主催公演

サントリーホール オペラ・アカデミー 2021/2022シーズン レポート2

充実の「オペラティック・コンサート」が終わって

香原斗志(オペラ評論家)

舞台で歌い演じるための最良の訓練
 サントリーホール オペラ・アカデミーが発声の基礎に始まって、歌唱のスキルを積み上げる場であるのはいうまでもないが、オペラがドラマであるかぎり、舞台上でドラマに奉仕するように歌い、演じられるようになれなければ始まらない。
 その意味で、よくできているのが「オペラティック・コンサート」である。オペラの名場面をアリアや重唱だけでなく、レチタティーヴォなども含めて上演するので、アカデミーに在籍する若い歌手たちが、学んできた歌をドラマのなかに位置づけ、さらにはドラマトゥルギーを意識するうえで大いに役立つ。
 加えれば、アカデミーの修了生や、日ごろ指導を受けているコーチング・ファカルティたちが助演するので、すでに場数を踏んでいる先輩たちに引っ張られ、飛躍するチャンスになる。その結果、客席に精度の高い音楽を提供できることにもなる。
 今年は3月9日19時からサントリーホール ブルーローズで開催され、モーツァルト『フィガロの結婚』、ロッシーニ『オテッロ』、そしてプッチーニ『ラ・ボエーム』から、いくつかの名場面が上演された。これから経験を積もうという歌手たちだから、思い通りには事が運ばないこともある。だが、結論を先にいえば、田口道子の演技指導も相まって、客席に一定の満足をもたらす水準に仕上がっていたのは間違いない。

2022年3月9日 サントリーホール オペラ・アカデミー オペラティック・コンサート
モーツァルト:オペラ『フィガロの結婚』第2幕 より
古藤田みゆき(ピアノ)、野田ヒロ子(ソプラノ)、増原英也(バリトン)、岡莉々香(ソプラノ)

満足度の高い『フィガロの結婚』、高水準のスザンナ
 アカデミーのエグゼクティブ・ファカルティで、このコンサートの音楽統括を務めたジュゼッペ・サッバティーニは、一つひとつの場面をていねいに指導してきた。発声やイタリア語の発音、フレーズの作り方から表情のつけ方まで、実に細かい。そのうえ、その場面がどのような気持ちで歌われるべきなのか、くどいほどに説明する。
 たとえば、『フィガロの結婚』のケルビーノのアリアであれば、彼が成長とともに女性をどう意識するようになったのか、歌い手がそういう気分を実感できるようになるまで説明をやめない。私などは、もっと手短でいいのではないかと思ってしまうが、くどいからこそ歌手に浸透するのだろう。コンサートを通じて実感させられた。
 『フィガロの結婚』は第2幕、ケルビーノの小アリア「恋とはどんなものなのか」からスザンナとケルビーノの二重唱「開けて、早く、開けて」まで。
 アドバンスト・コースに在籍する岡莉々香がスザンナを歌ったが、期待を超える歌を披露した。声が息に自然に乗せられており、高音の響きの純粋さにも特筆すべきものがあった。言葉がクリアなのでレチタティーヴォも冴え、細かな音の運びも鮮やか。こうしたスーブレット(小間使い)の役だけでは歌唱のスケールは測れないが、基礎は高い水準で積み上げられている。歌と動作がうまくからみ合っていたことにも驚いた。
 ケルビーノはアドバンスト・コースの修了生、細井暁子が破綻のない歌唱を聴かせ、アルマヴィーヴァ伯爵を増原英也、伯爵夫人を野田ヒロ子と、2人のコーチング・ファカルティが支えた。まとまりがよく、アンサンブルも充実した『フィガロの結婚』だった。

ケルビーノ:細井暁子(メゾ・ソプラノ)、スザンナ:岡莉々香(ソプラノ)

