アーティスト・インタビュー

チェンバーミュージック・ガーデン
特集ページへ

【連載コラム ③】 サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2021

小菅 優プロデュース
武満 徹「愛・希望・祈り」~戦争の歴史を振り返って~

小菅 優 (ピアノ)

前回のメシアンの『世の終わりのための四重奏曲』の初演のお話に続き、彼の音楽から感じることや、芸術に対しての想いを、
共演するクラリネット奏者の吉田誠さんが熱く語ってくれました。(連載コラムは全6回を予定)

③ メシアンの 『世の終わりのための四重奏曲』 に気づかせられるもの
 吉田 誠(クラリネット) × 小菅 優(ピアノ)

◆私たちの経験していない戦争
小菅 この二つの公演のプログラムは戦争が重要なテーマだけど、誠くんに教えてもらったアメリカのクラリネット奏者レベッカ・リシンの本「時の終わりへ メシアン・カルテットの物語」を読んで、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ捕虜収容所でメシアンが書いた作品の背景と初演者4人の友情の話にすごく感動した。戦争って私達は経験していないけれど、話はきいてきた。誠くんは戦争について今までどういう話をきいた?

吉田 祖父母からB29が火炎弾を落とした話とか、家の財産をもっていかれてしまう話とかきいたけれど、何よりも母親がアウシュビッツの収容所の本を持っていて、子供のときによくきかせられたのを僕はよく覚えている。写真も絵もあってリアルだった。そういう話や本を通じて戦争がいかに悲惨な事かを何回もきかせられた・・・あと、僕の故郷の兵庫県では修学旅行は必ず広島に行く。行く前に勉強して、原爆ドームとか原爆資料館にいった。僕たちは戦争の体験はしてないけど、その歴史を知ることは大事だよね。

小菅 遠い昔のようで、でも意外と身近で近い過去の話なんだよね。私も空襲を4回経験した祖母から、どんな残酷なことで、今でも忘れられないか、ということをよくきかされた。
あとドイツでは、小学校6年生のとき、みっちりナチス・ドイツのこと半年ぐらい勉強させられた。ドキュメンタリーとかで死体の山とか見せられて、普段やかましい私たち子供もそのときは絶句したのを覚えてる。こういうことは二度と起こってはいけない、とちゃんと教育してるのはいいことだと思う。

◆音楽の役目
小菅 そういう戦争のような危機が起きたとき、音楽ってどういう役目を果たしてると思う?コロナ禍はまた全然違うけど、危機は感じる。そんな中、私たちは何ができるのか。

吉田 まず「音楽」というか、どちらかというと「芸術のもつ力」というのがピンとくるね。クラシック演奏家として芸術作品と接しているわけだし、ただ音があればいい、というのと違って、芸術を残していく責任があるということ。今回のメシアンの作品にしても、芸術作品という強いものが形として残って、それが演奏家によって継承されていく・・・今のような状況でこのような芸術作品を取り上げる、という意義があると思う。このような強烈なメッセージがある作品を演奏して、それに接した人がどう感じるか。音楽を聴いてくださる人達に、どうやって生きていこう、とか、思ったり、感じたりして、曲の背景や哲学を考えてもらうって大事だと思う。音を通して人に元気を与えようとか、そういう意思はないし、それとは違うよね。

小菅 メシアンの『世の終わりのための四重奏曲』の初演でも、全く音楽と縁のない人もいて、さまざまな国の人達が一緒に聴いた。聴いて楽しい、とか元気をもらう、とかそういう問題じゃなくて、後に残っているんだよね、それぞれの心に。究極なところで感じる、ということが後にも繋がると思う。そうやって私達の世代にも繋がっている。

©Ryuya Amao
東京のライブ・レストラン『コットンクラブ』でのデュオ・リサイタル(2020年12月)
©Aurélien Tranchet
吉田 誠
5歳からピアノを、15歳からクラリネットを、22歳から小澤征爾、湯浅勇治のもとで指揮を学ぶ。東京藝術大学入学後、渡仏。文化庁海外新進芸術家派遣員として、パリ国立高等音楽院、ジュネーヴ国立高等音楽院で学んだ。2020年11月、ソニーミュージックから小菅優とのデュオによる『ブラームス:クラリネット・ソナタ、シューマン:幻想小曲集ほか』を世界リリース。国内外のオーケストラ、音楽祭にソリストとして招かれ、日欧でリサイタル、室内楽公演を重ねている。パリと東京に在住。

◆メシアンとクラリネット、第3曲「鳥たちの深淵」
小菅 メシアンはクラリネットを好きだったんだよね?彼は鳥類学に熱心だったから鳥の鳴き声を一番よくイミテートできる楽器だと思ったからかなあ?

