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サントリーホール オペラ・アカデミー 2020/21シーズン レポート

コロナ禍のレッスン…オンライン・レッスンでも大きな成果

山田真一(音楽評論家)

ローマ在住サッバティーニによるオンライン・レッスン

エグゼクティブ・ファカルティに世界的な名テノール、ジュゼッペ・サッバティーニを迎えて行われているサントリーホール オペラ・アカデミーは、今年でちょうど満10年となった。2年を1サイクルとするアカデミーも第5期生が修了することになった。
コロナ禍での状況下、オペラ・アカデミーは昨シーズン後半同様に、「Zoom」を利用したサッバティーニによるオンライン指導と、人数を絞ってのファカルティ・レッスンで続けられ、2021年7月に第5期生の修了コンサートがブルーローズ(小ホール)で行われた。

ローマ在住サッバティーニによるオンライン・レッスン

●コロナ禍で再度オンライン・レッスン
コロナ禍で最も利用されるコミュニケーション・ツールになったZoomは、今さら説明もいらないかもしれないが、インターネット回線を利用してパソコンやタブレット、スマートフォン等で、人が世界中で対面できるアプリだ。同じ機能のアプリは数多いが、開設、設定の簡単さと、多人数でも回線が安定していることからコロナ禍で大幅に利用者が増えた。
とはいえパソコンを自分でセッティングしていないとわからない事もあり、その点で60代のサッバティーニがパソコン利用に慣れていたことは、オペラ・アカデミーにとって幸運だった。 サッバティーニのデジタルリテラシーの高さは大きな助けで、自宅からZoomを使いこなせてこそ、毎月継続して国際オンライン・レッスンが可能になった。
本来、オンライン会議用に開発されたZoomだが、想像以上に音の伝達能力が高いことは昨シーズン証明ずみ(昨年のレポートを参照)。もちろん欠点はいくつかあるが、そのことを考慮して利用することで、昨年よりもさらに効果的なオンライン・レッスンが行われた。
レッスン形式は昨年同様、サッバティーニは自宅から、アカデミー側はリハーサル室で行うというもの。昨年は、リハーサル室の受講生正面にタブレットPCが設置されたことから、画面の中のサッバティーニに意識を向けてしまい、リハーサル室に音を響かせることを忘れてしまうなどの戸惑いがあったり、マイクに乗る声と乗らない声があるなどの違和感があったが、2年目の今シーズンはそうした問題にも慣れレッスンに打ちこめたようだ。

リハーサル室でのオンライン・レッスンの様子
後方でアカデミー生が聴講

●2年目のレッスン風景 1. プリマヴェーラ・コース
サッバティーニがZoomの画面越しにいる、という点を除けば、レッスンの進め方は例年どおりだった。例えば、曲を歌う前に発声練習を行うこともあるが、サッバティーニのコメントはこの時点から始まる。なぜなら、何となくウォーミングアップすればよいのではなく、曲を見越しての発声の準備、声のコントロールの準備をせよ、というのがサッバティーニの指摘だ。そのため、曲が終わっても「もっと発声練習を」という指摘もあった。
プリマヴェーラの2年目は、歌詞の内容に踏み込んだ指導になるが、それでも取り敢えず全曲を一回流す、 ということはしない。サッバティーニの指導は容赦なく1小節目から入る。発声同様、イタリア語発音も少しでも違うとすぐ止めて指導が入る。もっともサッバティーニ本人が発音を示してくれるのは、これ以上にない貴重な機会だ。受講生が飲み込めていない時はリハーサル室のファカルティが実際に歌って明示することも増えた。これはやはりオンライン・レッスンの欠点を補うもので、受講生には助けになっていたようだ。
同じプリマヴェーラでも第4期から継続の受講生は、基本的なことは学習済みなので、やはりレッスンはスムーズになる。筆者が聞いていても、初参加組との違いは明確で、前回よりも遥かに良くなっている。しかし、そんな継続の受講生にも、発声、発音で少しでも問題があれば、すぐに指導が入る。もっともその内容はやはり初参加の頃とは違う。
例えば、ある受講生は高音の出し方に苦労していたが(出ないということではなく、中音域と同じ質の声を出せない)、そのための音の作り方のコツを細かくサッバティーニは指導する。すると確かに1時間後にはかなり出るようになるのだから、ちょっとしたマジックだ。
とはいえ鬼コーチ(?)的側面は今シーズンも変わらず、その場でできるまで繰り返しやらせるのは、受講生は「有り難い」とはいうものの、精神的にはタフなようだ。時には、ダメな例をサッバティーニはデフォルメ気味に強く示すが、Zoom越しでもわかるように、いつも以上にデフォルメに力が入っていた感じであった。
声の色彩もしっかりしていて、プリマヴェーラを継続する必要はないのではという受講生もいるが、サッバティーニの指導を見ていると、なるほど技巧ではまだ勉強が必要とわかる部分も見えてくる。参加するのは本人の意思なので、そうした課題を本人も克服したいと思っての参加だろう。

