アーティスト・インタビュー

チェンバーミュージック・ガーデン
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サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2022
フォルテピアノ・カレイドスコープ Ⅱ

渡邊順生(フォルテピアノ) & 酒井淳(チェロ)が語る
「ベートーヴェン チェロ・ソナタの聴きどころ」

加藤拓未 (取材・文/音楽学)

CMG2021 「フォルテピアノ・カレイドスコープⅢ」 より

チェンバロ奏者、クラヴィコード奏者、そしてフォルテピアノ奏者として、日本の古楽界を牽引してきた渡邊順生氏。かつては、世界的なチェロ奏者アンナー・ビルスマとのコンビで、チェロ・ソナタ作品の神髄を我が国に紹介してくれていたが、2003年にビルスマは演奏活動を事実上引退し、2019年には天に召された。そんな渡邊氏が「ビルスマ以来の衝撃だよ」と絶大な信頼を置いているのが、フランス在住のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、チェロ奏者の酒井淳氏だ。
昨年6月にチェンバー・ミュージック・ガーデン(CMG)でくり広げられた名演につづき、今回は、ベートーヴェン・ツィクルスの完結編となる。お二人に今回の演奏会の魅力についてうかがった。

CMG2021 「フォルテピアノ・カレイドスコープⅢ」 より

ベートーヴェンとチェロ奏者との出会い
――ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)のチェロ・ソナタ作品5の2曲は、チェロとピアノのデュオで書かれた最初の本格的な作品とされています。1796年の作品です。その意味では、音楽史上、画期的な作品ですが、ベートーヴェンとチェロ奏者の間には、どのような関係があったのでしょうか?

酒井 ベートーヴェンが、ヴァイオリンとのソナタではなく、先にチェロとのソナタを作曲したというのは、興味深いことですよね。やはり、そこには出会いがあったのだと思います。まず重要だと思うのは、フランスのチェロ奏者ジャン=ルイ・デュポール(1749~1819)との出会いです。デュポールは、フランス革命(1789年)を逃れてベルリンにいました。そこで、ベートーヴェンは彼と出会い、彼のために書きたいと思って、最初のチェロ・ソナタである作品5の第1番と第2番を作曲しました。

渡邊 チェロ奏者との出会いと言えば、ベートーヴェンは、ボン時代(1770~92年)にベルンハルト・ロンベルク(1767~1841)とも出会っていますよね。

CMG2021より

酒井 そうですね。先にロンベルクと出会っている。ですが、ベートーヴェンの初期のチェロ・ソナタの音楽を見ると、その趣味において、最初は「デュポールの方に傾いていたのかな?」と感じますね。そして、ベートーヴェンは、その創作の中期以降になって、ロンベルクの方に接近していくような気がします。
たとえば、今回演奏するヘンデルの『ユダス・マカベウス』の主題による変奏曲WoO45は1796年の作品で、ベートーヴェンはヴァイオリン奏者でもありましたから、チェロのパートもうまく書かれています。ただ、指板を押さえる指遣い(運指法)がフランス風、つまりデュポール流なのです。
当時の重要な運指法として、フランスのデュポール流と、ドイツのロンベルク流がありました。ロンベルクは、指板を押さえるグリップの仕方が、ヴァイオリンに近いのです。ですからロンベルクの持ち方だと、より力強く押さえられるので、音量も、もう少し大きかったことが想像されます。

これに対し、デュボール流は、現在、多くのチェロ奏者が行っているように、指板に対し、手を垂直に添えて、弦を押さえますので、ピアノの打鍵のように指が動かせますから、ピアノの音楽にも対応できますし、速いパッセージなどもラクに弾けます。今回の変奏曲を、デュポール流で弾くと、3連符のあたりなどで運指法がうまくいくので、そういう意味で、デュポールの影響があったのかと思うのです。

     ロンベルク流のグリップ
     デュポール流のグリップ

■作品5の特徴
――作品5は、1796年にベルリンのプロイセン国王の前で、デュポールとともに演奏したとされる作品です。ピアノのパートが、とても華やかなのは、ベートーヴェンが国王に自分をアピールするため、そのように作曲したと言われていますが、そのあたりはいかがでしょうか?

