アーティスト・インタビュー

日本フィル&サントリーホール
とっておき アフタヌーン Vol. 20

出演者インタビュー 指揮:太田 弦

日本フィルとサントリーホールが贈る、エレガントな平日の午後『とっておきアフタヌーン』。「心に音楽のエールを」をテーマにした2022-23シーズン、Vol.20に登場するのは、若くしてさまざまなオーケストラから信頼を得ている実力派指揮者、太田弦さんです。日本を代表するピアニスト・仲道郁代さん、そして日本フィルハーモニー交響楽団と共に、どのような音楽を届けてくれるのでしょうか。そのお人柄や、指揮者となった道のりも含めてお伝えします。

――ピアノの仲道郁代さんとは今回が初共演とのこと。

そうですね。もちろん聴衆として何度もホールで聴かせていただいたことがあります。 昨年は群馬交響楽団との東京公演で聴いたベートーヴェン『皇帝』が素晴らしかったです。今回、サントリーホールという場で初めて共演させていただけること、とても楽しみにしています。

――日本フィルハーモニー交響楽団とは、すでに幾度か共演されていますね。

はい。実は、2015年に出場したコンクール(東京国際音楽コンクール)で、予選の時に演奏してくれたのが日本フィルでした。共演と言ってよいのかわかりませんが、僕が初めて指揮したプロオーケストラは日本フィルだったのです。そのコンクールで第2位になったことが指揮者デビューのきっかけにもなりましたし、その後、杉並区の小・中学生の音楽鑑賞会で何度も一緒に演奏したり。それこそ僕がよちよち歩きの頃から見守ってくれているオーケストラです。

指揮:太田 弦
1994年札幌生まれ。幼少の頃より、チェロ、ピアノを学ぶ。東京藝術大学音楽学部指揮科を首席で卒業。同大学院音楽研究科指揮専攻修士課程修了。2015年、第17回東京国際音楽コンクール〈指揮〉で2位ならびに聴衆賞を受賞。指揮を尾高忠明、高関健、作曲を二橋潤一に師事。2023年4月より仙台フィルハーモニー管弦楽団指揮者に就任。

――なにか運命的な出会いですね……そして今回演奏される作品がベートーヴェン交響曲第5番「運命」。

とても有名な作品ですが、意外と第1楽章から先はあまりじっくり聴いたことがないという方も多いかもしれません。「ジャジャジャジャーン」の先に、これだけ広大な世界が広がっているのだということを感じていただけたら嬉しいですね。30分という短い時間の中にコンパクトに色々な要素が詰まっている曲なので……でも30分の曲を短いと表現するのは、我々クラシック音楽の世界だけかもしれませんね(笑)。

――聴いている間は作品の世界に引き込まれて、30分もあっという間に感じるかもしれませんね。「ジャジャジャジャーン」のその先へ。太田さんと日本フィルの皆さんがどんな世界を見せてくれるのか楽しみです。

日本フィルはとてもアットホームな雰囲気で、団員の中には藝大の同級生や大先輩も後輩もいますし、僕にとって近しい存在です。そして昨年共演した時に感じたのですが、名だたる名指揮者のもと長年演奏を重ねてきた演奏法が定着しているのではないか、僕はきっと違うアプローチをするから難しいところがあるのではないかと少し懸念していたら、まったくそんなことはなくて。僕の考え、やり方をすぐに汲み取ってくれて、短いリハーサル時間でも難曲に挑むことができました。とても懐の広い、フレキシブルなオーケストラだと思います。

――ベートーヴェンという作曲家は、太田さんにとってどのような存在ですか?

……実は苦手なんです(笑)。というのも、非常に努力型の天才で、厳しさがある。僕は、先ほどから話していてすでにお分かりかもしれませんが、厳しい人間ではないので、ベートーヴェンの厳しさに入っていくには強い意志の力が必要になるんです。素のまま抵抗感無くすんなり気持ちいいという感じではなく、肩肘張らないとうまくその世界に入っていけないというか。それが楽しいところでもあるんですけれどね。

はにかみながら言葉をひとつひとつ丁寧に紡ぐ太田さん。あたたかくまっすぐな様子にスタジオの雰囲気もなごやかに。

――すでに何度もベートーヴェンの交響曲を振っている太田さんなのに、意外です。

もちろん、嫌いではないですよ。

――仲道郁代さんとはモーツァルトのピアノ協奏曲第20番を演奏されますが、モーツァルトは、どのような存在ですか?

モーツァルトも……正直に言うと、デビューした頃はとても苦手意識がありましたが(笑)、数年前からは、ふと親しみやすくなりました。

――なにかきっかけが?