ロッシーニの難曲『オテッロ』での成果
 今回、特に注目されたのはロッシーニの『オテッロ』だろう。ロッシーニのオペラ・セリアは主に1810年代半ばから20年代にかけ、ヨーロッパで熱狂的に支持されたが、その代表作のひとつで、なかでも興奮を誘う場面と、情感豊かな場面が選ばれていた。
 しかし歌うのは難しい。私個人はこの作品が大好きで、ペーザロやミラノ・スカラ座などでも聴いているが、フローレス、クンデ、ペレチャツコという名歌手が歌っても、なかなか完璧とはいかない。それにしては、アドバンス・コースに在籍する石井基幾(オテッロ)とプリマヴェーラ・コースの頓所里樹(ロドリーゴ)、アドバンスト・コースの萩野久美子(デズデモナ)は、よく歌っていた。
 第2幕の三重唱「さあ、来るがいい、おまえの血で」は、男声2人が怒りをぶつけ合う激しい二重唱で始まる。2人のテノールがそれぞれ、小さな音符の連なりを敏捷に歌うアジリタのパッセージを勢いよく歌い、ともにハイD(レ)が求められるという難所である。ロッシーニは2人の性格をはっきり分けていて、オテッロは「バリテノーレ」と呼ばれたバリトン的な重い声質のテノールが、ロドリーゴは優美なテノールが歌うものとされていた。
 このアカデミーをバリトンとして修了後にテノールに転向した石井は、まさにバリテノーレを蘇らせたようなドラマティックな声で歌った。響きが1年前よりも明らかに豊かで、どの音域でも一定なのがいい。ハイDも余裕で、超高音の厚みも明らかに増していた。アジリタは切れ味が鋭いほどではないが、それなりにこなしていた。
 とはいえ、前日のゲネプロ(総稽古)とくらべると緊張のせいか、堅さが感じられた。その点は、まだプリマヴェーラ・コースで学んでいる頓所に顕著だった。高音はG(ソ)までしか出なかったのが、ハイDを余裕で響かせるまでに成長した頓所。声の拡大やフレージングの質感の向上など課題はありながらも、ゲネプロではアジリタのパッセージをなめらかにつないでいたが、本番では明らかに緊張のあとが見てとれた。
 だが、それも場数を踏むことでしか越えられない課題であり、硬くなってしまったのも有意義な経験だろう。今回、『オテッロ』だけ修了生やファカルティが加わらなかったため、なおさら緊張を呼ぶ条件がそろっていたように思う。緊張は萩野にも乗り移った感もあった。それでも、彼女が独り舞台で歌った第3幕の「柳の歌」は、息に乗せて自然に発せられる透明感のある声で情感豊かに歌われた。彼女の響きの純粋さには、心を打たれた人も多かったのではないだろうか。

ロッシーニ:オペラ『オテッロ』 第2幕、第3幕 より
デズデモナ:萩野久美子(ソプラノ)、オテッロ:石井基幾(テノール)、ロドリーゴ:頓所里樹(テノール)
オテッロ:石井基幾(テノール)、デズデモナ:萩野久美子(ソプラノ)

力が解き放たれた『ラ・ボエーム』
 『ラ・ボエーム』では、ロドルフォ役の石井がオテッロから一転、重厚な声をやわらかく響かせるので驚かされる。ポルタメントも美しい。ハイCも問題ないが、これがもっと優美に響くと、さらに完璧なロドルフォになるだろう。
 ミミを歌ったアドバンスト・コース修了生の迫田美帆は、すでに第一線の売れっ子ソプラノであり、貫禄の歌唱だ。抒情性を維持したうえで大劇場でもすみずみまで届くと思われる響きも、アカデミーの現役生たちによい刺激を与えるように思う。課題がないわけではない。弱音になると倍音が弱くなり、細かなビブラートにまでコントロールが行き届かない。逆にいえば、こうした課題を克服できれば、国際的にも活躍できうる逸材だと思うのだが。
 やはり第1幕は、ロドルフォもミミもゲネプロにくらべて少し硬かったように感じられたが、第3幕でファカルティの増原英也がマルチェッロ役で、続いて天羽明惠がムゼッタ役で加わると、どんどん緊張が解け、四重唱ではすべてが放たれたかのように4声が理想的に響き合った。

プッチーニ:オペラ『ラ・ボエーム』 第1幕、第3幕 より
ミミ:迫田美帆(ソプラノ)、ロドルフォ:石井基幾(テノール)

 当初は演奏会形式の予定だったが、途中から演出を加えることになったという。いまだ舞台経験がとぼしく、歌をどう作るかで手いっぱいの歌手たちにとって、それは過酷な課題だったかもしれない。
 しかし、人は無理をこなすことで大きく成長することがある。自分に課すべきではない無理もある。野球のピッチャーが投げすぎて肩を壊すのと同様、酷使して喉を壊してしまう歌手もおり、気をつける必要があるが、演技をしながら歌っても喉に影響はない。演技をしながら歌うことを通じて、舞台で歌うとはどういうことであるか、身をもって知ることができただろう。結果として客席の満足度は間違いなく上がったと思われる。
 最後に、どの曲も古藤田みゆきの絶妙のピアノ伴奏に支えられていたことを書き添えておきたい。
 こうした飛躍の舞台を経ると、彼らの歌を次に聴くのがますます楽しみになる。

古藤田みゆき(ピアノ)、増原英也(バリトン)、天羽明惠(ソプラノ)、迫田美帆(ソプラノ)、石井基幾(テノール)