【連載コラム ②】 サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2021
小菅 優プロデュース
武満 徹「愛・希望・祈り」~戦争の歴史を振り返って~
没後25年を迎える武満徹の室内楽と、戦時中に書かれた作品を組み合わせて6月15日・17日にお届けする小菅優プロデュース公演。
ピアニスト・小菅優自身が、公演の企画意図や聴きどころを綴る連載の第2回です。(全6回を予定)
② メシアン:『世の終わりのための四重奏曲』の初演までのお話
「わたくしは、一人の強い天使が天からくだるのを見た。
かれは雲につつまれ、頭上には虹があった。
顔は太陽のようであり、足は火の柱のようであった。右の足を海の上に、左の足を地の上に置き、
海と地の上に立ち、手を天にむかってあげて、世々限りなく生きるあの方に誓っていった。
《時はもはや延びることがない。そして第7の天使のらっぱの日に、神の奥儀が成就される。》」
ヨハネ黙示録第10章
時(とき)は1941年1月15日。ゲルリッツの第8-A捕虜収容所の色のない日常に、ある奇跡が起こります。メシアンという作曲家が同じく収容所に入っている音楽家と共に新作を初演するらしく、捕えられているあらゆる国の人々はどんなものが待っているのか全く分からぬまま、収容所の劇場に足を運びます。びっしりつまったその兵舎には、想像を絶する音の色彩が響き渡り、聴衆を永遠の世界へと導きます・・・。
この初演は、第2次世界大戦の真っ只中でどのように実現したのでしょうか。
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20世紀を代表するフランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908-1992)は、イギリス文学者の父と詩人の母の間に生まれ、幼少時から聖書やシェークスピアなどを読んで育ちました。11歳でパリのコンセルヴァトワールに合格し才能を認められ、20代初めまでみっちり教育を得たあと22歳でサン・トリニテ教会のオルガニストになり、作曲家として活躍しはじめていました。
1939年にイギリスとフランスがドイツに対し宣戦を布告するとメシアンも徴兵され、目の悪かったメシアンは最終的に医療補助としてフランス北東部のヴェルダンに送られます。ヴェルダンの城塞には兵隊のために劇場オーケストラが作られ、彼はそこで指揮官をしていたチェリストのエティエンヌ・パスキエ(1905-1997)、そしてクラリネッティストのアンリ・アコカ(1912-1976) に出会います。
エティエンヌ・パスキエは兄弟と共にマルティヌやジョリヴェのトリオの初演などを務めた一流のトリオ「トリオ・パスキエ」として既に名声をあげており、同時にパリ国立オペラのチェリストでもありました。一方、ユダヤ人の音楽一家に生まれたアンリ・アコカは徴兵される前、フランス国立放送オーケストラの団員でした。ユーモアにあふれ、同じく読書好きなアコカともメシアンはすぐに意気投合します。そして2人もメシアンの類稀な才能と教養、真っ直ぐで純粋な性格に惹かれました。
鳥類学に大きな情熱を抱いていたメシアンは、任務の配当をしていたパスキエに、明け方に鳥を観察できるように見張りの当番を配分するよう働きかけます。その後パスキエは何度も彼に連れられ明け方に鳥の観察に出かけました。2人はその目覚めたばかりの鳥たちの美しい歌に耳をかたむけ、そのわずかな平和な時間を分かち合います。
そんな鳥の歌をきく日常の中、積極的なアコカは、メシアンにクラリネットのために曲を書くように頼み、そのしつこい頼みにメシアンは遂に応じます。その作品は、のちに「世の終わりのための四重奏曲」の第3曲「鳥たちの深淵」(クラリネット・ソロ)となるのです。
1940年5月にドイツがフランスに侵入すると、2か月も経たないうちにフランスは降伏します。したがって3人は逃亡、しかし目的地に着く前に森の中でドイツ兵につかまってしまいます。ナンシー(フランス北部の都市)付近まで70㎞近く一切食べることもなく歩くはめになり、一番若く強かったアコカは、倒れそうになるメシアンとパスキエを支えました。
パスキエはチェロを取り上げられてしまいましたが、クラリネットを常に身から離さなかったアコカは、ナンシーの草原の中、「鳥たちの深淵」をはじめて練習しはじめます。「演奏不可能」とつぶやくアコカへ、「じきに弾けるようになるよ!」と今度はメシアンがプレッシャーをかけます。