僕の力が少し抜けてきたのかもしれません。天才的に自然体なモーツァルトの作品を、かっちりやろうとしすぎていたんでしょうね、最初の頃は。でも、楽にやってみたらスッと入れた気がします。

――正直なお気持ちを、ありがとうございます。指揮台に立つ太田さんの背中を見ながら、「今日はモーツァルトとうまくやっているかな?」「ベートーヴェンに強い気持ちで立ち向かっているところかな?」などと想いを巡らせながら聴けそうです。
弦さんというお名前から、生まれた時から音楽家になる運命だったと想像しますが、音楽との出会い、そして指揮者になろうと思われたきっかけを伺えますか?

父も母も音楽好きで楽器をやっていますし、二人の姉も関西のオーケストラのヴァイオリン奏者で、と言うとすごい音楽一家の中で音楽漬けで育ったと思われがちですが、そうでもなくて(笑)、北海道の田舎でのびのび育ちました。趣味でコントラバスを弾く父は、音楽が本当に好きで、子どもが生まれたら音楽に関係する名前をつけようと決めていたようです。

――小さい頃から楽器を?

母の弾くグランドピアノが家にあって、幼い時から触っていたみたいです。で、母にピアノを教わるようになるのですが、すごく嫌で、全然練習しなかったです(笑)。小学校に上がる前ぐらいに、姉たちがヴァイオリンを弾いているのを見て、「僕は大きいのがいい」とチェロを習い始めたそうなのですが、自分ではあまりよく覚えていなくて。

――チェロにはハマったのですか?

いえ、相変わらず練習は嫌いでしたし、サッカーばかりして遊んでいました。でも、習っていたチェロの先生が素晴らしい方で。レッスンの時に、数学とか宇宙の話をいろいろしてくださったんです。それが良かったのかな。数学は大好きだったので。

――その頃から音楽家になろうと?

いえ、全然。サッカー選手か、学者や研究者になりたいと思っていました。それに、姉たちはとてもヴァイオリンが上手だったので、それを見て、僕はチェリストにはなれないと最初から思っていました。中学生の時に進路希望調査があって、どんな進路に進むか、将来何を職業にするかと考えました。札幌で育ったので小さい頃から札響(札幌交響楽団)の演奏会はよく聴きに行っていたのですが、その時、指揮を振る高関健さんや尾高忠明さんの姿を見て、指揮者って良い仕事なのではないかと思ったんです。それで、まずは指揮者が書いた本を片っ端から読んでみました。

――指揮者になるにはどうしたらいいのか、と探ったわけですね。

はい。それで多くの本に、指揮者になるには作曲法を知らねばならないと書いてあったので、勉強し始めたんです。家に色々本があったので、独学で。

――独学で作曲法が理解できるのですか!?

しばらくは一人で初歩的な理論を勉強し、それ以上は習わなければという段階で親に相談したら、北海道に良い先生がいるということで、高校1年生から作曲の先生につきました。フランスの現代作曲家メシアンの直弟子だった方で。

――急展開で指揮者への道が具体的になりましたね。

毎月、先生が岩見沢から札幌まで来てくださって、普通は海外に留学しなければ勉強できないような内容まで教わることができたのです。そうやって作曲はかなり勉強したので、先生には藝大の作曲科に行ったらいいと勧められ、自分もちょっとその気になったのですが、「あれ、何のために作曲を勉強したんだっけ」と思い返して(笑)、やはり指揮科に進みました。

――もしかしたら作曲家・太田弦が誕生していたかもしれないんですね。

でも、指揮をしてみたいという、ちょっと異常なくらいのパッションがあったんです。藝大では、高関先生と尾高先生に師事することになりました。
作曲というのは小さいものを大きくしていく作業で、指揮者は逆に大きいものを解体して小さくしていく作業です。ちょうど『運命』の楽譜を持ってきていますが(リュックから楽譜を取り出す)、こうやって数字がたくさん書き込んでありますが、大きい単位をどんどん小さなスケールに解体していって、ひとつひとつを読み込んで分析していくんです。そしてそのひとつひとつをまた組み直し、大きなひとまとまりとして構築していく。楽譜を読んで研究していく作業はすごく僕に合っていて、好きです。