●2年目のレッスン風景 2. アドバンスト・コース
アドバンスト生は、さすがに発声練習ではほとんどコメントなし。しかし、イタリア語の発音となると容赦ない。レッスンを通して一音、一音、発音に間違えあれば即座に止めて直させる。アドバンスト生はイタリア語でコミュニケーションも取れることが多いが、その会話での発音にも指導が入る。
アドバンスト・レッスンでは、アリアの背景にまで踏み込んで理解しているか、サッバティーニと受講生と間でやり取りがなされるが、そのスタイルはオンラインでも同じだ。
今年のアドバンスト生には、『ラ・トラヴィアータ』、『ラ・ボエーム』など誰もが知る著名オペラの歌が選択されたが、そのような曲でもサッバティーニは知っている筈だという前提とは逆に、一から説明していく。受講生にその反応を尋ねると、「知っているつもりの曲でも、理解の水準が違っていた」ということだ。
特に歌のコンテクストについての質問に、受講生が即座に答えられることはなかなかない。その深さはほとんど一人芝居の水準といって良いほど細かい。歌の中の人物の感情を深く理解していなければならないものだ。単に歌詞を理解するのではなく、「役」になりきらねばならない。オペラが設定したコンテクストの中で、その役をどう演じるか、それが問われているというのがサッバティーニの指導だ。
そのことを理解した受講生は、レッスン中に表情から役に入っていき、いつのまにか舞台で演じているような表情に変化していく。それがZoom越しでもよくわかった。
もっともベッリーニは、歌そのものがやはり難しいので、技術指導に多くの時間が割かれる。
「グリッサンドではなくポルタメント!」、「楽譜を確認しなさい!」、「強弱記号を正しく」
そうした指導がすぐに入る。ゆったりとした曲でも、だからこそのテンポの取り方、そして、心情表現、それに表情の付け方など…しかし、受講生があれこれ注意を払っていると、時には音程が不安定になる。すると今度は即座に音程への指導。
「遅いテンポに飲み込まれて、音が不安定になる」
単なる間違いの指摘でないのはやはりサッバティーニ一流のもの。そして難しい曲には、彼も時間オーバーなど気にせずに、一つの説明に20分も続けるという熱いレッスンが今回も見られた。

●Zoomレッスンの長所と短所
昨シーズンとは異なりこの1年はすべてオンライン・レッスンとなったが、2年目ということで1年目の技術的な問題点はどのように解決されたのだろうかというのが筆者の関心の一つだった。
ところが、筆者のアクセス時も、また受講生などからの話でも、機械的な接続に係わる技術的な点は昨年とそれほど変わらなかったというのが印象だ。Zoomというアプリそのものが、セッティングの簡易性が売り物で、しかも本来は会議ツールという性格上、音楽的に問題点を解決できる余地は少なかったようだ。
昨年受講生から指摘のあった、リアルタイムでのコミュニケーションのズレ(返事の有無なども含め)、通信の断絶、画面フリーズというのはやはり起きるときには起こる。しかし、その原因は様々で現場では制御できないこともある。コロナ禍でZoomが世界的に広く使われるようになり、インターネットそのものの使用頻度もあがったため、今年のほうがタイミングによっては回線の流れが悪くなった感じもした(アクセス数の多いスポーツ・イベント等では実際に問題が起きている)。
だが、2年目ということで、サッバティーニも受講生も、それを補う術を心得て、レッスンそのものはスムーズに行われたようで、成長の大きさはレッスン中でも、はっきりと感じ取ることができた。
Zoom利用で、第三者でもすぐにわかる欠点だった、声が大きくなるとアプリ側で音をカットして逆相的に小さくなってしまうことや、響きが少ない歌い方の方がマイクにのりやすい、というような技術的な問題も予め理解していれば、実際にはこのように歌っているという前提でレッスンができたようだ。
対して、受講生が異口同音に指摘した恩恵とは、「一人あたりのレッスンの回数が大幅に増えた」ことだった。従来、年3回サッバティーニが来日した折に集中レッスンを行い、それ以外ではファカルティ・レッスンを行うというのが本アカデミーだった。しかし、オンラインでサッバティーニが自宅から行えるということもあり、毎月継続してサッバティーニのレッスンがされたことで、レッスン内容への理解が速くなり、進歩も大きかったということだ。また、並行して日本人ファカルティがオンラインで情報を共有できることもあり、その点の効果も大きかったようだ。
マイクを通してしか伝えられないという欠点も、逆に発音の甘さや、発声時の身体の使い方の問題点が客観的に受講生にはわかって良かった、という声もあった。緊張したレッスン中の雰囲気をファカルティと受講生がすべて共有はできないが、その場にいないことで逆に冷静に物事を見ることができたようだ。とはいえ、回数も増えたサッバティーニのレッスンに、「今回はお休みにならないかな」と祈ってしまう気持ちもあったというので、サッバティーニの指導は文字通り海を越えて強烈だったことがうかがえた。
また、Zoomには録画機能も備わっており、受講生は自分の歌を録画して復習できたことも、「音の録音だけよりも情報量が多く、新鮮で、非常に大きな助け」になったと異口同音に話していた。