吉田 まず、アコカ(四重奏曲の初演者)との出会いは今まで以上にクラリネットを好きになる大きな理由だったと思うよ。鳥の鳴き声に関しては、そもそもリード楽器の起源が関係していると言えると思う。つまり、楽器の先端についている発音体は、狩りで鳥の鳴き声を発するのに使われたものが進化して、リード楽器となっていったわけだから、それは鳥の喉に近い発声体なのかもしれない。そういうことをメシアンが自然と感じてたのかもしれないね。

小菅 この初演者のアコカの楽器って、どんな音がしていたの?

吉田 リシンの本で見た限り、今はきかないメーカーの楽器を使用していたみたいだね。メタリックな音だったって本にも書いてあるし、通常より厚いリードをつけていたらしい。昔のフランスの管楽器の録音とか聴くと、メタリックで、ジー、ビーン!という音がする。きっとそれに近い音のエッセンスがあったんじゃないかなぁ。

小菅 メシアンがすごい強弱の変化を求めたのは、クラリネットだからこそ求めたの?

吉田 だと思う。それがクラリネットの得意な表現法だと知っていただろうし。さらにアコカがメシアンに楽器の可能性を見せたりしていたんだろうね。

小菅 この第3曲の「鳥たちの深淵」にはどんなものを感じる?鳥の鳴き声以上に。

吉田 メシアンは兵隊で見張りに行くときにパスキエを連れて早朝に鳥の鳴き声をきかせた、とあるよね。そういう風景や情景がこの曲にあると思う。朝日が昇る前の暗さ、本当に真っ暗なところから光が射してきて、鳥がちゅんちゅんと鳴きながら現れる。この曲の真ん中に鳥のシーンがあり、その前後が深淵の部分。鳥が鳴き始める前、つまり朝日が昇る前の暗闇と、そしてその暗闇に光が射し、眠っていた鳥たちが目覚め、活動し始める。この二つの対極的な世界観をこの曲では表現したいと思っているよ。

◆メシアンの色彩
小菅 ヨハネの黙示録を読んで、理解するのは難しく感じるけど、メシアンは子供の頃にこの色彩感に惹かれたんだよね。聖書は、私も子供版を小さい頃読んで好きだったんだけど、何かメルヘンみたいで想像力を掻き立てるところがある。虹とか、神様が出てきて・・・でもすごい残酷なところもいっぱいあるよね。それも含めて大人になって音楽にしたんだろう、と思う。
メシアンにとって色彩はすごく重要だけど、彼の独自の色彩というのは、他の作曲家と比べてどう違うと思う?

吉田 他の作曲家の作品から見える色よりもっと原色に近い。色がはっきりと見えてくる。絵画で例えると、絶対モネとかじゃないよね。

小菅 メシアンが好きだったとされているロベール・ドローネー(1885-1941)や、シャルル・ブラン=ガッティ(1890-1966)の絵でも、何か子供の絵本みたいに色とりどりな感じするよね。そういう色や光を想像していたのが音楽からもわかる・・・煌びやかな、まぶしいぐらいの色彩が彼の音楽から出てくる。そういう色彩を表すことによって、永遠が見えたり、この世界じゃなくて違う世界が見えたりするんじゃないかなあ。

吉田 光と色の関係って繋がってるよね。実際の自然界での現象を見ても虹が出来る為には、空気中に光がないと出てこない。
この曲の冒頭のメシアン自身の注釈でも、何度も虹について触れているよね。虹の構成色はメシアンの色彩を考える際、大事な要素だと僕は思う。虹をみる為に必要なのは光だけど、さっき話した「鳥たちの深淵」の中間部に、強烈に長いミの音で強烈に長いクレッシェンドをして鳥の世界に導く箇所がある。クレッシェンドが終わったときに、真っ白な、あまりにもまぶしくて目で見れないような光を感じる。あれは白。強烈な光の白。それと深淵の部分の、音列で昇っていくところは、その都度決められた音列と、そのハーモニーそれぞれに虹の構成色を感じる。光と虹の関係、光から生まれる「色彩」の世界が見えるなぁ。

