サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2022
プレシャス 1 pm Vol. 3 三味線の室内楽〜フォークロアからの逆襲
【対談】 本條秀慈郎(三味線) × 片山杜秀(音楽評論家)
~音楽そして三味線との出会い、西洋弦楽器との室内楽
本條秀慈郎さんを知らない邦楽や現代音楽のファンが居たらもぐりである。三味線の世界に新次元を切り開いてこられた本條秀太郎さんの愛弟子であり、2021年には高橋悠治さんの三味線音楽を連続演奏するリサイタル・シリーズでまことに滋味深い成果を収められたばかり。一柳慧さんや藤倉大さんも秀慈郎さんのためにコンチェルトを書いている。
そんな秀慈郎さんを、チェンバーミュージック・ガーデンにお越しいただけるクラシックの室内楽ファンの皆さまにも御紹介させて頂きたく、おはなしを伺います。
片山 秀慈郎さんは邦楽のおうちの御生まれというわけではないのですよね。
秀慈郎 よく突然変異と言われます。父親は彫刻家でアルミを鋳造しアヴァンギャルドな作品を制作します。母も芸術が好きで、何かをはじめることに抵抗の無い環境で育ったのかもしれません。
片山 音楽との出会いは?
秀慈郎 子供のときにピアノを習ったのですけれど、あまり長続きせず……。中学ではエレキギターに熱中しました。ヴィジュアル系バンドが流行っていて、その影響から始まり、ジミー・ヘンドリックスに憧れ、それからブルースのロバート・ジョンソンなど惹かれました。高校に上がり音楽室でたまたまピアノを弾いていたら、吹奏楽部の先生に、今、練習しているギリングハムの『闇の中の一筋の光』という曲にピアノが入るのだけれどと誘って頂き、それがきっかけで吹奏楽部に居残って、テューバを吹きました。この頃津軽三味線を始めたんです。通える所に先生がいらして。
片山 流派は何ですか。
秀慈郎 木田林松栄さんの弟子、青森の長谷川裕二さんが創流された長谷川流です。林松栄さんは叩き三味線と言われて、メトロノームのように一糸乱れず叩き続ける。その叩き三味線と、歌心ある癖のないまっすぐな三味線を長谷川裕翔先生に教わりました。津軽民謡に限らず、広く音楽を学んだらと導いてくださって、それで音楽学校進学の希望も芽生え、桐朋学園の短大に進みました。最初にご指導頂きましたのは長唄三味線の杵屋勝芳寿先生です。ご主人は作曲家の浦田健次郎先生でいらして、基本は現代曲を勉強してゆく方針です。最初は音楽学校に入ったといっても演奏家になる強い意欲を持っていたわけではなかったのですが、勝芳寿先生を始めとする先生方のおかげで、音楽が面白くなり、三味線で生きたいと願うようになりました。
片山 それで大学院相当の専攻科に進まれて、本條秀太郎さんに習われて、今に至るのですね。
秀慈郎 師匠本條秀太郎先生との出会いは衝撃でした。三味線の世界は、地歌や義太夫節、常磐津節、清元節、長唄それから端唄・小唄、民謡などに分れていて、それぞれの特徴があるのですが、師匠はそれらの根元にまで遡り、総合して乗り越えてゆこうとする音楽の“営み”を模索され続けてこられ、現代音楽にも踏み込んで、自ら作曲もする方です。学校で「先生」としてまずご指導頂いたのですが、授業時間だけではとても足りない。そう思って本條流に入門し、学校に通いながら師匠の近く置いていただいて、2009年に学校を出たときにデビュー・リサイタルをさせていただき、そこから自分の道が始まったのかと。
もちろん、師匠や勝芳寿先生だけでなく、桐朋では、アンサンブル・ノマドを率いておられる佐藤紀雄先生や、箏の野坂惠子(二代目操壽)先生にも、お世話になりました。紀雄先生は、クロード・ヴィヴィエやテリー・ライリーのアンサンブルの曲で、三味線が入ってもいいようなときに僕も合奏に加えて頂いて、演奏についての大きな体験になりました。時折桐朋の4年制大学の授業にも潜り込み、林光先生の作曲のクラスに出入りし、林先生に三味線弾く人なのかと興味を持っていただいて、曲の試演をさせてもらったりして。
片山 以来ずっと現代音楽との深い付き合いが続いているわけですが、近年の高橋悠治さんの音楽への目覚めに至るまでの遍歴を、ご自分で整理していただくとすると、どうなりましょう?