その後彼らは、ポーランドとの国境沿いのドイツの町、ゲルリッツの捕虜収容所へ送られることになります。1939年から1945年まで12万人の捕虜がここを通り、メシアンが収容されたときは3万人の捕虜が捕えられていました。すっかり疲れきった3人は、到着後も食料は少なく、何キロも体重が落ちていました。アウシュヴィッツなどの虐殺と蛮行はほとんどなかったとはいえ、捕虜の収容所でもドイツ兵のひどい扱いに苦しんでいた人達もいます。しかし、停戦条約を交わしたフランスに対して、捕虜の良い扱いを示したかったのか、ドイツは音楽の伝統があるため理解があったのかは定かではありませんが、メシアンを含む音楽家たちは他の職業をもつ捕虜より良い扱いを受けていたそうです。収容所ではそれぞれに仕事が与えられましたが、音楽家達は重労働を避けられました。
メシアンが天才作曲家だという噂が広まってくると、彼が作曲できるよう他の捕虜たちもドイツ兵の一部も助けを差し伸べるようになります。特に、のちに彼の脱出も可能にした1人のナチ反対のドイツ兵は、秘密で鉛筆と五線譜を与え、作曲ができる部屋、そして明け方に考えるための静粛の時間まで確保します。
クラリネットのみのためにかいた「鳥たちの深淵」で始まった作品は、アコカと同じ兵舎のジャン・ル・ブーレール(1913-1999) というヴァイオリニストが仲間に加わったことで、可能性が膨らんできました。ボロボロの弦楽器はドイツ兵に頼み込みなんとか手に入れたものの、ピアノはまだないため、メシアンはまずヴァイオリン、チェロ、クラリネットのみのトリオを完成させます。こののちに第4曲 間奏曲になるトリオを、3人はトイレでリハーサルしはじめます。
フランスとドイツの停戦条約が結ばれると、メシアンを含むフランスの芸術家たちは、兵舎の1つを劇場に変えることを要求し、それが承諾されると毎週土曜日に室内楽のコンサートシリーズができるようになりました。捕虜たちはそこで退屈な日常をしのぐことができるため、毎回劇場はいっぱいになりました。そこにピアノがようやく到着し、4人での演奏がやっと可能になります。
メシアンは毎日の仕事の合間をぬっては作曲に没頭し、冒頭の黙示録の引用部分から「直接霊感を受けた」8楽章の巨大な四重奏曲を書きあげます。もとよりカトリック教徒の熱心な信者だったメシアンは、聖書の最後の章、ヨハネの黙示録の色とりどりな世界に子供のころから興味を抱いていました。このような悲惨な状況の中、メシアンは常に信仰に支えられ、音楽を書くことによってその神秘的な世界に逃れられたのかもしれません。
勿論与えられた楽器のコンディションは非常に悪く、そのうえメシアンの厳しい要求のもと、難しい作品の演奏は困難でしたが、初演にむけて準備が進み、理解があった指揮官よりいつもの土曜ではなく、この初演のために特別水曜日の夜の公演時間すべてが与えられました。
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そして初演の日。外はマイナス12度、劇場の中も5度以上はなかったその寒い日に、400人ほどの虜囚が集まりました。ヨーロッパ各国のありとあらゆる階級と職の人々は、ここでは全員兄弟。音楽とは無縁の人もいる中、音楽家でも度肝を抜かれるような新鮮な作品は、この過酷な状況の中、初演されたのです。
ヴェルダンでの鳥の観察が思い出させられるような、明け方に目を覚ますツグミやナイチンゲールの歌声が、宗教的次元に移しかえられ(「第1曲 水晶の礼拝」)、黙示録にある天使の描写(「第2曲 世の終わりを告げる天使のためのヴォカリース」)の後、「第3曲 鳥たちの深淵」と「第4曲 間奏曲」が続きます。永遠性を湛えるチェロとピアノのデュオ(「第5曲 イエスの永遠性への賛歌」)、そして4つの楽器がらっぱとドラの効果を生み、恐ろしく響いたあと(「第6曲 7つのらっぱのための狂乱の踊り」)、天使が虹と共に現れます(「第7曲 世の終わりを告げる天使のための虹の混乱」)。最後のヴァイオリンの神へと向かう上昇は愛を訴え、希望の光が射します(「第8曲 イエスの不滅性への賛歌」)。
過去、現在、未来はこの一時の芸術の瞬間に集中し、人々の心をとらえました。演奏が終わったあと、しばらく沈黙が続いたと言われています。戦争の齎した過酷な時世で、このひとときは人々を美しい世界へと導いてくれたのです。
初演者4人はこのあと戦争を生き延びましたが、それぞれ違う運命を歩み、道が重なることはほとんどなかったようです。しかしこの日の特別な思い出は彼らの心に深く刻まれ、語り継がれることによって現在の私たちにまで伝えられています。そして音楽の中から初演の人々の永遠と生きる魂を感じ、この素晴らしい芸術作品を演奏できることは、なんと幸せなことでしょう。
(連載3回目につづく)
【公演詳細・チケット購入・関連リンク】
- 6月15日(火)19:00開演 小菅 優プロデュース 武満 徹「愛・希望・祈り」~戦争の歴史を振り返って~ I
- 6月17日(木)19:00開演 小菅 優プロデュース 武満 徹「愛・希望・祈り」~戦争の歴史を振り返って~ II
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