●2年目のレッスン風景 3. ピアノ・コース
サントリーホール オペラ・アカデミーにはピアノ伴奏の受講生もいる。そこで、今回のようにオンライン・レッスンではどのように指導が行われたのか紹介したい。
筆者がZoomでのレッスンを初めて自宅から聴いた時には、歌よりもピアノのほうが条件が悪いような印象を受けた。筆者が自宅でZoomを利用する時はCDやオーディオ製品の試聴テストでも使用するマルチチャンネルの大型スピーカーから音を出しているが、歌よりもピアノのほうが“音”の情報がかなり抜け落ちているように聞こえていた。また、オンラインに付きものの端末間のズレは、歌よりも修正が難しいと感じていたためだ。
ところが、受講生からの感想は、「オンラインでも、音色や息遣い、発音での多彩な表現方法に関する指導は、十分に理解できた」というものだった。確かに、端末間のズレは生じるが、慣れればそれを読み込んで弾けば対応できたということで、受講生の能力の高さもさることながら、Zoomだから勉強で不利になることはなかったようだ。
ピアノの情報量に関しては、演奏をしているリハーサル室の優れた音響システムをもってしてもやはり十分とは言えないというのが受講生の感想で、場の空気、歌い手の呼吸などの細かい部分の共有は、サッバティーニとの間では難しかったという。
だが、それ以上に「音として出てきた結果より、音を出す前の音楽のイメージや呼吸の仕方」、「実技だけでなく精神面での勉強の仕方、課題の克服の仕方、深めていくプロセスなどをマエストロから直接教えて貰えたことが大きな糧になった」ということで、「オンラインを介してもマエストロのいう繊細で多彩な表現が伝わり、真に上質な音楽の本質を実感できた」という。修了コンサートを聴いて、2年間の成長ぶりは確かに大きいと筆者にも感じられた。
また、オンライン・レッスンの回数が多かったことで、ピアノだけで弾く機会も多く、良いアドバイスをもらえたということだった。

●アカデミー・レッスン全体
受講生からの生の声をきいて改めて重要だと感じたのは、「シレーネ」という発声方法だ。当アカデミーに入るまで受講生たちは、同じような発声指導を受けた経験がなく、一様に驚き、中には大学での指導方法と異なることから困惑する例も毎シーズンある。しかし、これは単に、異なる発声方法の一つではなく、より良い声を出すための“鍵”となるものだ。
「シレーネを学んだことで、参加した時よりも、声が安定し、細い声のまま歌ってしまうことがなくなりました。これまでは、一時間もすれば、声がなくなる、という状態になってしまい、それがレッスン終了の合図になっていましたが、シレーネを使うと、声を涸らすことなく長く歌えるようになり、長いレッスンも問題なくなりました」
というのは当アカデミーのレッスンの本質だろう。サッバティーニのレッスンでは、普段でも一時間越えも珍しくないが、それこそオペラは2時間、3時間の長丁場だ。プロとして大劇場、大ホールでオペラを歌えるだけの声をつくる、という実践的な目標には、やはりシレーネは基礎中の基礎になっている。
また、今期から語学指導のファカルティが加わった恩恵も大きかったという。
「単に訳すとかではなく、言葉の深堀りをしてくれるので、確信をもって歌えるようになった」、「日本にいながら“イタリア的”な感覚を身につけられた」という声がきかれた。

「オペラ・アカデミー修了コンサート」より(2021年7月)

●アカデミー修了コンサート
第5回目の「サントリーホール オペラ・アカデミー修了コンサート」は、コロナ禍のために例年より少しずれこんで、7月13日にブルーローズ(小ホール)で行われた。
今回の出演者はプリマヴェーラ・コース第5期生7名(うちピアノ1名)、アドバンスト・コース第4期生2名となった。少数精鋭となった今回だが、それだけにプログラムは例年より凝ったもので、一人ひとりの持ち歌を披露するだけにとどまらず、例えばアカデミー・コンサートの定番のトスティでは、『アマランタの4つの歌』を4人で分担して歌うといった趣向もあった。プリマヴェーラが披露した歌はそのほか、プッチーニ、ロッシーニ、ベッリーニ、ザンドナーイ、チレーアというイタリアを代表するオペラ作曲家が並んだ。
一方、アドバンスト生は、レオンカヴァッロ『道化師』、ベッリーニ『夢遊病の女』のアリアの他、プリマヴェーラの継続受講生を加え、ヴェルディ『ラ・トラヴィアータ』第3幕、プッチーニ『ラ・ボエーム』第1幕の一場面をそのまま歌うといった、これまでにない趣向もあった。それだけに、今回の修了コンサートは、いつも以上にオペラを堪能できるプログラムで、コロナ禍の中、“生の歌”を渇望して来場した聴衆を飽きさせないものとなった。
プログラムの流れは昨年同様、サッバティーニが会場から指導することも、全員参加のアンコールもない形になったが、コロナ禍にも係わらず大きな成長を見せた受講生たちに大きな拍手が送られた。

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