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チェンバーミュージック・ガーデン
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【連載コラム ④】 サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2021

小菅 優プロデュース
武満 徹「愛・希望・祈り」~戦争の歴史を振り返って~

小菅 優 (ピアノ)

武満徹の数々の素晴らしい室内楽作品から、今回2公演では異なる年代に書かれたソロ、デュオ、トリオ、カルテットのための作品を1曲ずつ取り上げます。
(連載コラムは全6回を予定)

④ 武満 徹のピアノ付き室内楽作品

◆クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための「カトレーンII」 (1976~77)
まず前回のクラリネット奏者・吉田誠さんとの対談に続き、メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」と同じ珍しい編成で書かれた武満徹の「カトレーンII」の話をお伝えしたいと思います。その話をするとき、「カトレーン」の作曲を依頼したタッシ(Tashi)の話をせざるを得ません。タッシは、ピータ―・ゼルキン(ピアノ)、リチャード・ストルツマン(クラリネット)、フレッド・シェリー(チェロ)、アイダ・カヴァフィアン(ヴァイオリン)からなるアメリカのアンサンブルで、メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」を200回ほど演奏した他、この編成での新作の委嘱などを積極的に行い、そのメンバーは武満と友情を深めていました。

武満が敬愛していたピアニスト、ピーター・ゼルキンの演奏には、私も一生忘れがたいといっても大げさではないほどの衝撃を受けました。小学生のときに聴いた武満のピアノ作品のレコーディングをはじめ、バルトークのピアノ協奏曲第3番をライヴで聴いたとき、その2楽章の森にいるような神秘が彼の手にはまるとピアノという次元を超え、本当にその匂いと緑に囲まれているような別世界に連れていかれるような感覚がありました。それぞれのハーモニーに絶妙に変化する色彩があり、その色彩には透明感に溢れる繊細さがありました。
その演奏は10年前にサイトウ・キネン・フェスティバル松本(現 セイジ・オザワ 松本フェスティバル)で聴いたのですが、私はそのとき室内楽の公演で参加しておりました。練習室でシェーンベルクの協奏曲を練習していると、ノックがあり返事をしました。すると、「何故この曲を練習しているの?」とピーター・ゼルキンが入ってきました。驚きましたが、楽譜のミスプリントなど教えてくださるなどとても気さくに話してくださり、それは忘れられない思い出です。
残念ながら昨年亡くなってしまいましたが、彼の演奏をライヴで聴けたことは一生の宝です。武満のピアノ作品の楽譜を見ると、彼の特別な音色がそこから聞こえてくる気がします。

©Marco Borggreve
小菅 優
2005年カーネギーホールで、翌06年にはザルツブルク音楽祭でそれぞれリサイタル・デビュー。デュトワ、小澤らの指揮でベルリン響などと共演。10年ザルツブルク音楽祭にポゴレリッチの代役として出演。現在はベートーヴェンの様々なピアノ付き作品を取り上げる新企画「ベートーヴェン詣」に取り組む。17年第48回サントリー音楽賞受賞。16年ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集完結記念ボックスセットをリリース。17年から4年にわたり、4つの元素「水・火・風・大地」をテーマにしたリサイタル・シリーズ「Four Elements」を開催し好評を博した。

リチャード・ストルツマンは、2017年にチェンバーミュージック・ガーデンでヴィオリストの磯村和英氏とブルッフのトリオとブラームスのクラリネット・ソナタを共演させていただきました。言葉で表すのは難しいほど、音楽とはこういうものだと証明されたような、常に心に突き刺さるような深みを感じ、演奏後に感動が止まなかったことを覚えています。グルーヴ感や自由な表現力、音楽の本質について、本当に勉強になりました。