秀慈郎 はじめは、師匠の委嘱された、浦田先生の『碧潭第2番』や坪能克裕先生の『鞍馬の恋唄』など、メロディアスで三味線の音が自然によく流れて行く音楽を弾かせていただいて、それから三味線の自然さをあえて超えてゆくようなレパートリーに、新作・旧作を含めて多く挑戦させていただくようになって、三味線の新しい可能性に目を開いてゆくようにもなるのですが、そこで充たされぬものも出てきて……。
片山 それはつまりきっと、三味線の背負ってきた歴史性というか身体性というか、そこへのこだわりとのバランスということですよね。手が自然にこう行く、すると間がこうなる、鳴らし方はこうなる……。本條秀太郎さんにも秀慈郎さんにも、本来の三味線らしさを極めたいお気持ちがありましょう。しかし、現代音楽のアヴァンギャルドな傾向としては、三味線を、伝統にこだわらない性能・機能に還元して、ゼロ地点からできる可能性を酌み尽くし、極限を追求して、楽器のイメージを更新しようみたいなことがある。そこに齟齬が出てくることはありますよね。
秀慈郎 現代音楽の音の数というか音の渦といいますか、精神的にだいぶこたえた部分があるといえばあり、そんなときに「サントリーホール サマーフェスティバル2020」で高橋悠治先生の『鳥も使いか』を演奏させていただく機会を得まして。
片山 『鳥も使いか』は、『古事記』の古代歌謡をテキストにし、それを三味線奏者がいかにも自然に緩やかにのびやかに弾き語りして、そういう弾き語りにオーケストラがこれまた自由に即興的に絡む音楽ですよね。高橋さんは琵琶法師の古い音楽をモデルにされている。三味線音楽は琵琶と同じで基本は弾き語りであり、たとえ三味線の楽器の音だけで、歌なし、言葉なしで演奏するときでも、歌が背後に意識されて、言葉と絡み合うつもりで鳴らさないと、実は三味線らしくないのではないか。そんな悟りを得られたということでしょうか。
秀慈郎 まだ悟れる域でもないのですが、やはり楽器は楽器、歌は歌で切り離して、弾き語りをするときは語り、バリバリ弾くときは器楽一辺倒みたいな発想では、三味線の魅力の半分どころか3分の1も出ないような気がしまして。そこで『鳥も使いか』をさせていただいた時から、師匠に改めて本格的に歌の稽古をつけていただくようになりました。楽器のできることを純粋に機能として突き詰めることも大切ですが、やはり伝統“らしさ”、自然さにつかないと、三味線でやる意味がなくなってしまう。日本語を歌い、語ることと絡み合い、もつれ合い、不即不離になっているのが三味線なので。高橋悠治先生と師匠が仰ることに共通されたものを感じまして、そこから開けて来た場所に立つと、今までやってきたことが皆新しく見えて来るようになって参りまして。
片山 近代の西洋クラシック音楽はピタっと縦の線を合わせて行くこと、メカニックに理屈立ててヨコにもタテにも作って行くことを追求するものであったとすると、三味線は、絡んで、もつれて、ずれて、揃わなくて、はみだして、曖昧領域を作って、みたいなことに、古くから背負ってきた持ち味がある。そこに、秀慈郎さんが遍歴の末、新たに目覚めたというところでしょうか。
今度のチェンバーミュージック・ガーデンの「三味線の室内楽~フォークロアからの逆襲」への道筋も幾らか見えてきたようにも思えます。曲目、編成、コンサート全体の意図を取り混ぜて、ざっくばらんに伺えれば。
秀慈郎 大きなコンセプトとしては、実は「手移り」という言葉がありまして。
片山 手移りというのは雅楽の笙の演奏法についての言葉で、笙のハーモニーを変化させてゆくときに、当然ながら奏者が手をずらして、押さえる穴を変えて行く。それを手移りと呼び習わしているのを、高橋悠治さんが悠治流に解釈して、笙に限らずいろんな楽器で、前の音の余韻を残しながら、次の音に微妙に曖昧ににじんでゆくように推移して、もつれや陰翳を生み出してゆく、そんな演奏の仕方が手移りであると。あるいは手の自然な動きに任せて勝手に移ろっていってしまうと。そんなことなのかと私は思っておりますが。三味線にもとても生きるコンセプトですよね。
秀慈郎 そういう演奏にこだわって、三味線と西洋楽器を合わせたアンサンブルで〝室内楽〟をやりたいつもりなのです。西洋のクラシック音楽も合理的に洗練されたものというよりも、偶然に手がもつれてこうなるというふうなものが楽譜に書きつけられていると感じられるものがあって。バッハとかそうだと思うのですが。邦楽でも、必ずしも規則通りではなくて、ちょっと「あっ」ってなっちゃったものがいいみたいなことがある。そういう意味で手移りということで。