リュックから取り出した楽譜を1ページ1ページ大切に眺める姿が印象的です。

――もともと持っていらっしゃった学究的な資質ですね。

数学にロマンを感じますし、自分はけっこうバリバリ理系の指揮者だと思います(笑)。原典版の楽譜(作曲者が残したものを忠実に再現した版)に付いている校訂報告書(どの資料をもとにどういう解釈で表記をしたのか、資料間の比較や資料の所在が書いてある解説書)を読み込んでいくのは、考古学的な面白さもあります。作品のディティールが見えてきて、解像度が上がっていく感じです。

――大阪交響楽団の正指揮者に就任され(2019〜21年)ベートーヴェンの「第九」を振られた時も、楽譜を読み解いて、ベートーヴェン自身かなり迷ったのではないか、バランスが悪い部分や指示が書かれていたりいなかったりばらつきもあり、編集者の記譜間違いもある、と指摘されているのをwebで拝見しました。

あ、そんなことまで出てましたか(笑)。その後、コロナ禍でなかなか演奏会もできなかったのですが、その間に、さまざまな作曲家のスコアを時間をかけて深く研究することができました。新しく出版された版の中に、これは間違いなのではないか、というような箇所をいくつか発見して。当時近所に住んでいらした高関先生に散歩の途中で出くわしたので話してみたら、「研究者に連絡してごらんよ」と言われたので、当の研究者であるアメリカの大学教授とメールでやり取りしたり。実際、それは間違いだったようで、僕の指摘は次の版を出す時に採用されるみたいです。高関先生に伝えたら、「本当に連絡したの?」なんて言われました(笑)。

写真は作曲家のスコアを研究する際に使用している筆記用具。常に持ち歩いているのだとか。

――では、コロナ禍の間も充実な時間を過ごしていらっしゃったんですね。

その前に少し体調を崩していたこともあり、自分としては良いリハビリ期間になりました。もちろん、「演奏したい」という気持ちはどんどん高まって、やっと演奏会ができるようになった最初が確か名古屋でベートーヴェンの交響曲第7番だったのですが、「生演奏は素晴らしいなあ」と改めて感じました。

――サントリーホールでもすでに何度か指揮台に立たれています。どのような印象でしたか?

僕は北海道で育ったので、サントリーホールは「テレビで見る場所」というイメージでした(笑)。それこそ藝大時代、18歳の頃に初めて聴きに来ましたが、馴染みがある札幌コンサートホールKitaraによく似ていて親しみを覚えましたし、客席で聴こえる音もすごく良かったです。実際指揮台に立ってみると、とてもやりやすかったです。舞台上で聴こえる音のバランスもいいですし、客席にもそのまま同じ響きがしっかり伝わっているなという安心感がありました。

――『とっておきアフタヌーン』シリーズは、オンライン配信(有料・リピート配信あり)でもお楽しみいただけるのですが、演奏者としてはオンライン配信についてどのように感じていらっしゃいますか?

ひとつの手法として、とても良いと思います。 聴きに行きたいけれどどうしても行けないとか、他のコンサートと重なっちゃってどれに行こう、なんてことも解消されますもんね。演奏する側としては、けっこう大胆に挑戦して失敗しちゃった時などに、それが映像に残るというのはちょっと厳しいですが……幸い、まだそういうことはありません(笑)。
いろいろな方にクラシック音楽に接触していただく機会を増やして、少しでも興味を持ってくれたら、僕たちが一生懸命演奏している音楽の魅力が伝わっていくのではないかと思っています。オンライン配信で親しんでいただいたら、ぜひ生演奏を聴きに来てほしいです。その場で聴くからこそ感じるものが必ずあると思うので。 

とっておき アフタヌーン Vol.20はオンライン配信を実施(有料・リピート配信あり)。
視聴券は2,200円、リピート配信視聴期間は2022年9月28日(水)14時~10月4日(火)23時まで。

――目指す指揮者像はありますか?

40年後、高関先生や尾高先生のような存在になれていたら、と思います。僕は完全に“教育によって指揮者になれた”と思うので、僕が受け取ったのと同じように、伝えられる技術はどんどん日本の次の世代に伝えていきたいという思いがあります。

――では最後に、「とっておきアフタヌーン」恒例の質問なのですが、太田さんにとっての「とっておき」の時間は、なんですか?

今は、子どもを抱っこすることかな。生まれて10カ月なんです。生まれる前はあまり想像できなくて、自分の研究の時間を取られちゃうんじゃないかなんて心配していたのですが、全然そんなことなくて……かわいいですね。

――リラックスしてスイッチを切り替えられるという感じですか?

あ、スイッチは常時オンです!

――常に笑顔で和やか、理系で学者肌の太田弦さんが指揮するモーツァルト、そしてベートーヴェンの世界を、お楽しみに。