こうして私が刺激を受けさせていただいた巨匠たちが初演した「カトレーンII」を今回演奏させていただくことは、本当に光栄です。

「カトレーン」はもともとタッシと小澤征爾氏を念願において書かれた、この編成の四重奏とオーケストラの作品です。今回演奏する「カトレーンII」はその室内楽版ですが、オーケストラ版のリダクションではなく、別個の作品として1976~77年にかけて作曲されました。タッシからこの依頼があった後、武満はニューヨークでメシアンに「世の終わりのための四重奏曲」のアナリーゼのレッスンを受け、その経験が作曲の「強い内的契機となった」と書いています。同時に、「タッシというグループの性格が、音楽性と彼らの人格を含めて色濃く反映されている」そうです。
カトレーン(Quatrain)はフランス語で四行句という意味で、この作品でも音程と構成などにおいて「4」という数字が支配しています。4小節のクラリネットとピアノが奏でるテーマの周りをヴァイオリンとチェロがグリッサンドで舞うと、その後の4小節ではその二つの要素が混ざります。そしてユニゾンで4人が訴える副主題があり、それぞれは変奏、というか武満によると「日本の伝統的な絵巻の様式」に近く、各シーンは独立しながらも滲みあいます。
そしてやはりここにも時間というものを感じます。ふわ~っと速い音型で響き渡るパッセージが、後で鏡のように音が逆の配列で「戻される」と、まるでそれは過去に一瞬のうちに引き戻されたようで、過去、現在、未来が共存しているような感覚があります。それはメシアンとはまた違う永遠を表しているような、不思議な感覚です。

◆チェロとピアノのための「オリオン」 (1984)
「カトレーン」では4でしたが、「オリオン」では3という数字が支配しています。
メリスマ的な旋律がチェロに奏でられ、「オリオン三星に象徴される明確な線に形成されていくまでのプロセス」(武満)が描かれていますが、ピアノパートのドのオクターヴで響くオスティナートが限りなく広い宇宙を表しているようで、何だか毎日直面している問題が些細なことに感じ、人間が極めて小さく感じるような、そんな大きな世界が見えてくる作品です。堤剛先生の演奏で初めてこの作品を聴いたとき、エネルギーにみなぎる神がかった世界を感じ、想像力が掻き立てられました。

リチャード・ストルツマン(クラリネット)、磯村和英(ヴィオラ)と共演/チェンバーミュージック・ガーデン2017

◆ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための「ビトゥイーン・タイズ」 (1993)
「オリオン」のミステリアスな世界に比べ、「ビトゥイーン・タイズ」を聴いているとなんだか初めて見た広大な海の景色を思い出すような、懐かしい気持ちになります。タイズ(Tides)は「海の波を暗示すると同時に、季節を意味するものとして、きわめて、多義的なものとして捉えられている。」と武満は書いています。そして、「古い日本の庭園が、その全体で、宇宙を暗示したり、海の暗瞼(メタファ)であったりするように、この曲の(音楽的庭園の)なかに配置された音楽的客体(オブジェ)は、ちょうど、日本の古い庭に按配された、石や植物や水のように、庭内を散策する人間(ひと)の視点の変化によって少しずつその姿を変える。」とあるように、メシアンを感じるようなハーモニーもあるなか、日本の伝統と自然の齎すものも感じる、五感を刺激される作品だと思います。

◆ピアノのための「2つのメロディ」より「アンダンテ」 (1948)
2つのメロディより「アンダンテ」は、武満徹が弱冠17歳のときの未出版の作品です。2楽章構成の予定だったらしく、自筆譜の初めには2つとも「アンダンテ」という指示が書いてありますが、1楽章しか残っていない未完の作品です。独学で作曲を試み、音楽に夢中になっている純粋な青年の姿を感じるような作品ですが、オスティナートの使い方、繊細な指示に溢れる自筆譜は、のちの作品を垣間見せているように感じます。何ともいえない切なさを漂わせ、この初期の作品に心が動かされます。


最近、武満が音楽を書いている映画をよく見ています。ここまで様々なスタイルの音楽を書き、映像と一体化してそれぞれの深い内容を支えている音楽に感動が止みません。
たとえば4つのお話からなる「怪談」(1965年、小林正樹監督)より「耳なし芳一」の琵琶の音楽は伝統的かつモダンで、平家の亡霊の前で芳一が琵琶と一心同体で演奏するクライマックスのシーンは、何回見て聴いてもその音楽の迫力に圧倒されます。

武満徹のような文学、絵画、映画と広い分野にわたって深い知識と哲学をもつ素晴らしい芸術家を尊敬できることを、日本人としてだけではなく、人間としてこのうえなく嬉しく思います。
(連載第5回につづく)

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