J.S.バッハは、師匠も無伴奏チェロ組曲を弾かれました。『音楽の捧げもの』の「2声のカノン(謎カノン)」は、僕もやりましたし、更に師匠がまた自由に弾かれて、すごく勉強になって。そこで今度は同じく『音楽の捧げもの』の「3声のリチェルカーレ」をやってみようと。もちろん、ものすごく論理的で緻密な音楽には違いないですが、すごくもつれたリチェルカーレもありうるのではないかと。
片山 この「3声のリチェルカーレ」の編成は、三味線とあとは何ですか。
秀慈郎 ヴィオラとチェロです。三味線には声が必要ですから、はじく楽器ではなくて弓で擦る楽器、声に近い楽器という意味でチェロとヴィオラ。特にヴィオラは一柳慧先生、師匠も「三味線によく合う」と私に叩き込んでくださって。チェロは、もちろん好きな楽器ですし、今まで一緒にやることも多かったので。
片山 2曲目は、三味線独奏曲の近代の古典、中能島欣一の『盤渉調』ですね。
秀慈郎 中能島さんは、宮城道雄さんと並び、西洋のセオリーと言いますか、そういう部分にすごく憧れ今では考えつかない程大変な試みと勉強をされたのだと思います。しかし、『盤渉調』の第二楽章は、中間部で理詰めの音楽から、ペルシア風のメロディで聴かせる。そこに僕は三味線音楽のひとつの原点があるように感じまして。メカニカルに構成した果て、そこに行ってしまう。これもどこか“手移り”であって、別の言い方をすれば、音楽が理屈に行く前に、鄙に息づいているかたちのあらわれだと思うのです。それがつまりコンサートのタイトルに入れさせていただいているフォークロアということで。
片山 そのフォークロア、民俗主義ということで、3曲目は、アルゼンチンのヒナステラが土俗的作風を示していた時期のピアノ曲集『12のアメリカ風前奏曲』より第5曲です。
秀慈郎 初めて聴いた瞬間びっくりしてしまいまして。これは三味線の作品だなと。
片山 撥弦楽器をピアノで模しているのでしょうね。
秀慈郎 「トゥルルン、トゥルルン」という音が、ピアノでの魅力も分かるのですが、絶対三味線でやるのもよいと思いまして。ほんと、民謡をそのままコンサートホールに持ち込む感じで味わっていただけるかと。
片山 4曲目は高田新司作曲『竹取』。高田さんとはお師匠の本條さんの本名ですね。
秀慈郎 『竹取』は『竹取物語』とは関係なくて、尺八と三味線による瞑想音楽なのですが、三味線の新しい可能性を調子をどんどん変化させることで追求されているところがあり、中能島さんの『盤渉調』の決まった調子にポイントがあることと反対の意味をなしているのではと思います。
片山 そして5曲目にバルトークの『ミクロコスモス』より3曲なさる。
秀慈郎 バルトークは一番好きな作曲家です。フィールド・ワークとして、民謡を録音して作品に生かす。師匠もバルトークみたいな方ですねと言われる程全国の某大な民謡を採譜・録音し再構築されております。バルトークも民謡を再構成して再作曲する。作り直してるというような部分で、そこから、ピアノ曲としてうまく形にされている部分を、もとの手写りや民謡のもつれるようなチャームなところへ返してゆけないかと。たとえばピアノの両手に分けられた1本の旋律を、三味線と洋楽器に割り振ると、もつれる感覚が強まると思うのです。
片山 6曲目はシベリウスの少年時代の小品『水滴』です。オリジナルはヴァイオリンとチェロですか。
秀慈郎 この曲は昔から好きで、よくアンコールとかで学生の頃から弾いていまして。三味線によく合うんです。今回はヴィオラと一緒に。
片山 そして最後が自作の『vie』。フランス語で生きるということ。
秀慈郎 おこがましいのですが。メシアンの『世の終わりのための四重奏曲』を聴いて感動して作った曲です。かなり調弦も工夫して、洋楽なのか邦楽なのか、どちらとも取れるような具合の曲で、今回、和洋のアンサンブルに編曲して貰って、ずれやよじれの付くような形でできればと。
片山 タイトルに「フォークロアからの逆襲」と入るのは、西洋クラシック音楽への逆襲ということですか。
秀慈郎 必要以上に縛られたものに対する手移りからの逆襲ということもあれば、象徴される平均律的なものへの、三味線に象徴されるもっと自由な演奏からの旋律・調律の多様性などからということもあり、もっと大胆に言うと音楽全般への三味線からの逆襲にもなるかもしれません。でも、あと実は分野別に洗練されたという価値づけに対する、未分化なものの逆襲というつもりもあるのです。大それたことなんですが、そういう試みを感じていただければ。
片山 しかもそれを室内楽編成でやる。三曲合奏と言えば、三味線、箏と胡弓ないし尺八と思いますが、和洋の楽器を混交させた、しかも手移りを意識してキッチリ決めない新しい三曲合奏の誕生を予感します。とても期待しています。
秀慈郎 ありがとうございます。精進して準備して参ります。