渡邊 そういう側面もあると思いますが、今回演奏する作品5の第2番のソナタに関しては、そういうものを超えて、チェロの魅力がものすごくよく生かされていますので、ぜひそこに注目して聴いていただきたいと思っています。けっしてピアノよりも低い音を弾いているからといって、脇役にまわっているわけではないのです。
特に2番のソナタは、チェロとピアノの関係がとても興味深いですね。ピアノの左手と右手は、それぞれ低い方の音域と高い方の音域を弾きますが、時としてチェロの旋律線が、ピアノの右手よりも高い音域にくることがあるのです。つまり、一番高い音域にチェロがあって、その下にピアノの高音と低音という順番で、3声部が並んでいるわけですが、これは、ヴァイオリン・ソナタと同じスタイルですよね?
それから、一番高い音域にピアノの右手があって、真ん中の音域にチェロ、それでピアノの左手が低音に入るという箇所もあり、これはヴァイオリン・ソナタでもありえないことはないですが、楽器がチェロであれば、やはり俄然、チェロの中音域の魅力が、光って出てきます。
それから、あともう一つ。ヴァイオリン・ソナタではありえない形として、一番高い音域にピアノの右手、中音域にピアノの左手があって、そしてチェロが一番低い音域にあるというケースがあります。こういうときは、チェロが、ピアノの両手の演奏を支えているだけでなくて、ピアノ全体を持ち上げて、運んでいってしまうような音楽になっているのです!

酒井 そうですね。これが2番のソナタの醍醐味ですよね!

渡邊 たとえば、ロストロポーヴィチとリヒテルといった、モダン楽器の名人たちによる演奏を聴いても、こうしたチェロとピアノの関係の妙が、きちんと聴こえてきません。これには理由があって、なぜならピアノの音が「重すぎる」から、一番下でチェロが支えているという感じが、現実感を伴って、はっきり鮮やかに聴こえてこない。これを、今回使用するホフマンのような1800年以前に作られた、軽い音のフォルテピアノで演奏すると、それはもうチェロによって鮮やかに、ピアノが軽々と運ばれてしまう様子を、ありありと聴くことができます。軽やかな音でもって、ピアノがすごく忙しく弾いているところを、チェロが丸ごと運んでしまうのは、相撲の決まり手で言うと「吊り出し」みたいなものですね(笑)。

渡邊順生
チェンバロ、クラヴィコード、フォルテピアノ奏者、指揮者として活躍。論文執筆や楽譜校訂も手がける。アムステルダム音楽院にてグスタフ・レオンハルトに師事、ソリスト・ディプロマおよびプリ・デクセランスを取得。フランス・ブリュッヘン、アンナー・ビルスマ、ジョン・エルウィス、マックス・ファン・エグモントなど、欧米の名手・名歌手たちと多数共演。またCD録音も多数。2006年度、16年度レコード・アカデミー賞に輝く。10年度サントリー音楽賞受賞。19年指揮したモンテヴェルディのオペラ『ポッペアの戴冠』で、三菱UFJ信託音楽賞奨励賞受賞。
酒井淳
名古屋生まれのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、チェロ奏者、指揮者。古楽アンサンブルの通奏低音奏者として、数々の演奏会とCD録音を手掛ける。室内楽に力を注ぎ、シット・ファスト(ガンバ・コンソート)やカンビニ弦楽四重奏団の創立者として活躍。またソロでは、フランス・ヴィオール音楽のスペシャリストとして高く評価される。近年はフランスのディジョンやリールのオペラ座、オペラ・コミック座での指揮で成功を収めている。2017年齋藤秀雄メモリアル基金賞受賞。18年レコード・アカデミー賞の音楽史部門に選出された。
写真は2021年11月ケルンにてジャズの仲間たちとのライヴ。

■フォルテピアノの楽器の違い・特色
――今回は、1790年代に製作されたフェルディナンド・ホフマン(1756~1829)のピアノと、1810年代に製作されたナネッテ・シュトライヒャー(1769~1833)のピアノと、2台を使用しますが、それぞれの特色、あるいは魅力を教えてください。

酒井 私の印象ですと、ホフマンの方が、少し落ち着いた感じで、シュトライヒャーの方は、音がブリリアントで、倍音がたくさんある感じがしますね。特に高音が、「ウィーンの音だな」と感じて、この楽器が、後々に登場するベーゼンドルファーに通じてゆくのかと思わされました。

渡邊 そうですね。ナネッテ・シュトライヒャーの楽器は、高音部の音が凄く色っぽいというか、艶っぽさがあって、中低音の音には力強さがあり、その両方を兼ね備えているような感じがします。
ナネッテ・シュトライヒャーの旧姓はシュタインと言って、彼女の父ヨハン・アンドレアス・シュタインは、ピアノ製作史上最も重要な天才のひとりです。2007年にドイツのニュルンベルクにあるゲルマン博物館のレコーディングで、私はシュタインのピアノを弾いたことがあるのですが、音の抜けがすごく良くて、圧倒されるほど魅力的でした。そうした特徴が、ナネッテの楽器にも伝わっていて、1809年以降のベートーヴェンは、彼女のピアノ無しでは暮らせないほど、彼女の楽器に入れ込んでいました。