堤 剛と小菅 優の共演(CMGオンライン 2020)

◆メシアンのリズム、時間、信仰
小菅 メシアンの作品には、時間というものの大切さを感じるよね。「時」が時間という意味であると同時に、世界の終わりという意味もある。それはリズムでも表しているよね。「第6曲 七つのらっぱのための狂乱の踊り」では、鏡になっているインドのリズムとかがユニゾンで強烈に繰り広げられる。

吉田 時間を考える上で、「信仰」と「永遠」がテーマだね。この曲のリズムには一秒一秒、まるで人間の心臓が鼓動をうっているようなきざみかたがある。鼓動が一回打つたびに、刻々と時が過ぎていく。それと対照的なのが「永遠」という時間の概念。自然にそれを芸術にしているのがメシアンだね。

小菅 輪廻だよね。第5曲の「イエスの永遠性への賛歌」は6台のオンド・マルトノのための「美しき水の祭典 第4番」(1937)、第8曲の「イエスの不滅性への賛歌」はオルガンのための「二枚折絵 地上の生命と至福の永遠性に関する試論」(1930)、と元になっている作品があるけど、聴き比べると、「イエスの不滅性への賛歌」はまず永遠を表すホ長調に移しているし、両方とも元の曲では伴奏となるハーモニーが刻んでいない。このカルテットの一環に変えてピアノが一定のリズムを刻むことによって、より永遠の流れを表したかったんじゃないかなあ。鼓動があるよね。

吉田 メシアンは辛い状況を越えてでも信ずることができる信仰、辛さを忘れるほどの信仰があったってパスキエが言っているよね。

小菅 捕らえられていても、僕は音楽のお蔭で「自由」になれたって言っているもんね。アコカは、ユダヤ人ということも理由にあっただろうけど、何度も脱走しようとしたけど、メシアンは「私がここにいるのも神の望みだ」といって、収容所にとどまった。

吉田 本当に音楽と、神を信じていたんだろうね。収容所でよりそこに没頭したのではないか。聖書に向き合う時間、スコアを見る時間、自分の幻想の中に入る時間が大切だったんだと思う。

キュッヒル・クァルテットと吉田 誠の共演(チェンバーミュージック・ガーデン 2018)

◆自然、これからの時代
小菅 毎日鳥の鳴き声も聴いて・・・音楽の中にも自然に聞こえてくるような音が入っているということは、日常で常に音楽を感じているということだと思う。機械の音じゃなくて、自然の。自然の音も私たちにとってすごい必要なものだと思う。それがあったからこそメシアンもそういう幻想の世界に入れたんじゃないかなあ。幻想の世界、自然の世界って大事だよね。私たちにとっても。

吉田 本当にそうだよね。というかコロナの問題も、環境破壊が原因かもしれないとか、また普段の日常でもサステナビリティ(持続可能性)の話、地球が退化するとか資源が尽き滅びてきているとか、とにかく一日に何回もこの問題を聞くようになった。地球に、自然に人間がいよいよ真正面から向き合っていかないといけない時代に突入した。もっと深刻に。
芸術の世界でも、これからの時代、向き合い方が変わってくると思う。今までは、精神的に芸術的によりレベルの高い崇高な「何か」を求めてきた・・・たとえば、どんなにお金と時間を投資をしてでもいい商品や作品を作れ、という言葉を今までよく耳にしてきた。
これからはそういうことができなくなるよね。常に地球を守ることを考えながら、何かを生んでいく時代なんじゃないかなあ。「いいもの」の種類が今までと違う。今回のコロナでよりそれを感じた。

小菅 音楽家としては何ができると思う?

