、日本の音楽大学に通っていないこともあり、まだ国内での知名度は高くない。しかしながら2008年には武生作曲賞、2012年には芥川作曲賞ノミネートと着実に実績を積み重ね、近年は第7回クリストフ・デルツ作曲コンクールに優勝したり、著名な団体から作品を委嘱されていたりと国際的なキャリアを歩み始めている注目の若手だ。そんな彼女に、幼少期の音楽との関わりからこれまでの歩みをうかがった。
作曲に強く惹かれていた幼少期
「5歳でピアノを習い始めたんですけれど、その頃から何か書いたりしていました。とにかく紙に書くのが好きだったんです。けど7歳ぐらいの時には自信がなくなって、作曲は一旦やめてしまいました。今から考えると笑ってしまいますが、自分には才能がないのかなと思って……」
根源から作曲という行為に強く惹かれていたことを思わせるエピソードは実に興味深い。作曲をしたいという思いを抱えながらピアノのレッスンを続けていると、中高生ぐらいで初めて現代音楽に出会う。
「デュティユーを聴いて、こんな音楽もあるんだと衝撃を受けました。シェーンベルクの楽譜を初めて見た時にも“なんだこれは!?”と驚き、怖い印象を持ったことを覚えています。この頃は自分とは縁のない、遠い世界だと思っていました」
それでも作曲をしたいという思いは揺らがず。高校生ぐらいからは和声の勉強もはじめていたというが、ピアノを師事していた先生からの助言で音楽大学以外の進路を選ぶことに。
「作曲をしたいなら音楽の知識ももちろん必要だけれど、それ以外の知識も必要。学ぶ順番はどちらでもいいし、人文科学全般をまずは勉強した方がいいんじゃないか?と言ってくださって、それでもともと考えることが好きだったこともあり、(お茶の水女子大学の)哲学専攻を選びました」
細川俊夫との出会い。そしてドイツへ。
卒業論文ではヴィトゲンシュタインをテーマにしたが、現在の作曲活動とはあまり関係がないと本人は語る。それより大事なのは、最初の師となる作曲家・細川俊夫との出会いだ。
「大学3年生の時に初めて(細川先生が音楽監督を務める)武生国際音楽祭に行ったんですが、その時は本当に何も知識がなかったんです。どういうことが行われているかも分からぬまま、とりあえず行ってみようと。そこで細川先生にお会いしたのです」
その後、細川に誘われてドイツの作曲家ヨハネス・シェルホルンの公開講義に参加したり、個人レッスンを受けたりと、2007年の秋頃から塚本はいよいよ作曲を本格的に学びはじめた。そして2009年にお茶の水女子大学を卒業すると、海を渡りドイツへ。
「細川先生のレッスンを受けていたのは1年ぐらいで、最初はヴェーベルンを分析したりするところからでした。ドイツに来てからは音楽祭とかで様々な作品に触れましたね。特定の何かに強く影響を受けたということはないんですけれど、いろんな世界に触れたことで視野が広がりました」
進学先のケルン音楽舞踊大学では、東京で講義を聞いたシェルホルンに師事することに。
「シェルホルン先生は聞き上手な人で、自分が書いていった作品から自覚していなかった側面を気付かせてくれることが多かったですね。そこからどういう風に書き進めていったらいいのかを一緒に見つけていくようなレッスンでした。私は音楽以外の抽象的なアイデアからインスピレーションを受けることが多いんですけれど、シェルホルン先生はそういう話も気兼ねなくできたのが良かったように思います」
4年半ほどケルンで学んだのち、2014年4月からはベルリンのハンス・アイスラー音楽大学でハンスペーター・キーブルツに作曲を師事することに。キーブルツのレッスンは、何でも受け入れてくれるシェルホルンとは真逆だったという。
「キーブルツ先生に作品をみせると論争になるんですけど、とても頭の切れる方なので毎回のように打ちのめされていました。でも、それが思考を鍛える訓練になりましたね」
リアリティをもって向き合えるアイデアをもとに創り出される作品たち
こうしたレッスンと並行して、学外でも着実に作品を発表。作曲家としてのキャリアを積んでゆく。近作の録音はSoundCloudで公開されているが、数年のあいだに作風がどんどんと変わってゆくのが興味深い。例えば2015年の『周縁 Peripherie』という室内楽曲は……、
「色んな音楽の流れが同時多発的に起きるのを表現したくて、そのために誰にでも分かるようなメロディや全く歴史的なコンテクストの異なるメロディを引用してきました」
……と本人が解説しており、実際の音響としてもどこかポップさが感じられる。それに対し、2017年に書かれた『輪 策 赤 紅、車輪(ラート ラート ロート レッド、レーダー rad rat rot red, räder)』という一風変わったタイトルをもつ管弦楽曲作品は、よりシリアスで硬派な雰囲気を醸し出している。
「最初のradはドイツ語で車輪という意味です。このradを一文字変えると、方策という意味のratになるんですが、発音はradと同じなんです。これをまた一文字変えるとrotという赤を意味する単語になりますが、今度は意味が同じでも言語の違うredになり、最後はradの複数形räderになっています。このように隣り合った要素は関連があっても、その関連自体が連続的ではないように作曲したので、それをタイトルでも体現してみました」
そして、インタビューをおこなった2022年5月の段階では、パイプオルガンと中国笙のための作品を作曲中とのこと。いま最も意識していることは楽器のコンテクストであるようだ。
「マテリアル(素材)として音色が魅力的であるということだけでなく、その楽器の歴史――どういう文化の中で、どのように作られ、どういう使われ方をしてきたのか?――を無視したくないのです。楽器は私が望む音を実現してくれる道具……以上の意味があると思うのです。その楽器のために作曲するということは、その楽器の歴史に関わることですから」
その時その時で自分自身がリアリティをもって向き合えるアイデアをもとに創作をおこなう塚本。特定の作曲家の強い影響下にないからこそ、インスピレーション次第で実際に鳴り響く音響が大きく変わっていく、非常にユニーク(たぐいまれ)な作曲家であることがお分かりいただけるだろうか。