酒井 弦楽器との相性というのもありますよね。そういう意味では、シュトライヒャーは、弦楽器的な感じがします。弦楽器の音と、フォルテピアノの音が、混じり合うところの接点が、多い気がするのです。ですから、シュトライヒャーは、私にとっては弦楽器のストラディヴァリウスのようなイメージがあります。

渡邊 今回は、プログラムの後半で、『魔笛』の主題による変奏曲を、ホフマンの楽器で演奏してから、楽器を変えて、チェロ・ソナタの第3番をシュトライヒャーで演奏します。ですから、楽器の音の違いが、よくおわかりいただけるのではないかと思っています。

     F. ホフマン(1790年代)
     N. シュトライヒャー(1810年代)

■作品69の魅力について
――チェロ・ソナタ第3番 作品69は、1807~8年ごろに作曲されました。作品5から、約10年後の作品となりますが、作風に変化などはありますか?

渡邊 作風の変化は、顕著ですね。漠然とした表現になりますが、3番のソナタを書いたベートーヴェンは、まさに「巨匠」のイメージです。建造物にたとえるなら、すごい「堅牢さ」を感じますね。ベートーヴェンの作品番号67、68、69というのは「運命」、「田園」、そしてチェロ・ソナタの3番となります。そう考えると、3番のソナタは、ベートーヴェンの創作において、最も充実した時期の作品と言えます。

酒井 3番のソナタは、『田園』交響曲と同時期に作曲されていますから、このふたつの作品には、音楽的に共通する要素があるように感じます。「田園」の最初の出だしは、持続する低音の上で牧歌的な音楽が流れますが、3番の出だしも、「田園」風の感じがあると思います。ぱっと、視覚的なイメージが湧くような音楽なのです。それから、チェロとピアノの掛け合いが、作品5と比べて、より対等な感じになっています。同じような音型を掛け合って対話をしている感じは、作品5にはなかった要素ですね。

酒井淳が現代ダンスの大御所Peeping Tomのために作曲。2021年12月、リールのオペラ座での公演。

渡邊 そういえば、第1章の展開部のところで、バッハの『ヨハネ受難曲』の旋律が聴こえてきますよね?

酒井 アルトのアリア“Es ist vollbracht”のことですか? あそこで、なぜバッハの受難曲のアリアが聴こえてくるのでしょうかね!

渡邊 ベートーヴェンは1821年にピアノ・ソナタ第31番の第3楽章でも、このアリアの旋律を使っているのですが、このときは完全に「ラメント(嘆きの歌)」として引用しています。そして31番の最後のフーガには、『ミサ・ソレムニス』の「アニュス・デイ」のフーガのテーマを引用していて、しかもヘンデルの『メサイア』の「ハレルヤ・コーラス」の“And he shall reign for ever and ever”とそっくりなのです。これは、要するに「悲しみ」を乗り越えて、最後に『ミサ・ソレムニス』の「アニュス・デイ(神の小羊)」の境地に達しようという展開が、明瞭に読み取れますね。ところが、この「ラメント」の旋律を、なぜチェロ・ソナタの3番の第1楽章の展開部で使ったのか。その意図はどこにあるのか?

酒井 この3番のソナタの展開部は、本当に素晴らしいですよね! ベートーヴェンが、まさに「革命」を起こしているという感じです。ここで聴こえてくる、バッハの悲しみの旋律を、聴き手のみなさんが、どのようにお感じになるのか? それも、今回の楽しみのひとつです。そして、私はこの3番のチェロ・ソナタ以降の作品は、ロンベルクの音楽の世界と共通するように思うのです。それは、技術的な問題というより、「頭のなかにある音の世界」と「音楽のあり方」が、デュポールの世界を逸脱しているからだと思います。

【譜例】
(上) J. S. バッハ:『ヨハネ受難曲』第30曲のアルトのアリア
(下) ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番 第1楽章

■6月の演奏会にむけての意気込み
――今回の演奏会にむけて、意気込みをお願いいたします。

酒井 一年越しで、演奏会をできるというのは、本当に嬉しいですね。こういう企画をサントリーホールからいただけて、本当に良かったと思っています。渡邊さんも、私も、毎回、同じような演奏をしたくないという考えを持っています。だから「ここは、こうしよう」とか、あまり決めない方がかえって、いつも面白い演奏ができるので、演奏会の当日に、まさにその場で生まれる音楽を、聴き手のみなさんと一緒に味わえたらと楽しみにしています。

渡邊 前回の酒井さんとの演奏会は、私にとって、非常に鮮やかに記憶に残っていますので、今回も本当に楽しみにしています。このインタビューでお話しした通り、かなり工夫を凝らした内容になると思いますので、きっとみなさんにもお楽しみいただけると思います。

サントリーホール ブルーローズ(小ホール)

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