吉田 実際に起きている危機を心で切実に受け止めて、いつも地球のことを思ってないといけないと思う。

小菅 そういう意識を人に伝える役目は私達にもあるかもね。

吉田 自然のことをぼくら演奏家も考えないといけないし、普段から感じていれば、そういう思想が音に出ると思う。

小菅 武満徹は自然のことをすごく考えていた人だよね。

吉田 そうだね。そこをなんでどうにかしないんだ、と明言している人だしね。今回コロナ禍で特にそういう言葉が必要かもしれない。自然を考えるって意味で、彼の言葉には今最も必要なパワーがあるよね。

◆武満 徹
小菅 今回メシアンの前に武満のカトレーンを演奏するけど、メシアンのインスピレーションを感じる作品だよね。

吉田 実際にこの『世の終わりのための四重奏曲』のアナリーゼのレッスンを受けているんだよね。その後にカトレーンを書いている。同じ音型も出てくるし。

小菅 誠くんは何回もこのコンビネーションで弾いているんだよね。この二曲続けて弾いてみてどうだった?

吉田 難しいね。本当にそれぞれ独自の精神、世界観がある。二つの作品が強烈にコネクトするところは、あ、この音型だな、とかそういうのはあるんだけど、でもやはりメシアンと武満は違う人だなっていう感覚がある。

小菅 伝統が違うから?

吉田 違う描写だと思う。武満は自然の表現とか、日本的な自然を感じるし、描写的なもの、風景を感じる。本当に水を描いていくような感じ。

小菅 メシアンの色彩って、この世の景色じゃないよね。武満の方が地についたような。

吉田 うん、でもそれはひょっとしたら僕が日本人だからかもしれない。

小菅 アットホームに感じるところあるよね。

吉田 そう、日本の原風景が出てきたり、山とか湖とか、ちょっと神道みたいな

小菅 色、景色違うもんね

吉田 メシアンはパルスがある、武満は無、行間があるというか

小菅 あと、間(ま)!日本の間、常に感じる。

吉田 すごく違うものだよね

小菅 そういう意味でも今回のプログラムは面白いね。私たち日本人が日本人として感じるものもありながら、西洋のものも感じる。

吉田 メシアンからインスピレーションを得て、それでいて全く違う作品ができているのが感動的。

チェンバーミュージック・ガーデン 2016より

◆クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノという編成
小菅 編成についてはどう思う?クラリネットが弦楽器とピアノと弾くこと。なかなかないミックスの編成だよね。

吉田 ある意味、管楽器と弦楽器とは全然違うのに、そういうことを忘れさせられるのがすごい。

小菅 そういう楽器がどうのっていうことを忘れさせられるよね。音楽だ!というか。

吉田 そういう意味でシンフォニー的ではないんだよね。シンフォニーだと、はい、管楽器、ここはフルートやオーボエが適してます、となるけど、今回の作品群はそういうものじゃない。
アコカのメタリックなクラリネットの音の話に戻ると、現代で言われる美しいクラリネットの音とは違う。弦楽器の音に少し入っている金属的な音かもしれない。そういう音色をもっていたからこそ、こういう作品ができたんだと言えると思う。

小菅 弦楽器にも弓がなくなるかと思うぐらいゆっくりなテンポの指示があったり、その楽器にも楽器の限界を突き止めさせる、みたいなところが両方の作品にあるよね。楽器を超越した世界がそこにはある。

◆室内楽を通して感じること
小菅 今回のように皆で集まって室内楽を演奏することによって、メシアンが友人たちと感じたことも反映させられるのかな・・と思うんだけど、この曲を通して、より人間性みたいなものを感じるよね。

吉田 室内楽って、ものの見方、一つのことを色んな面から考えることを学ぶ。同じ曲を共有して、どういう風に相手が見てるかっていうのを音の会話を通してわかる。

小菅 一人一人が自分のやりたいことをぶつける・・・

吉田 相手がどうこの芸術作品を見ているかっていうのが、本番を通して伝わってくると、より作品の深いところが見えてくる・・・さらに、それが感動的なものだったら、しばらく心の中に残って、「あれはなんだったんだろう」と感じる。それで共演者に新たな質問が生まれてきて、その答えをきいたときに新しい発見と気づきがある。室内楽で相手から得るものってそういうことだと思う。

小菅 今だからこそ、そういう人間のふれあいで生まれるインスピレーションは、私たちにとって欠かせないよね。
(連載第4回につづく)

サントリーホール ブルーローズ(小ホール)

チェンバーミュージック・ガーデン
特集ページへ